第二十八章 灰かぶり姫・舞踏会【上】
――――僕は、僕の手駒に手出ししたものを許すつもりはない。彼の犯した罪は、その屈辱で贖ってもらう。
―――――あっはっは、悪役全開ですね殿下。
――――悪役の片棒を担いでいる人間にだけは言われたくないのだけれどね?……まぁいい。はじめようか?
――――ええ。皇太子殿下の仰せのままに。
――――「「とっておきの茶番をこの国に。そして、愚かなる異国の王子殿下に」」
間もなく帰国する異国の王子のために開かれた、盛大な舞踏会。その主賓とも言うべき方は、酪酒のグラスを静かに傾ける。煌く黒髪に、黒曜石の瞳。見上げるほどの長身を、真紅と純白の、異国風の衣装で包む姿は一幅の絵画のようで、周囲の年若い娘達が、うっとりと溜息をつくのがあちこちから聞こえる。物憂げに瞳を伏せる姿は彫像めいて雄雄しくも美しく、遠くからずっと眺めていたいと思わせるものがあった。
そう、遠くからならば。
今現在、会場の娘たちの視線の半数を独占する方の傍近くに侍る身から言わせてもらえば、居心地が悪いことこの上ない。
彫像のような美貌の主は、ロワナの第一王子殿下である方は、マルス・カドクエル・アビガイル殿下は、いらいらなさっている。それはもう、いらいらイライライライラなさっている。空気が重い。空気が痛い。誰の所為とは言わないが、……というより言えないが。正直見惚れる周囲の人間が羨ましい。私も向こう側にいたかった。
もうこれは放っておくしかな……。
「王子殿下っ、どーしたんですか空気淀んでますよ!」
と、言っている傍から響いた空気を読む気のまるでない声に、思わず頭を抱えたくなった。異国の王子が珍しいのか、やけに馴れ馴れしく王子殿下に張り付いていたこの国の子爵だとかいう青年(この数時間で確信したのだが、空気を読む力というものを全力で手放している性格をしている)は、ばしばしとマルス殿下の肩を叩いた。
「……五月蝿いので。黙っていてもらえるか」
「えーっ?どーしたんですかそんな怖い顔してぇ!ほらほら見てくださいよ、キレイ所がそろってて目の保養目の保養っ」
「だから五月蝿いと……」
「あ、レスト殿下発見!今日もキレイっすねー」
明るくつがれた言葉に、マルス殿下の空気がびしっと凍った。
才気に溢れ、敗北の文字を知らぬままに成長してきたこの方は、つい一週間ほど前、その文字を身体に叩きつけられた。無敗の知者たる方に敗北を強いたのは、教授家の代理として会談に侍った、名も知らぬ年若い娘。ロワナの過去の所業をあげつらい、取引の材料として、一国の王子殿下と堂々と渡り合い、レスト殿下を護り抜いた娘の名前も顔も、ようとして知れない。そしてそのことが、マルス殿下の敗北感に拍車をかけている。
レスト殿下……ソルフィアの皇太子殿下は聡明だが未だ幼く、直接マルス殿下と対決したわけではない。むしろ、ソルフィアとロワナの対立そのものに気がついていないらしく、素直にマルス殿下を慕っていらっしゃるが、彼の姿はこの方に否応無く御自分の敗北を意識させる。だからこそ、濃紺に銀のふちどりのある衣装に身を包み、穏やかに微笑む年下の皇太子のことを意識にいれて、マルス殿下のご機嫌は更に急降下した。
ただでさえ、この方は先述したとおりイライライッライッラしているのであって、正直に言えば、触らぬ神にたたりなしとばかりに、従者総出で見えないふり、聞こえないふり、感じないふりを決め込んでいるのである。その努力を無にしないでくれ頼むからっ!!
