第二話 かまってくれた先生がいなくなっちゃったから
放課後にセンターから職員室に向かうと、出入り口にひしめく生徒の姿が見えた。
帰りの会が終わった直後の職員室は、生徒対応でごった返す。息をつく暇もない。
「失礼します! バスケ部の佐藤です。部室のカギをお借りします」
最も多いのが、部活動を早く始めたい生徒たちだ。もたもたしていると顧問の雷が落ちるため、教員に怒られないぎりぎりの速さで職員室まで駆け込んでくる。
「あ? 声がちいせえ。もう一回やり直せ」
だが、早く辿り着けたからといって、怒られないとは限らない。学校の空気にすっかり順応した首藤先生が、バスケ部男子を一喝する。その背中には、次を待つ生徒の列が伸びていた。
「体調不良で課題の提出が遅れてしまいました。受け取ってください」
この手合いも多い。忘れ物をした場合、九割以上の確率で理由を「体調不良」に仕立てて訪ねてくる。未提出のままが一番まずいので、持ってくるだけまだマシだ。もっとも、受け取ってもらえるかどうかは、対応する教員の性格次第だが。
「合唱祭実行委員です。能見先生はいらっしゃいますか?」
案外少ないのが、行事や委員会絡みの相談だ。大抵の教員は放課後に部活を抱えているため、朝や昼休みのうちに片付けてしまう。
「海老原先生、相談があって……」
友人関係の悩み相談、というのもある。
果たして俺が中学生だった頃、こんなに教員と接していただろうか。今の子どもたちの方が、よほど教員の使い方を心得ているのかもしれない。
俺が生徒たちをかき分けていくと、
「鍛冶T」
よく見知った声が飛んできた。いたずら小僧がそのまま健やかに育った、といった風体の男子。テニス部三年副部長のタケだ。
「タケか。お前が何でカギ当番なんだ? 一、二年がいるだろう」
「二年は総合の時間が長引いてる。一年は全体帰りの会だって。何か悪いことしたんじゃね?」
「ははあ」
緊急性のない小言を溜め込んでおいて、七月、夏休み前に生徒全体をまとめて叱る。割とよくある黄金パターンだ。そのまま夏休みの生活指導にも繋げやすい。俺の知る限り、どんなに大人しい学年でも、全体帰りの会を一度もやらなかった年はない。
一人で得心していると、タケがこつんと拳をぶつけてきた。
「何だ、体罰かこの野郎」
「違うって」
にやりと笑い、そのまま拳を持ち上げて親指を立てる。
「夏休み中、俺も早朝のロードワークに参加するわ」
――言わんとしていることは良く分かった。先週の土日、剣道部の大会と同日にテニス部も支部予選の団体戦があったはずだ。そして三年生がそのまま練習を続ける……。つまり、彼らの夏はまだ続いているということである。
俺はつられて笑って、返事をした。
「もう、早朝だって暑くなってきたからな。スピードは緩めないぞ」
「余裕でぶっちぎる」
力こぶを作るタケであったが、ふと思い出したように続けた。
「そういえば、大耀とこの前ゲームしたよ」
「……大耀と?」
大耀とはまだ保護者を介してのコミュニケーションしか取れていなかった。学校に来れなくなったとはいえ、友人と繋がりを持てていることにまずは一安心する。タケは頷いた。
「うん、FPSゲームを夜に。色々近況も聞いた」
「そうか。何だって?」
俺は心持ち前のめりになって続きを促す。
「とりあえず、昼夜逆転はしていないっぽい。朝起きて、スタディアプリで五教科の勉強はしてるって。あ、社会は鍛冶Tの授業見てるって」
「授業って……、youtubeのか」
「それ」
俺は思わぬところで以前の貯金が生きてくるものだと舌を巻いた。
タケの言う授業とは、俺が数年前に動画投稿サイトにアップロードした動画のことだった。
新型感染症が拡大した数年前を思い出す。あの頃、俺たちは半年以上の休校を受けて、教育委員会から生徒の学習機会を何とかして確保しろと難題を突き付けられていた。
大概の先生方はプリント学習に切り替えた。形に残るものは、評価がつけやすいからだ。だが、俺はこれを好機にと、授業のやり方をバッサリと切り替えた。従来型の一斉講義という授業スタイルの限界を感じていたからだ。
アジアについてならアジアの範囲を自分で調べ、レポートにまとめる。奈良時代なら奈良時代を。経済なら経済を。巷では自由進度学習などと言われている。この形にすると、教員は勉強の苦手な生徒につきっきりでサポートが可能になる。勉強のできる生徒。社会が得意な生徒は時折質問を受け付けるだけでいい。日本語が話せない外国籍の生徒のケアもできるようになったことで、俺はこの形式の授業に一定の手ごたえを感じていた。
ちなみにこの形式の授業スタイルは、感染症がおさまった現在においてもある程度継続していて、初見の保護者受けはすこぶる悪い。
何も教えていない。授業放棄だと受け取られかねないからだ。
そこで俺は保護者も見られるSNSに従来型の自分の授業をアップロードした。最初は中三の範囲だけ。調子に乗って、今は小六から高一の範囲までカバーしてチャンネルにまとめている。それを自習型の授業の際には、自由に見るようにと勧めている。
