第三話 教師五者論って、知ってるか
クラス編成会議が終わり、一学年団の顔合わせも兼ねた飲み会が開かれることになった。古い言葉で言うと団結式。感染症の拡大によって、この界隈からほぼ絶滅した年中行事のひとつだった。
「小鍛冶先生も、良かったらどうですか」
久度先生に誘われ、俺も末席に加わることにした。学年を外れたとはいえ、教科担任としては一学年の教室で仕事をする以上、この面々とは今後も付き合いが続く。断る理由はなかった。
玉手中を出た一同は、最寄り駅である御伽川駅から電車に乗って二十分。中央区にある居酒屋を目指す。
こうしてみると、電車の乗り方にも個性が出る。海老原先生はスマホを弄り、家族と連絡を取っている。桐生先生と若月先生は仲良く雑談。高遠先生は痴漢対策か両手で手すりを持ち、首藤先生は両手ポケット。犬養先生は手すりに体重をかけてぶらぶらとしている。三十路のやる仕草ではない。
「随分遠出するんですね」
所在なさげにきょろきょろとする高遠先生に対し、久度先生がにやりと笑った。
「食事会なら、地元の穴場。飲み会なら遠出。これは教員の鉄則なんだ。何でだか当ててみ」
「へ? えっと……」
「うまい店が多い! 俺の元バイト先もありますよ。おススメっス」
うろたえる高遠先生を押しのけるように、首藤先生が答えた。
「外れ。首藤君は後でペナルティね」
「やらかしたー!」
首藤先生は既にこの学年団で長年一緒に仕事をしてきたような呼吸を身につけていた。展開の速さについていけず、まごつく高遠先生に向けて、
「ヒントは保護者」
と桐生先生がヒントを出してくれる。
その言葉にようやく合点がいったのか、
「あ、ああ。保護者の目を避けてるんですね」
「そういうこと」
高遠先生が手を叩き、久度先生は苦笑いを浮かべた。
「やりづらくなったもんだよ。本当に。今は何をしても税金の無駄遣いだと苦情が来るからな。勤務時間外の飲み会の何処に税金が関わってくるんだか……」
一人文句を言う門田先生を久度先生が取りなす。
昭和の終わりごろから平成を主戦場に戦い抜いた古強者は、俺たちよりもずっと、この世の中を生き辛く感じているようであった。
一同が居酒屋に辿り着くと、活気に満ちた生ぬるい空気が俺たちを出迎える。
「すいませーん、予約していた者なんですけど」
犬養先生が受付にそう呼びかけると、店員が『ユリちゃんさまですね』と個室の座敷に通してくれた。「お前マジかよ……」という学年団の目をスルーして、彼女は一番乗りで上座にドカッと座り込んだ。
俺は上座寄りの久度先生の隣に座る。ほぼほぼ同世代ということもあるが、若手は若手で座らせたいという思惑もあった。
三人の若手の周りには海老原先生と桐生先生が座り、ベテランの門田先生は俺らの近くに座る。この辺りのエアリーディングは教員にとっては、お家芸だ。犬養先生は、正直分からん……。こいつは生徒相手なら、いくらでも空気を読めるのに、大人相手には絶対空気を読まないのだ。
「かんぱーい!」
生ビールのジョッキがぶつかり合い、宴が始まった。
最初のうちは、自己紹介の延長のような当たり障りのない会話が続く。だが、酒が回り始めると、話題は一気に砕けていった。
「高遠先生、大学は浪人したんだって?」
海老原先生が、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「はい……、一年だけですけど」
高遠先生が、居心地悪そうに答えた。
「その後、一回就職してから教員になったんでしょ? 社会人経験組って、意外と貴重よね。あ、でも小鍛冶先生も社会人経験あったはずだよ。でしたよね?」
「あー、俺のは一般的な社会人と言いにくいよ。大学の延長だから」
俺の受け答えに高遠先生は目を丸くする。
「大学で、就職ですか?」
