第一話 向き合わなくても大丈夫
「というわけで、運動部の先生方に話を聞いてきたぞ」
職員会議の翌朝、俺が教室に入った時には既に三人娘が揃っていた。
「おー、昨日の話。のあちゃ、ほんとに部活入るの?」
「急な話だから、びっくりだよね……」
パチパチと拍手する麻倫も、口をぽかんと開けている百花も、すでに机上には勉強道具が用意されている。
……本当にこの子たちは真面目だ。
一般的に教室に入れない生徒を相手する場合、『期待するな』という諦めにも似た見守りが前提になる。関連する、どんな研修を受けたって、講師が言うことは一つだ。学校に来ないことが普通。無理に登校刺激を与えず、安心できる環境を作ろう、と。それは俺の十年に及ぶ経験則から考えても正しいと思う。
だが、そうした一般的な傾向に反して、彼女らは休まず学校に通い続けている。人よりも余計な勇気と努力を振り絞っているはずだ。
乃亜が前髪の隙間から、こちらを見上げていた。まっすぐと向かう、勇気が垣間見える。この勇気を大切にしたい。俺は言った。
「結論から先に言うと、部活には入れる。何人かの先生方が『うちにおいで』と歓迎してくれた」
言って、OKを出した部活を指折り上げていく。そして、ただし、と注意点を伝えた。
「乃亜さん。君は運動部が良いと言った。何故? とは聞かないよ。人それぞれに動機はあってしかるべきだし、重たい理由がなければ部活をやってはいけないなんてことはない。でもな――」
なるべく、穏やかな声を心掛ける。この年頃の生徒は、声色一つ、言葉一つで折角出した勇気がへし折れてしまう。
「君が部活をやるためには、いくつか向き合わなきゃいけない課題がある。一つ一つ確認していこうか」
乃亜がごくりとつばを飲み込んだ。顔はそむけていない。
「一つ目。チームで行動することに耐えられるか? 練習の段階で周りと息を合わせなきゃいけない。他にも試合の応援、遠征の移動。一人で完結する競技なんて、実質存在しないんだ」
うっ、と彼女は怖気づく。彼女の場合、教室に入れなくなった主な原因が、同世代との対人トラブルだ。最初にして最大の障害と言っていい。
心を鬼にして、俺は続ける。
「二つ目、運動部というのは大体が勝利を一番の目標にしている。必然的に、教員の指導も強くなる。先生に、強く何かを言われることに耐えられるか?」
彼女の表情が目に見えて曇った。教員に対してトラウマを持っていることは重々承知しているが、かといって部活動において特別扱いはできない。いや、腫物を扱うようにすることはできる。だが、それは彼女の願うところではないだろう。
「そして三つ目。競技で競い合う相手と、真正面から向き合うこと、できるか?」
彼女は悲しげに首を振った。前髪で表情が見えなくなる。
「……やれる部活、ない……、ですか? やっぱり……」
そして、俯きがちに呟く。彼女の声は、しゅんと沈んでいた。
俺は努めて、あっけらかんとした口調で返す。
「うん? 何でそういう結論になるんだ?」
「えっ……?」
「ちょうど良いから、朝の会の代わりに先生からの話をしよう。麻倫さんにも、百花さんにも意味のある話だ」
言って、俺は黒板にでかでかと「不可能」という文字を書いた。強い言葉だが、インパクト重視で今回は行く。
「人が不可能だと思う時は、どんな時だと思う?」
「んー、難しいから」
とは麻倫の回答。他の二人も異論はなさそうだ。
「では、何故難しいと思うんだ?」
「自分の能力や才能が足りないからでは……?」
百花は少し痛みに耐えるように、だがはっきりとそう答えた。理由の一つに「努力」を入れなかったところが、彼女の性格を感じさせる。
俺は笑って、言った。
「違うよ」
「は? でも現実に不可能なことはあります! 夢ややりたいことが上手くいかないって……、ようするにそういうことじゃないですか!」
むきになる百花に対して、俺は少し悩んでから持論を述べた。
「たとえ話を題材に考えてみようか。ある時、自転車に乗れないと嘆く子がいた。だが、補助輪をつければ乗れることが分かった。その子が自転車に乗れなかった理由は?」
「多分、バランスが取れなかったから?」
顎に手を当てながら、麻倫が言う。
「その可能性もあるし、二輪で走ることに怖さを感じていた可能性もある。では、もう一例。泳げない子がビート板を使えば泳げた。何故?」