そんな私の思いも知らぬげに、欠片も空気を読む気のない声は嬉々として、全く関係の無い話題を語り出す。
「あー、王子殿下、元気がないなら面白い話教えてあげますよっ!巷で噂の『灰かぶり姫』っ。継母にいびられながらも優しい心を忘れることのなかった美しい娘が、魔法使いの助けによって美しく着飾り、王子が開いた、国中の未婚の娘を招いての舞踏会で王子の心を射止めるってゆー恋物語で、ロザモンド・ビビアンヌ・フォルマルクという作家の新作でですねっ!」
あー……確かに少し前から流行っていると小耳に挟んだ。特に、貴族の子女の間で、爆発的な人気を誇っており、その物語に出てくるドレスの色のことだけで、姫君たちの一日は潰れるとか。現に、今もそこここで「灰かぶり姫」との単語が囁かれている。……ただし、今はこの上なくどうでもいいが。
「それが如何したのか。良くある話ではないか」
第一王子殿下が冷たく突っ込む。……こうまでテンションの低いのは、この方にはものすごく珍しい。そういえば今日は未だに一度も鏡を覗き込んでおらず、『華女神よ、今日も私は美しい』とかも呟いていない。余程先の敗北に怒り狂っているのだろう。
…………今気がついてしまったのだが、もしかしてこの方、普段よりも今のほうがまともじゃないだろうか……?いやいやいや、そんなことはない。うちの王子殿下が普段はかなりアレだなんてそんなことは……ない、と、自分自身に暗示をかけておく。
私の密かな葛藤も、王子殿下の不快感丸出しの態度にも、まるっきり気付かず、空気の読めない子爵閣下はご丁寧な説明を続けている。
「いえでもですね、描写が丁寧で、こうっ、読んでいるとこのシンデレラが可哀想で涙が…っ、健気なんですよー!!魔法使いの魔法は12時までしか持たなくて、シンデレラが王子の腕を振りきり、お城から逃げ出していくシーンもなかなか…」
これだけ冷たい空気が充満しているにも関わらず、続けられるこの人はある意味凄いと称えるべきだろうか。
もう何もかもどうでもよくなって流した目線の先に、一段高い壇上で、穏やかな微笑を浮かべるレスト皇太子殿下が映る。紅茶色の鮮やかな瞳と赤髪。均整のとれた身体を包むのは、髪色に最も映える濃紺の儀礼服。聡明な瞳と甘やかな笑顔。この会場の、若い娘の視線の半分はマルス殿下に向けられているが、もう半分はこの方に向けられている。優しく穏やかな、理想の皇太子殿下。
(素直すぎて政治には力不足の感があるが……)
心中で評価することで、絶好調に続けられている『灰かぶり姫』談義から意識を逸らす努力をしていると、視界の中、皇太子殿下の紅玉の瞳が不意に揺らぎ、すっと、一箇所に焦点を合わせた。そうして、
紅茶色の双眸が、獰猛な色を宿して、嗤った。
(……なにっ……?)
こちらを見ての表情ではない。けれど、思わず身をすくめるほどの威圧感に、半ば無意識に皇太子の視線を追いかける。大広間を通り越し、来賓を迎え終えて閉ざされていた巨大な扉が、音も無く開いていく光景が、視界に映った。
「かぼちゃの馬車や、鳩の従者なんかも中々個性的で。あっそれにですね、王子が彼女を見つけるときの目印になるものが特殊で、もうこれは女性ならば憧れないはずがないというガラスの……あれ?」
調子よく話し続けていた子爵の声が、戸惑ったように止まる。舞踏会の開始を8時から。そして、現在の時間は11時40分。このように遅れての入場は、普通は無礼とされて認められない。だからこそ、私自身や子爵に一拍遅れて、会場の人々が不快気にざわめく。夜会のしきたりも知らない礼儀知らずは誰なのかと、会場の全ての視線が、開いていく扉に集中する。
不快感と戸惑いと好奇。多くの視線のただ中、煌々とした王城の明かりが差し込む影に、凛と背筋を伸ばした、1人の姫君の姿が浮かび上がった。
本来許されるはずもない時間に、静かに入場を許容された娘の姿が、徐々に開いていく扉からもれた光によって、鮮やかに浮かび上がった。
まず見えたのは、真っ白な小花を編みこみ、淡翠色のリボンで結い上げられた淡い灰色の髪。そして、チョーカーのように首にも巻かれた同色のリボンと、透けるような白さの首元。
身にまとうのは、腰から胸元までを編み上げた深緑のドレス。その色は足元に下るごとにだんだんと薄まり、深緑から緑、萌葱から柳の若葉のような新緑、そして、1番足元までくると、透きとおるような淡翠色へと変化していた。中央からスリットで分かれた上衣の下からは、幾重にも重なるシフォンのレースの下衣が見える。
