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満天の剣道場~先生、剣道を教えてください~  作者: 三郎
第2章 刑罰:今までの日常
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第六話 テニスの先生が、何で剣道部なんスか

 部活動集会は、新年度恒例の行事だ。

 全校生徒が体育館に集まり、各部の顧問体制が発表される。今年、俺にとってはかつてなく緊張する時間だった。

 壇上には、生活指導主任の栗岡先生が立っている。

「それでは、今年度の部活動顧問を発表する」

 淡々と、機械的に名前が読み上げられていく。

「野球部顧問、久度先生。バスケットボール部顧問、首藤先生。ソフトボール部顧問、犬養先生。副顧問、若月先生。ソフトテニス部、顧問――」

 聞き慣れた名前が続く中、栗岡先生が一拍置いた。

「教頭、保塚先生」

 その瞬間、テニス部の列でどよめきが起きる。

「え、教頭先生?」

「小鍛冶先生は?」

 困惑した声があちこちから漏れた。俺はその視線を痛いほど感じながら、動かないよう努めた。

「保塚教頭が事務手続きや大会申し込みなどのサポートをしてくださる。加えて、外部指導者として、テニス経験者の保護者に土日の指導を依頼する予定だ」

 栗岡先生の説明は、事務的で、感情の入る余地がなかった。

 テニス部の列を、俺は横目でそっと窺う。

 部長の小宇佐智彦(トモ)は、微動だにせず前を見つめていた。だが、その拳が痛いほど固く握られているのが分かる。

 その隣で、副部長の小日向武人(タケ)が小さく息を吐き、筋肉質の腕を組んだ。普段のいたずら小僧な快活さは鳴りを潜め、何かを堪えるような、複雑な表情だった。

 少し離れた場所では、マッシュルームカットの宝田栄斗(たからだえいと)が黙ってこちらをじっと見ている。ジュニア上がりで去年越境入学してきた、全国を狙える選手だ。

 そして、その後ろで新三年生の三雲颯真(みくもそうま)が誰に言うでもなく、聞こえよがしに舌打ちをした。伸び放題にした長髪をかきあげ、床をこぶしで殴っている。

「はぁ? ふざけてんの」

 近くにいた生徒が、たしなめるように三雲の肩を叩く。三雲は不貞腐れたように口を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。

