十年後の僕が用意した証拠
『母さんを救う方法を、未来で用意した』
電話の向こうから聞こえるのは、間違いなく僕の声だった。
けれど、今の僕より低く、ひどく疲れている。
「本当に、十年後の僕なのか?」
『疑う気持ちは分かる。でも、説明している時間はない』
激しい雑音が混じる。
スマートフォンの画面では、通話時間の数字が増えるのではなく減っていた。
『残り二分五十二秒』
「待ってくれ。どうして母さんが死んだ? 一人を救ったら、別の誰かが死ぬのか?」
『僕も最初はそう思った』
「最初は?」
『日和を救い、母さんを失った。次に母さんを救おうとして――』
未来の僕が言葉を止める。
「どうなった?」
『今は聞くな』
「また誰かが死んだのか?」
『そうだ』
背筋が冷たくなる。
『僕たちは、目の前にいる人間を助けることばかり考えていた。でも、それでは駄目だった。誰を避難させても、トラックは止まらない』
未来の僕の声が、微かに震えた。
『行き先を失ったトラックは、別の誰かを殺す』
七年前の光景が蘇る。
日和を横断歩道から引き戻したあと、雨の向こうへ消えていったトラック。
そして、遠くで聞こえた衝突音。
「トラックそのものを止める必要があるのか」
『正確には、トラックが事故を起こした原因を消す』
「原因は分かったのか?」
『十年かけて調べた』
未来の僕は、静かに答えた。
『事故のあと、運送会社は廃業した。整備記録も車両データも、ほとんど処分された。でも十年後、一部の記録が見つかる』
「それを僕に送るつもりなのか?」
『そのために用意した』
「未来の物を、今へ送れるのか?」
『僕たちだけでは無理だ。そいつに頼め』
視線を向ける。
小さな神様は墓石の前にしゃがみ込み、母さんへの缶コーヒーを両手で転がしていた。
「おい」
「なに?」
「未来から物を送れるのか?」
「小さい物ならね」
神様は、当然のように答えた。
「先に言え!」
「聞かれなかったから」
「そういう問題じゃないだろ!」
『そいつと言い争うな。時間がない』
画面を見る。
『残り一分三十六秒』
「証拠を受け取ったあと、どうすればいい?」
『現在のお前が中身を確かめろ。そして、十九歳の僕へ届ける』
「十九歳の僕?」
『七年前のお前だ』
「僕がまた過去へ戻るんじゃないのか?」
『戻るだけでは三人にならない』
未来の僕の言葉に、息を呑む。
『過去の僕、現在の僕、未来の僕。三人がそれぞれの時間で動かなければ、原因には届かない』
「十九歳の僕は、僕が身体を使っていたことを知らないはずだ」
『いや、見ていた』
「見ていた?」
『お前が日和の電話に出たことも、駅まで走ったことも、全部だ。あの頃の僕は、身体の奥で見ていた』
七年前へ戻ったとき、一瞬だけ聞こえた声を思い出す。
夢の中でもうひとりの俺が叫んでいた。
あれは未来の僕ではなかった。
身体の持ち主である、十九歳の僕だったのか。
『過去の僕は、まだ自分に起きたことを夢だと思っている。だから、信じさせる必要がある』
「どうやって連絡する?」
『証拠の中に、手順を残した』
雑音が大きくなる。
『残り三十秒』
「待ってくれ。未来では日和は生きてるのか?」
わずかな沈黙。
『生きている』
胸を撫で下ろす。
『でも、それだけで安心するな』
「どういう意味だ?」
『未来は、現在のお前が選ぶたびに変わる。次に話す僕が、今の僕と同じとは限らない』
『残り十秒』
「未来の僕!」
『最後にひとつだけ』
声が途切れかける。
『証拠を見ても、父さんを責めるな』
「父さん?」
『残り三秒』
「どうして父さんの名前が出てくる!」
『僕たちの父さんも――』
激しい雑音。
『逃げただけなんだ』
通話が切れた。
◇
墓地に、雨音が戻ってくる。
スマートフォンの通話履歴を確認したが、そこには何も残っていなかった。
「今の、本当に十年後の僕だったのか?」
「うん」
神様が立ち上がる。
「未来のはる坊、ずいぶん老けてたでしょ」
「声しか聞こえてない」
「髪にも白いのが混じってたよ」
「お前には見えてたのか?」
「神様ですから」
得意げに胸を張ったあと、神様は首に下げた懐中時計を開いた。
壊れていたはずの秒針が、ゆっくりと逆向きに動き始める。
「未来から現在へ送れるのは、片手で持てる物だけ」
「人間は?」
「無理」
「どうして?」
「重いから」
「そういう問題なのか?」
「神様だって、重い荷物は嫌なんだよ」
懐中時計から、眩しい光が溢れ出す。
神様が時計を逆さにすると、小さな黒い物体が僕の手のひらへ落ちた。
一本のUSBメモリだった。
表面には、白い文字で数字が刻まれている。
『2036・09・17』
「これが、未来の僕が用意した証拠……」
「受け取ったなら、神様のお仕事は終わり」
神様は母さんの缶コーヒーへ手を伸ばす。
「だから、それは母さんのだ!」
「未来から荷物を運んだんだから、一本くらいいいでしょ」
「自分で買え」
「神様、お金持ってないもん」
言い争っていると、墓地の入口から日和の声がした。
「お兄、誰と話してるの?」
振り返る。
日和が二本のペットボトルを手に立っていた。
もう一度、神様がいた場所を見る。
そこには誰もいない。
「……なんでもない」
「最近、本当に変だよ」
日和はそう言いながら、僕へ温かいお茶を差し出した。
僕はUSBメモリを強く握り締めた。
◇
墓参りを終えて自宅へ戻り、すぐにパソコンを起動した。
USBメモリを差し込む。
中には三つのファイルが保存されていた。
『事故再調査報告書』
『車両走行データ』
『十九歳の僕へ』
最後のファイルを開こうとしたが、パスワードが設定されている。
先に『事故再調査報告書』を開いた。
作成日は、二〇三六年八月二日。
事故から十七年後に作られた報告書だった。
画面を下へ送っていく。
事故を起こしたトラックからは、出発前にブレーキ圧力の異常が検出されていた。
警告が出たのは、事故当日の午後六時四十分。
それにもかかわらず、トラックは午後八時三分に営業所を出発している。
誰かが警告を解除し、運行を許可したのだ。
「これが、事故の原因……」
さらに下へ進む。
『当日の車両点検記録』
『異常なし』
『運行可能』
その下に、点検を承認した責任者の名前が記載されていた。
見覚えのある名前だった。
『整備責任者――朝倉誠司』
僕と日和の父親。
未来の僕が最後に言った言葉が、頭の中で繰り返される。
『証拠を見ても、父さんを責めるな』
事故を起こしたトラックを送り出したのは、父さんだった。




