守るための檻
「選択肢を作ったのは、僕だ」
最初の僕は、静かに言った。
空中には、二つの選択肢が赤く浮かんでいる。
『はい――三人の遥斗が消滅』
『いいえ――小さな神様が消滅』
「どうして、こんなものを作った?」
「終わらせるためだ」
最初の僕は、午後十時二十五分で止まった時計を見上げた。
炎も雨も、崩れ落ちる瓦礫さえ、その瞬間に縫い止められている。
「僕が死んだ夜、この子は時間を戻した」
燃え残った制服。
焼け焦げた手。
最初の僕は、七年前に死んだ姿のままだった。
「僕を救った結果、日和が死ぬ未来が生まれた。日和を救えば母さんへ、母さんを救えば紬へ死が移った」
「それで、三人の僕が生まれた?」
「ああ。時間を戻すたびに未来が分かれ、別の人生を生きる遥斗が残った」
最初の僕が、小さな神様へ目を向ける。
「この子は誰かが死ぬたび、何度でもやり直した。そのたびに名前も、記憶も、存在も削られていった」
「だから二つの選択肢を作ったのか」
「三人の僕が消えれば、世界は僕が死んだあとの形へ戻る。日和も紬も生き残り、この子は時間を戻す必要がなくなる」
「もう一つを選べば、神様が消える」
「そうだ」
「どちらを選んでも、誰かが犠牲になるじゃないか」
「誰かが消えなければ、繰り返しは終わらない」
声は冷たかった。
けれど、握りしめた拳は震えていた。
「それなら、どうして選ばせない?」
僕は止まった時計を指さした。
「お前は選択肢を作ったのに、世界を午後十時二十五分で止めている」
最初の僕は答えなかった。
代わりに、僕の服を握っていた神様が呟く。
「ボクが選ぼうとしたから」
「何を?」
「三人のはる坊が消えるくらいなら、ボクが消えるって」
最初の僕の表情が歪んだ。
「その子から離れろ」
「嫌だよ」
「離れろ!」
止まっていた炎が大きく揺れた。
熱風がホームを駆け抜ける。
僕は神様を庇うように前へ出た。
「神様を消さないために、時間を止めたのか」
「ここにいれば、この子は消えない。三人の僕も消えない」
「日和と紬は?」
「死ぬ直前の未来で止まっている」
「それは助けたことにならない」
「死ぬよりはいい!」
「生きてもいないだろ!」
僕の声が、無人のホームへ響いた。
「何も選ばせず、同じ瞬間へ閉じ込める。それは守っているんじゃない」
「君に何が分かる!」
最初の僕の周囲で炎が渦を巻く。
「僕はここで死んだ。煙で息ができなくなって、身体が焼けても、この子だけは手を離さなかった!」
雨の向こうに、過去の光景が浮かぶ。
床に倒れた最初の僕。
その手を握り、泣き続ける白い髪の少女。
『はる坊、起きて』
『ボクを一人にしないで』
「この子は最後に言った。僕を救うためなら、神様でなくなってもいいと」
小さな神様が俯いた。
「だから僕は、この子の懐中時計へ二つの未来を刻んだ。繰り返しを終わらせるために」
「最初から、神様を守るつもりだったのか」
「僕は、この子が消えることだけは許さない」
「三人の僕が消えることも?」
「それを選べば、この子は自分を責め続ける。自分のために三人の僕を消したと、永遠にな」
「だから、何も選ばせない?」
「ああ」
「それが、守るための檻か」
小さな神様が、最初の僕の背中を見つめる。
「最初のはる坊」
「何だ」
「もう、止めなくていいよ」
「駄目だ」
「ボクは、みんなを助けたい」
「その結果、君が消えたら意味がない!」
「それを決めるのは、はる坊じゃないよ」
神様が一歩近づく。
「守ってくれたことは嬉しい。ずっと一人で、この時間を支えてくれたことも分かってる」
小さな手が、焦げた制服の袖へ伸びた。
「でも、ボクは守られるために、はる坊と出会ったんじゃない」
「触るな」
「一緒に生きるために出会ったんだよ」
最初の僕が、その手を振り払う。
「僕は、君が消えるところを見たくない!」
「ボクだって、はる坊が死ぬところを見たくなかったよ!」
神様の叫びに、最初の僕が動きを止めた。
「だから時間を戻した。間違っていると分かっても、やめられなかった」
神様の目から涙がこぼれる。
「最初のはる坊も、同じでしょ?」
「……違う」
「同じだよ」
神様は泣きながら笑った。
「ボクたちは、お互いを守ろうとして、お互いを一人にしたんだよ」
炎の勢いが弱まった。
最初の僕が俯く。
「だったら、どうすればいい。僕たちが消えるか、この子が消えるか。二つしかないんだ」
「なら、作ればいい」
僕は空中の選択肢へ手を伸ばした。
「三つ目を」
「できない」
「お前は二つ作った」
「僕は死の瞬間にいたから作れたんだ」
「僕も朝倉遥斗だ」
「同じ名前だけでは足りない!」
最初の僕が僕の手首をつかむ。
その手は、氷のように冷たかった。
「選択肢は、死が確定した瞬間にしか書き換えられない。死ぬ人間が、最後に残す未来だからだ」
「だったら、お前が書き換えろ」
「僕はもう死んでいる」
最初の僕の身体が透ける。
その内側に、炎の中で息を引き取る姿が見えた。
「今の僕は、午後十時二十五分に残された記録だ。一度失った命を、もう一度差し出すことはできない」
「他に方法は?」
最初の僕は、僕の顔を見つめた。
「君なら、できるかもしれない」
「どういう意味だ?」
「君は、僕が死んだときと同じ十九歳だ。僕の死から分かれた三人の中で、最も最初の僕に近い」
小さな神様が息を呑む。
「駄目」
「君なら、選択肢を作った者の権利を引き継げるかもしれない」
「なら、やる」
「条件を聞いて!」
神様が僕の腕へしがみついた。
「何が必要なんだ?」
最初の僕は、すぐには答えなかった。
懐中時計の蓋がひとりでに開く。
一本の針が、午後十時二十五分へ戻り始めた。
「選択肢を書き換えるには、同じ場所、同じ時刻、同じ死を再現しなければならない」
「同じ死……?」
「君が僕と同じように死の直前へ立ち、その瞬間に時計へ触れる。そこで初めて、三つ目を作れる」
ホームの奥で爆発音がした。
七年前の炎が、僕たちへ迫る。
時計が示す時刻は、午後十時二十四分五十九秒。
「やめて!」
神様が首を振る。
「三つ目を作ったら、十九歳のはる坊は――」
最初の僕が、その言葉を引き取った。
「もう一度、ここで死ぬ可能性がある」
止まっていた最後の一秒が、進み始めた。