授業を公開した結果、保護者のクレームは激減した。従来型の授業もあることにひとまずは安心したらしい。また、塾代が浮いたと現金なことを言ってきた家庭もある。
俺も発見があった。普段五十分以上かけていた講義型の授業が、動画にすると半分以下の時間に収まってしまうのだ。
そして今日、その発見にもう一つ……。可能性としては想定していたが、学校に通えなくなった生徒のケアにも現実に使えるという気づきが加わった。
「サンキュ。また大耀のことで何かあったら教えてくれ」
俺はタケに礼を言う。
「いいよ。んじゃ、また明日の早朝かな」
タケは鼻を指でこすりながらはにかんだ。手塩にかけて育てた生徒との交流は、何にも勝る精神安定剤だった。
◇
鼻歌交じりに職員室へがらりと入ると、
「あれ? カジT。そこはかとなく何かご機嫌?」
犬養先生に声をかけられる。俺が「まあな」とすぐに返すと、
「最近、沈んだ顔ばっかりだったから安心したっすよ」
周りに心配をかけていたという事実に改めて気がついた。何をするにも、されるにもネガティブになっていたことは否めないからなあ。
「悪い。心配かけたな」
俺は少し照れながらも、そう返し、出入り口付近にかかっている剣道場の鍵を取る。犬養先生はまだ怪訝そうにこちらを見ていた。
「えっ、今から剣道部のカギ? どうするんで?」
「へ? あ~」
そうか。もう現役のいなくなってしまった剣道部のことは職員間に広く知れ渡っている。元部員たちとの関係性も、以前を懐かしめるような温かみのあるものではなかった。彼女が疑問に思うのも当然だ。
俺は、乃亜と話し合った内容を手短に説明した。犬養はしばらく「ほへえ」と目を丸くする。
「それ、私も行っていいすか」
「え?」
予想外の申し出だった。
「いやですね。単純に乃亜ちゃんに興味があるのもありますし、今日は若月ちゃんに部活全部投げてるのもあります。後は生徒会で予定してた仕事がぶっとびそうなのも。それに――」
犬養先生は、少し声を落とした。
「もう気づいているかもしれませんが、剣道部の件、職員室でもめちゃくちゃ話題になってるんですよ。管理職のマネジメントが悪すぎたって。正直、みんな思ってますし、パイセンをケア無しはありえねえーってなってます」
その一言に、俺は苦笑するしかなかった。
「同行はケアの一環てこと?」
「それに、部員でもない女子生徒と、オッサン一人だけで道場に行くのって、外聞的にもどうかと思うので」
「……それは、確かに」
言われてみればもっともな話だった。俺は素直に、同行を頼むことにした。
支援センターに戻り、待っていた乃亜に伝えると、話を聞きつけた麻倫が身を乗り出す。
「私も見たい! 面白そう!」
「私も、見学だけなら……」
百花も、控えめに手を挙げた。
こうして、三人娘と犬養先生を伴って、剣道場へ向かうことになる。
道場へ向かう道すがら、犬養先生がふと思い出したように言った。
「そういえば、テニス部、支部大会の団体戦で優勝したらしいですよ。それも、圧倒的な差で」
「へえ、タケの様子から相当成績は良かったんだろうとは思っていたけど」
小さく笑みがこぼれる。
「トモタケ黄金コンビは勿論のこと、二年の宝田栄斗君も頑張っていたらしいですし、大活躍したのはなんと三雲颯真くんらしいです」
「……サボり魔のアイツが……?」
小憎たらしい顔をした長髪の生徒が脳裏に浮かんだが、いまいち大活躍という言葉と噛み合わない。三雲という生徒のことは一年の頃から手厚く見てきたつもりだった。ポテンシャルは感じるが、俺の熱意が届かない生徒。そんな印象だったのだ。
「お前はセンスがある。もっとテニスに真摯になれ」と褒めた翌日、友達と遊ぶために部活をサボる。大事だと言っていた練習試合の前日に、「家庭の用事」とやらで欠席の連絡をしてくる。
嫌いではない。むしろユーモアがあり、可愛がっていたが……、少なくとも土壇場で頼りにする生徒ではなかった。
横を歩く犬養先生はいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべる。
「やっぱりそういう反応。あの子、今年凄い頑張ってましたよ。後輩たちのケアも。生徒指導の方で宝田君と部の方針をめぐって喧嘩したらしいって話まで入ってたらしいです」
誰それ、という顔になる。
「口うるさくかまってくれた先生がいなくなっちゃったから、大人になったのかも」
言われて、俺ははっとする。
手放すことが、成長に繋がることもある。それを部活動でまで実感させられるとは、思っていなかった。
「そっか……。今度、見に行ってみるかなあ」
「そうしてください! きっと喜びますよ。あの子たち、まだ小鍛冶JAPANなんですから」
テニスコートの脇を通りかかると、ちょうど練習の真っ最中だった。掛け声と、ボールを打つ乾いた音が響いている。
タケとトモ。宝田と三雲のペアが競い合っている。転出の話は、まだ動いていないらしい。
俺が直接見るわけではない。でも、夏の本番はこれからだな。
彼らの頑張りを横目に、俺たちは剣道場へと足を進めた。




