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思念性プラシーボ(2)

 ひとまず、今は状況を整理しよう。


「いつから話せなくなったんだ?」

「その、それも明確には分かっていなくて……」

「え、見えなくなったら分かるだろ?」


 どこか申し訳なさそうに白波は静かに口を動かす。


「私、中学生の頃は男子と関わる機会が稀だったので……」

「……俺でよければ友達になるよ」

「残念そうな顔しないでくださいっ」


 でも分かる気がした。

 もし白波が同学生なら声をかけるには少しばかり勇気がいる。

 初対面なら緊張してしまうほど容姿が整いすぎているのだ。


「高校に入ってから、『どうして男子と話してあげないの』って急に言われて」


 まだ一年生は入学したて。男子の誰かしらが白波に話しかけたのだろう。

 そして無意識のうちに白波は無視をしてしまった。

 それを指摘されたことで、自分の異変を知ったようだ。


「だから先輩だけは見えて会話もできるので、何か知っているのかな、と思いまして」


 確かに昨日と今日の昼間、そして今も俺は白波に認識されている。

 思えば、新入生代表としての発言。集会の舞台に相応しくない『変態』という発言は誰もが耳を疑う。だからこそ、あの発言をして自分を認識できる男子を確認したのか。

 そして俺を見つけて、名前を聞き出した。それが今の状況を作っているらしい。

 白波からすれば、唯一見えている俺が、希望でもあったのだろう。

 真摯に話す口調と瞳が、これまでの彼女の不安を物語っていた。


「似たような話は聞いたことあるよ」

 

 不安を拭えるかは分からないけど、説明ならできそうだ。


「これ」


 顔を上げる白波に、棚から取り出していた教科書を見せた。


「なんですか、これ?」

「細胞生物学の教科書」

「それは表紙に書かれているので分かりますけど、どうしてこれを?」

「知りたいんだろ。思念性プラシーボのこと」

「しねんせいプラシーボ……?」


 聞き覚えがないと首を傾げている。


「生物学的に考えられる机上の空論を、プラセボ効果の相乗効果で再現性を限りなく高める現象のこと。それが思念性プラシーボ」

「すみません、もう一回言ってもらえますか?」

「思念性プラシーボ。生物学的に考えられる机上の空論を、プラセボ効果の相乗効果で再現性を高める現象」

「もう一回言わせてしまってごめんなさい」


 分からなかったのかよ。

 まあ初めて聞くとそうだよな。俺も初めて耳にした時は全く理解ができなかった。


「要するにありえないことが現実に起こる」

「ありえないことが現実に。あまりピンとこないですね?」


 男子を認識できていない状況がそうなんだけどな……。

 早く納得させるために、分かりやすい例を出すことにした。


「例えば、人間が車より速く走るとか。できると思う?」

「それは流石に無理じゃないですか?」

「車の時速が60キロくらいだな」

「なおさら無理だと思います」


 世界一走りが速かろうが、人類の最高速度はせいぜい時速40キロ程度。原付ならまだしも、車となると相手が悪い。そう考えるのが普通だ。


「まあ無理だな。でも、出来るらしいぞ」


 俺が強く言い切ると、白波の表情には疑問が募る。


「一瞬で矛盾しましたけど?」

「もちろん、普通はできない。でも理論上は可能だ」

「理論上?」

「聞いた話だと、人間の筋肉質量と筋力を最大まで引き上げて、神経の伝達速度を極限まで高める。あとはエネルギー供給を通常の五倍ほど効率よく行えば、理論上では人間は時速60キロで走ることができるんだとさ」

「……本当ですか?」

「本当。理論上はな」


 60キロ。道路に表示されている自動車の速度制限よりも速い。


「でも白波は60キロで走れないだろ。100メートルを6秒」

「はい。当然です。え、もしかして先輩はできるんですか?」

「出来たら世界的に人気者だな。世界が俺の良さに気づいて、可愛い女の子にも囲まれてサインと写真を———」

「じゃあどういうことです?」


 サインと写真を頼み込まれて、可愛くて美人なファンと結婚までしちゃって、俺の人生は薔薇色だなぁ。まで続かせてもらえなかった。最後まで言わせろ。


「絶対に無理な気がしますけど?」

「言っただろ、理論上は可能って。出来るとは言ってない」


 理論上は可能。ということはありえるということ。でもそれは現実的に考えると不可能に近い。実際に人間が100メートルを6秒で走れるわけがない。


「思念性プラシーボは生物学的に考えた理論上の話だ」


 彼女の思考を待たずして俺は言う。


「脳の細胞がストレスに対して極端で最短最適の答えを見つけて、一つ一つの細胞に伝達する。それをプラシーボで確率を高める。それが思念性プラシーボ」

「伝達させて実際に実行するって、簡単に言っていますけど無理ですよね?」

「無理とは一概には言えない。理論上は可能だから」

「さっきから理論って言いますけど、理論上は可能になる過程には、筋力や神経の伝達速度? みたいに事前に必要な要素がありますよね?」


 顎元に手を当てて、不思議そうに言葉を咀嚼している。


「それこそ車が速く走るにあたって、必要な部品や機能があるみたいに」


 白波が言いたいのは準備の話か。

 机上の空論を可能とするには、事前に必要な要素を揃えておかなければならない。たとえば、陸上選手が筋力トレーニングで筋肉を増やしたり、走り方を勉強したりするように、必要不可欠な努力がいる。


「そこで重要になるのがプラシーボ、プラセボ効果とか言ったりもする」

「プラシーボ……。聞いたことはありますけど、いまいち内容は分からないですね」

「プラシーボは偽薬を本物の薬だと偽って患者に投与すると、患者の病状が良好になっていくっていう海外で行われた実験」

「詐欺じゃないですか。先輩ひどいことしますね、幻滅します」


 なぜか俺が軽蔑されているが話を続ける。


「要するに思い込みが本当に変わる。これはどの人間にも備わっているって言われていて、メカニズムも完全には説明されてない」

「つまりは自分の思考に沿うために、体が必要以上の能力を発揮するってことですか?」

「そういうこと」


 それがプラシーボ。人間の思い込みが現実となる現象だ。

 そんなことから不可思議な現象を思念性プラシーボと言うようになったらしい。


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