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殺さない約束

「今度こそ、私を殺さずにいてくれますか?」


紬は涙を拭わずに、僕の答えを待っていた。


簡単に「はい」と言うのが怖かった。


写真の中の三十六歳の僕も、きっと同じ約束をしたはずだからだ。


「分からない」


紬の表情が固まる。


「正直ですね」


「君に何が起きたのか、まだ知らない。知らないまま約束して、また同じことになったら嫌なんだ」


「なら、もう帰ってください」


紬が写真へ手を伸ばす。


僕は、その端を押さえた。


「でも、殺したくない。君が死ぬ理由を、僕も一緒に調べたい」


「一緒に?」


「ああ。君の知ってる未来と、今の僕が見ているものを、ひとつずつ確かめよう」


紬は僕の手を見た。


写真を押さえているだけなのに、触れられることを警戒するように肩を強張らせる。


僕は手を引いた。


「ごめん」


「……いいえ」


小さな神様がテーブルの端で膝を抱える。


いつもなら何か言うところなのに、今日は静かだった。


「十五回以上、繰り返したんだよな」


「はい」


「そのたび、僕とここで会った?」


「場所は違いました。あなたが私を見つける前に、逃げたこともあります」


「でも、最後には?」


「会ってしまいました」


紬は冷めたコーヒーへ目を落とす。


「あなたはいつも、私が困っていると放っておけないから」


僕は返事を探した。


昨日まで名前も知らなかった相手に、昔からの癖を指摘されるのは妙な気分だった。


「じゃあ今回は、僕が君を見つけたわけじゃない。君が呼んだ」


「……そうですね」


「そこは、いつもと違うだろ」


紬が顔を上げる。


初めて、僕を試すような目ではなく、驚いた顔をした。


「どうして呼んだんだ?」


「確かめたかったんです」


「何を?」


「家族を救えたあなたが、私の前ではどんな顔をするのか」


紬は写真の中の僕へ視線を移す。


「いつも、最初は同じ顔をします。怖がっているのに、帰ろうとしない」


「今のところ合ってるな」


「はい」


彼女の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「あなたは、どうして笑うんですか」


「君が笑ったから」


言ってから、気恥ずかしくなった。


紬も驚いたように目を伏せる。


僕たちの間で、柱時計が一度だけ鳴った。


     ◇


「一つ、聞いていいか」


僕は写真を指差した。


「これを撮ったのは、いつ?」


「あなたが三十六歳のときです」


「場所は東口駅前?」


「はい。時計塔の前です」


写真を持ち上げる。


並んで笑う僕たちの背後には、見慣れた時計塔が立っていた。


文字盤の下に、細い傷がある。


神様と出会った夜、確かに見た傷だった。


「この時計、撤去される予定だったんだ」


「知っています」


「だったら十年後に、どうして残ってる?」


「あなたが残したからです」


「僕が?」


紬は頷いた。


「あなたは何度も、この時計を壊そうとしました。そして何度も、壊さないことを選びました」


「理由は?」


「それが、私を救う方法だと思ったから」


「結局、救えなかった」


「はい」


紬は言葉を濁さなかった。


責めているのではない。起きたことを、起きたこととして伝えているだけだ。


「時計が原因なのか?」


「私も、そう考えました。でも、壊したあとの未来でも私は死んだ」


「じゃあ、時計は関係ない?」


「分かりません」


その答えには、十五回以上を一人で数えてきた重さがあった。


僕は写真をテーブルへ置く。


「まずは、今の時計を見に行こう」


「私と?」


「一緒に調べるって言っただろ」


「外で私といるところを、日和に見られるかもしれません」


「日和には、僕から話す」


「彼女を巻き込みたくありません」


「その気持ちは分かる。でも、日和はもう君を捜してる。黙っていたら、余計に心配するよ」


紬はしばらく黙り、それから小さく頷いた。


「今日は駅へ行けません」


「どうして?」


「時計の前に立つと、思い出すんです」


紬の指が、カップの縁を強く握る。


「私が死ぬ瞬間を?」


「あなたが、私の手を離す瞬間を」


僕は思わず自分の手を見た。


写真の中では、紬の肩を抱いている。


その手が、いつか彼女を離したのか。


「今日は無理に行かなくていい」


「残り時間は四日ですよ」


「だから、明日の朝に行く。その前に、君が覚えていることを聞かせてくれ」


紬は僕を見つめた。


「今のあなたは、すぐに走り出さないんですね」


「走り出したいよ」


「なのに?」


「一人で決めて失敗するのは、もう嫌なんだ」


紬はカップから手を離した。


ほんの少し、肩の力が抜けたように見えた。


「明日の朝なら、行けるかもしれません」


「ああ。僕も行く」


「まだ、約束はしてくれないんですね」


「殺さない方法を探す。そこまでは約束する」


紬は写真を封筒へ戻した。


「……それなら、信じてみます」


小さな神様が、ようやく口を開く。


「はる坊」


「なんだ」


「明日は、先にボクへ時計を見せて」


「何か分かったのか?」


神様は首から下げた壊れた懐中時計を握った。


その針が、かすかに動いている。


僕が驚いて見つめると、神様は低い声で言った。


「この写真の時計塔、ボクの知ってる時計塔と傷の位置が違う」


もう一度、封筒から写真を出す。


文字盤の下の傷。


僕は昨夜見たものと同じだと思っていた。


けれど神様は、別の場所を指している。


写真の中、時計塔の裏側へ続く小さな扉。


その扉にも、深い傷が一本刻まれていた。


「今の時計には、あんな傷はないよ」


神様の懐中時計の針が、もう一度だけ動いた。


明日、僕たちは時計塔で何を見つけるのだろう。


紬を殺さずに済む答えが、そこにあることを願った。

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