「続いて、剣道部、顧問――」

 栗岡先生の声が、俺の名を呼ぶ。

「小鍛冶先生」

 今度は、テニス部の時とは違う種類のどよめきが広がった。

「え、テニスの先生だよね?」

「何で剣道?」

 剣道部の列からも、戸惑いの視線が突き刺さる。誰も拍手はしなかった。


◇

 集会が終わり、それぞれの部活へと生徒たちが散っていく。

 俺も剣道場へ向かうべく体育館を出た。渡り廊下を進む途中、グラウンドの隅にあるテニスコートが視界に入る。

 保塚教頭が集まった部員たちに向けて、慣れない様子で頭を下げているのが見えた。恐らく、今日から自分が見ることになる、という挨拶だろう。

 その光景を俺は足を止めずに見送った。今の自分に立ち止まる資格はない。

 剣道場に着くと、集まっていたのは経験者組の生徒たちだけだった。

 初心者組の姿は、一人もない。

 当然だ。あの事件以来、初心者組は既に全員が退部届を出している。今日ここにいるのは、事件の加害者だった疑いのある、経験者組の生徒たちだけだ。

 彼らの表情はこれまで経験したことのない種類の敵意を孕んでいた。

「新しく顧問になった、小鍛冶です」

 俺が頭を下げても、返事はほとんどない。数人が義務的に会釈を返しただけだった。

「テニスの先生が、何で剣道部なんスか」

 最前列にいた生徒――確か部長だったはずだ――坊主頭の鬼塚(おにづか)が、挑むような口調で言う。

「未経験なんですよね。俺ら、聞いてますよ」

「ああ、その通りだ」

 俺は、隠さずに認めた。

「剣道の経験はない。だから、皆に教えることは、正直まだできない」

 道場のあちこちから、失笑が漏れる。

「じゃあ、何しに来たんですか」

「顧問になったからには全力を尽くすよ。手始めには……、一緒に稽古がしたい」

 俺の言葉に、一瞬、道場が静まり返る。

「一緒に、って……。俺ら、今年はブロック大会まで行くつもりなんですよ」

「知ってる。そのための練習計画なんかは、皆の意思を尊重するつもりだ」

 俺なりに、精一杯の誠意のつもりだった。

 だが、返ってきたのは冷えきった沈黙だけだった。

 誰の目にも期待の色はない。あるのは値踏みするような、あるいは既に見限ったような視線だけだった。

 ……まあ、そうなるよな。

 俺は生徒たちに、今週末例年より早く部活動保護者会を開くことを伝え、出欠確認用のプリントを配った。

 覚悟はしていたつもりだった。それでも実際にその空気の中に立つと、想像していた以上に重かった。


◇

 顔合わせを終えた鬼塚たちが、道場の玄関先で靴を履き替えていた時だった。

 外から、聞き覚えのある声が飛んでくる。

「なあ、お前ら」

 三雲だった。腕を組み、道場の入り口に立ち塞がるようにして、鬼塚たちを睨みつけている。

「何だよ、テニス部が」

 鬼塚が面倒くさそうに三雲を一瞥した。

「お前らのせいで、うちの部の雰囲気、最悪なんだけど」

 三雲が、感情を隠さずに吐き捨てる。

「顧問取られて、後任は教頭。素人の保護者が土日だけ来て、平日はまともに練習も見てもらえない。トモなんて、集会でずっと固まってたぞ」

「知らねえよ、そんなの」

 鬼塚が、鼻で笑う。

「俺らだって、被害者みたいなもんだろ。素人に道場乗っ取られて、迷惑してんのはこっちも同じだ」

「はぁ? 被害者面すんな」

 三雲の声が、一段と鋭くなった。

「大耀のこと、皆知ってんだからな。お前らのせいで、こうなったんだろうが。この加害者どもが」

 その一言に、道場の空気が凍りついた。

 鬼塚の顔から、笑みが消える。

「……お前に、何が分かる」

 低い声だった。だが、三雲はお返しだとばかりに、へらへらと嘲るように返す。

「いじめる奴の思考なんて分かるわけねえだろうが。俺はただ、うちの部まで巻き込むなって言ってるだけ。あー、つまんねえ。警察動けよ。剣道部潰れてくんねーかなあっと」

 三雲はそう言い捨てると、それ以上言葉を交わすことなく、踵を返した。

 俺はその一部始終を、道場の中から見ていた。

 言い過ぎだと思う。止めに入るべきだったのかもしれない。だが、三雲の目には止める資格が自分にあるとは思えないほどの、まっすぐな痛みが宿っていた。

 鬼塚は、しばらくその場に震えながら立ち尽くしていたが、やがて、忌々しげに舌打ちをして、仲間たちと共に去っていった。

 残されたのは、重く沈んだ空気だけだった。


◇

 その日の放課後、職員室で書類を片付けていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「ソフトテニス部の宝田です。小鍛冶先生、少しいいですか」

「どうした……? 部活のことなら、教頭先生だと思うが……」

 宝田は入り口で対応する俺に対し、落ち着いた様子で見上げてくる。

「単刀直入に言います。親が、転校を考えてます」

「転校……?」

 感情の起伏を感じさせない、淡々とした口調だった。

「隣の市の強豪校です。専門のコーチがいて、設備も違う。前から『いじめのある学校には通わせられない』って話には出てたんですけど、今回のことで、先生には言っておきたいなと思って」

「……お前自身の考えというのは?」

「正直、練習自体はどこでもできます。はっきりと俺より上だって言える、トモ先輩もタケ先輩も転校先にはいません。チームメイトだって雑魚じゃない。それに小鍛冶先生が作ったメニューを続けていれば、変な失敗もないでしょう。その辺り、俺は割り切れるタイプなので。だから、1年後の伸びしろを考えても、転校にあまりメリットを感じません。むしろ環境の変化がリスクになり得るかも……。でも」

 宝田はそう言い切ってから、初めて表情を歪める。

「ただ……、剣道部は、嫌いです」

 その一言には、抑えていたはずの熱が確かに滲んでいた。

「大耀先輩のことがあったから、こうなってるんですよね。あいつらのせいで、テニス部まで滅茶苦茶だ。本当に、嫌になる」

「……それは」

「先生を責めてるわけじゃないです。ただ、事実としてそうなってるんで」

 宝田はそれだけ言うと、一礼して踵を返した。

「俺は小鍛冶先生の作ったテニス部の空気が、好きでした」

 その背中を見送りながら、俺はしばらく、動けずにいた。

 週末の保護者会は、もう目前に迫っている。

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