「つまり、先生はサポートがあれば不可能じゃなくなると言いたいのですか?」
百花が先回りするように結論を急ぐ。
俺は苦笑しながら返した。
「正確には、難しさを感じるポイントを分析して、より小さな問題に分けることが大事だと思っている」
俺は黒板に書いた「不可能」の文字に向かう矢印を書き足し、その始点に「分析」を加えた。
「不可能という言葉を、高すぎるハードルと言い表す人がいる。だが、実のところ、これは言葉が足りていない。高すぎるハードルを、” 何をすれば乗り越えられるか分からない”状態で凝り固まってしまうことを不可能と俺は定義している。勿論、時間の制約や諸々の条件が重なるから、そう単純化はできないけどな。例えば、今年度の生徒会長に選ばれたいです、はもう不可能だ。もう募集を締め切っちゃったからな」
俺は「分析」の下に、「問題点」と「制限時間」、そして「競争」を書き足した。
「それでは、乃亜さんの願いを分析してみよう。議題は『運動部に入りたい』について。中学校の運動部に入る場合、定員以外の『競争』は発生しない。三年の後期からは入れないという『制限時間』はあるかな。三人で乃亜さんの解決すべき課題を考えてみな」
俺の言葉に三人娘は互いを見合った。
百花がしかめ面のまま、机上に置いてあったノートを開く。そして、二人を見ながら言った。
「乃亜さんの課題は、チーム行動ができないこと。強い指導……、怒鳴るってことかな? そういう先生は嫌だってこと。対戦相手と真正面から向き合えないこと……。それで良い?」
乃亜が縮こまりながらも小さく頷く。二人に付き合わせてしまっていることに申し訳なさを感じているようだ。
百花はため息をつきながら、課題をノートに書いた。
「じゃあ……、補助輪考えてみようか。何か思いつく?」
「向き合って戦わない運動を探す! 陸上とか、向き合わなくね? 練習も周りに合わせる必要なさそう」
「あっ……」
麻倫の意見に、百花が目を丸くする。乃亜を見て、それから俺を見た後で、何処か恥ずかしそうにつぶやいた。
「凝り固まるって、こういうことなんですね……」
「んだ。まあ、陸上は『定員』だから除外しといて。ちなみにうちの陸上以外の運動部に、向き合って戦わない部活はないよ」
俺がお手上げのポーズをしてそう言うと、百花は口を尖らせる。「やっぱり不可能じゃない……」と言わんばかりに。
その一方で、麻倫はぽんぽんと意見を出していく。
「オンラインでスポーツ。Eスポーツとか」
「うちの学校に、そんな部ないよ!」
百花の即答にもめげず、麻倫はさらに指を折る。
「サングラスしたら? 前にいる人、怖くなくなるかも」
「そんな人見たことないっ!」
百花があまりに真剣にツッコむせいか、俯きがちだった乃亜の頭が持ち上がってきた。何だったら、やけに口元に力が入っている。まるで笑いをこらえているかのようだ。
……良いね。この調子。
「じゃあ、他の人との練習が怖いんなら、過疎ってる部を探す!」
「そんな部があればいいけどね……。人の目を気にしないで済む部なんて。あるんです? 先生」
俺はニコニコとしながら答える。
「あるよ?」
「そうですよね。あるわけ……、あるの!?」
百花が叫び、乃亜がぱっと顔を上げる。俺は続けた。
「剣道部が今のところ現役0人で廃部待ったなし。引退した先輩たちはいるけどね。卒業式まで、もう顔を出す可能性は低いかなあ」
「剣道……」
乃亜が噛み締めるように呟く。一瞬呆けていた百花が慌てて懸念点を出してきた。
「け、剣道って防具をつけて、相手と打ち合うんですよね……? 乃亜さんには無理なんじゃ……」
「サングラスかければ、ワンチャンイケる!」
「サングラスから離れようよ!」
ああだこうだと麻倫と百花が揉める。俺は苦笑いを浮かべながら補足する。
「そりゃあ、大会に出ようと思ったら、相手と打ち合うことになる。でも、別にずっと素振りをやっていたっていい。形稽古っていう……、何だろう。ダンスみたいなものだけやっていたっていい。絶対条件から『勝利』を抜くだけで、大分可能性は広がると思うぞ」
「向き合わなくても大丈夫……」
乃亜が再び呟いた。そして、こくりと頷く。なけなしの勇気に火がつく瞬間を俺は目の当たりにすることができた。
「もし、興味があったら、放課後にでも道場で試してみるか。体験入部って奴だ」