染めの技巧をこらした、清新な色合いではあったが、そのドレスは、けして贅をつくした華やかなものではなかった。ドレスには襞もなく、襟ぐりも最小限。装飾と呼べるものは、髪に編みこまれたリボンとまっしろな小花。そして、鎖骨の上で交差したリボンに挿された、髪に編みこまれたのと同じ、薬玉のように纏まった数本の小花だけ。けれど、年若い娘がするには地味ともいえる出で立ちは、贅を極めたけばけばしい衣装の中、どこか神秘的な雰囲気をかもし出していた。
常識外れともいえる時間に現れた娘は、その不遜な行動とは裏腹に、あまりにも清楚だったのだ。まるで、春を告げる精霊のように。
そこまで思考して、気付く。
(ああ…あれは、あの花は…沈丁花だ…)
ロワナで「瑞々しい香り」を意味する名を持つそれは、ソルフィアではダフネとも呼ばれている。早春に咲く清楚な姿と、そして何より、宵闇を通るような馥郁たる香りから、どちらの国でも、春を告げる花として知られている。
沈丁花を唯一の飾りとした、淡翠の姫君。
「何と…可憐な……」
思わず感嘆の声が口の端から漏れ、場内の貴族達の口からも、非難ではなく、賛嘆の溜息が漏れる。
けれど、うっすらと瞳を伏せたまま、娘が場内に足を踏み入れた途端、溜息ははっきりしたざわめきに変わった。
光を受け、更に鮮やかな色味を増した娘のドレスの、幾重にも重なるシフォンのレース。それは、足元のみが極端に枚数が減らされ、娘のほっそりとした足首が、透きとおる数枚の紗ごしに見えていた。
夜会において足元をさらす形のドレスは、この上なく大胆な……一歩間違えれば下品にもなりかねない意匠だ。全体的に清楚な雰囲気のドレスの中で、はっきりと異質なデザインに眉をひそめかけ、けれど、次の瞬間、息を呑んだ。
「…ガラスの、くつ…?」
先ほど、熱心に『灰かぶり姫』の話をしていた子爵が、ぽつり、とこぼれるようにつぶやく声が響く。それに重なるように、姫君たちの、おさえ切れない歓喜と憧れのこもった声が、広間をさざなみのように広がっていく。
「……の靴…」
「ガラスの…」
「ガラスの靴だわ…っ」
「灰かぶり…?」
「灰かぶり姫よ」
「シンデレラだわっ…!」
広間の視線を一身に受け、楚々と佇む新緑の姫君。その真っ白な足を包み込むのは、唐草の銀細工によって造られ、貝殻のようなつま先を透明に透かせる、煌くガラスの靴だった。
一歩、一歩と娘が足を踏み出すごとに、数枚の紗を通して靴が光を弾く。きらきら、きらきらと揺らめく光が、銀の靴と、うっすらと透けた娘のつま先を彩る。
淡い灰色の髪が、シャンデリアの投げかける光を受けて煌くたびに、そこに集ったものたちの口から、誰ともなくシンデレラ、と言う名が漏れる。どこか現実離れした、神秘的な雰囲気を持つ娘の姿に、誰もが無意識に道をあけた。
ふと、それまで、静かに目をふせていた娘が双眸を開く。ゆっくりと露わになったのは、淡い、淡い、夢見るように透きとおる淡翠の瞳。
そして、その淡翠色の瞳が唯1人を映した瞬間、ふわり、と緩んだ。
唯1人。ソルフィアの皇太子たる、レスト・ファリシアン・リュファス・アレクサンドル殿下を映して。
紅の皇太子はゆっくりと目を見開き、半ば無意識のような仕草で、一歩足を踏み出す。そして、広間の中央まで歩みを進めた娘に向けて、静かに、けれど抑えきれない熱のこもった目をして、手を差し伸べた。
「……美しい姫君、どうか私と、踊ってくださいますか?」
どよめく場内の視線を一心に受けて、真っ白な指先が空に伸び、差し出された皇太子の手に重ねられた瞬間、娘の顔が、白い花が咲き綻ぶような笑顔になった。
「はい。……私でよければ、喜んで」
穏やかに澄んだ声を響かせ、娘は淑やかに瞳をふせる。そして、裾をからげ、胸もとにひきつける指先も楚々とした、優美な、「姫君そのもの」の礼をした。
『『とっておきの茶番をこの国に。そして、愚かなる異国の王子殿下に』』
はい謝罪謝罪謝罪がしたいですすごくしたいです謝罪マシーンになりたいです。でもお詫びは【下】でいたしますのでちょっとお待ちくださいぃぃいいいいいい!!
そして内容。無茶苦茶べったべたの展開ですみません作者の想像力がひんこんでごめんなさいぃぃぃいいいいい!
そして最後に感想を下さった方!無茶苦茶嬉しかったです返信もう少しだけお待ち下さい必ずいたしますぅぅぅぅぅうううう!!