「パイセンはケンキューシャ」
既に三本目のジョッキにチャレンジしていた犬養先生の言葉を受け、高遠先生は感嘆の息を漏らした。
「研究者……、すごいですね。自分は……、前職は、営業をやってました」
「へえ、ギャップあるじゃん」
首藤先生が明るい声で会話に入ってくる。先ほどから席を立っては、あちこちに酒を注いで回り、軽妙なトークで場を沸かせていた。新任とは思えない身のこなしで、既に中堅・ベテラン勢からも可愛がられているのが分かる。
「なんか、高遠先生って、営業って感じしないっすね。もっとこう、物静かなイメージ」
「よく言われます」
高遠先生が控えめに笑う。
そのやり取りを、門田先生が手酌でちびちびとやりながら眺めていた。
「おい、高遠」
不意に名前を呼ばれる。
「はい」
「お前、営業やってたなら、多少は場を盛り上げるコツとか知ってるんだろ」
「え……、いや、そこまでは」
門田先生は返事も待たずにニヤリと笑った。
「じゃあ、ちょっとやってみせろよ」
座敷にいる全員の視線が、高遠先生に集まる。
「上半身、はだけて。ネクタイ、頭に巻いて。踊れ」
一瞬、場が静まり返った。
「……え?」
高遠先生の顔が、みるみる強張っていく。
「新人の一発芸ってやつだよ。景気づけだ、景気づけ」
門田先生は悪びれる様子もなく続けた。
「良いっすね! おら、高遠、やっちゃえよ!」
首藤先生が年上だということも気にせず、無邪気に囃し立てる。
「同期なんだから、俺も応援するっすよ! いけいけ!」
首藤先生が屈託なく笑う。
だが、囃し立てられるほど、高遠先生の表情は強張っていく。
ネクタイに手をかけようとして、止まる。
また、かけようとして、止まる。
その様子を、門田先生がにやにやと眺めている。
「おいおい、フリーズしてんじゃねえよ」
からかうような声が飛んだ。
「お前、教員向いてないんじゃないの」
その一言に、座敷の空気が一段と冷たくなった。
高遠先生は何も言い返せず、ただ俯いている。
――さすがに、これは見過ごせない。
俺はジョッキを置いて立ち上がった。
「うし、不肖自分がやりますよ」
「小鍛冶先生が?」
久度先生が驚いた声を上げる。
「オッサンの経験値をここいらで見せておかないと、貫禄が保てないってね」
俺はネクタイを外し、頭に巻き付けながら、勢いよく立ち上がった。
「それでは皆さんに好評をいただいた、動画発表祭のあの踊りをやらせてもらいます」
といって、SNSでバズった某アイドルの踊りを披露する。元々は生徒に誘われ、散々練習させられたものだから、無駄に完成度が高いと自負している。
誰かがすかさずスマホで音楽をかけ、座敷は一気に爆笑に包まれた。
「小鍛冶先生、キレッキレじゃないですか!」
「テニス部の指導で鍛えたフットワークだよ!」
「これは私への挑戦状だ! 私も踊る!」
俺の即席の一発芸に、門田先生も豪快に笑い、犬養先生は指ハートを周囲に振りまきながら、飛んではね、高遠先生への追及はうやむやになった。
◇
宴もお開きになり、駅までの帰り道。
俺と高遠先生は、たまたま同じ方向だったこともあり、並んで夜道を歩いていた。
「……小鍛冶先生」
高遠先生がぽつりと口を開く。
「今日は、すみませんでした。庇っていただいて」
「別に、庇ったってほどのことじゃないよ」
俺は肩をすくめた。
「ただ、あの空気で高遠先生一人にやらせるのは、ちょっと違うかなと思っただけで」
高遠先生はしばらく黙って歩いていたが、やがて声を絞り出すように言った。
「……向いてないんですかね、俺」
街灯の下、その目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「体育会系のノリ、正直、苦手で。門田先生にも、ああやって言われて」
「……」
「首藤先生みたいに、明るく生徒を引っ張っていくタイプじゃないので……。始業式で並んでるところを見られただけでも、もう比べられてる気がして。始まる前から、正直、怖いです」
俺は、しばらく何も言わずに歩いた。
夜風が二人の間を静かに通り抜けていく。
「なあ、高遠先生」
俺はようやく口を開いた。
「教師五者論って、知ってるか」
「……五者論、ですか?」
「学者、医者、易者、役者、芸者。昔から言われてる、教員に必要な五つの顔だ」
俺は指を折りながら続けた。
「学者は、専門知識で教える顔。医者は、生徒の変化に気づいて対応する顔。易者は、生徒の将来を見通して導く顔。役者は、時には演技をしてでも生徒の前に立つ顔。そんで、芸者は――」
「場を盛り上げる顔、ですか」
「そういうこと」
俺は頷いた。
「今日の門田先生は、露骨に『芸者』をやれって言ってきたわけだ。でもな、五つ全部を、最初から完璧にこなせる奴なんていない」
「……そうなんですか?」
「俺だって、芸者は苦手だよ。さっきの一発芸だって、正直、柄じゃない。教師になってから、必死になって身につけたんだ」
俺は苦笑いを浮かべた。
「でも、高遠先生には、他の武器があるだろ。生徒に対して誠実。分掌で言ったら教育相談系。多分生徒の変化に気づくの、得意な方だと思う」
高遠先生が、驚いたように顔を上げる。
「……なんで、そんなことが分かるんですか?」
「今日の会議でも、汐乃亜さんの話、すごい気にしていただろ。ユリTや門田先生が重要視しなかった部分に引っかかった」
高遠先生は、少し考えるように黙り込んだ。
「自分に引き付けて考えてみたんです。攻撃的な雰囲気のクラスが嫌になり、担任は助けてくれなくて……。ぼくなら、小学校時代を彷彿させるものを見たら、息苦しくなってしまいそうで……」
「それが君の強み」
俺はまっすぐに言った。
「教員全員が百点満点の完璧人間にはなれない。チームで補うしかないのさ。五者全部を目指す必要はない。自分にできる範囲で、自分の武器を伸ばせばいい」
しばらく歩いたところで、後ろから声がかかった。
「おい、二人とも」
振り返ると、少し離れた場所を歩いていた門田先生が、こちらへ歩み寄ってくる。
「高遠」
「……はい」
高遠先生の背筋が、反射的に強張った。
「さっきは悪かったな」
意外な一言に、俺と高遠先生は顔を見合わせた。
「言い過ぎた。悪気はなかったんだが、まあ、悪気がなけりゃ何でも許されるわけじゃねえわな」
門田先生は、頭をがしがしとかきながら続ける。
「俺も、若い頃は散々やられたクチだ。だから、それが普通だと思っちまってる。悪い癖だ」
「……いえ」
「ただ、な」
門田先生が真面目な顔でこちらを見た。
「小鍛冶が言ったことは、間違ってねえよ。生徒の前じゃ、役者にも芸者にもなる。それは、教員である以上、避けられねえ部分だ。でも」
門田先生は、俺と高遠先生を交互に見た。
「無理に全部やる必要はねえ。自分のできる範囲で、やれることをやりゃいい」
その言葉に、高遠先生の表情がわずかに緩んだ。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃねえよ」
門田先生はそう言い捨てると、俺たちを追い越して先を歩いていった。
その背中を見送りながら、俺は隣の高遠先生に目をやる。
「な? 案外、悪い人じゃないだろ」
「……そうですね。ちょっと、意外でした」
高遠先生はそう言って、初めて自然な笑みを浮かべた。
夜道を歩く俺たちの足音が、静かな街に響いていた。
ふと、鞄の中の個人カルテを思い出す。汐乃亜、竹花百花、一木麻倫。あの三人がセンターの扉をくぐるのは、もう数日後だ。……四つ目の机の主は、まだ来られないけれど。




