記憶に隠された日常(1)
放課後の帰り道。
夕方の熱がまだ残る空気のせいか背中にじわりと汗が滲む。
「先輩、今日は静かですね」
白波は前を向いたまま言う。
白波に誘われたのは、六限終わりの教室だった。
用件は「今日こそ話していた新作ドーナツ行きますよ」と、ただそれだけ。
「普段から騒ぎ倒しているわけじゃないだろー」
「あれ、言われてみると確かに?」
「俺は絵に描いたような模範的な優等生だからなぁ」
「それは違います。ここです」
白波に案内されたのは駅構内にあるドーナツ店だった。
改札を出て正面にあるが、平日の夕方には人が少ない。
「新作が出たんです!」
普段よりテンションの高い白波に新鮮さを感じつつ、俺も店内へ入っていく。
誰もいないのでテーブル席に腰掛けて、お互いに食べたい品を購入した。
「いただきまーす」
俺が戻るよりも先に、白波は宇治抹茶を練り込まれたドーナツを手に取って口へ運んでいく。トレイには他にも四つのドーナツがあった。
「おっ、それ美味しそう」
「なら、わけっこしましょうよ。私もよくするんです」
「いいね、しようぜ」
紙ナプキンでうまく分け、お互いのトレイに戻す。
白波は小さく開けた口の中に、次々と運んでいた。
二つを食べ終えたところで「あれ」と手を止めた。
「私、先輩とここに来たことありますよね?」
ふとした疑問だった。
俺は白波とこの店に来たことはない。
それでも白波が俺と衛藤を置き換えているのなら、初めてではないと感じるはずだ。
「そうだっけか」
曖昧に言葉を紡ぐ。
「女子とは来たことないの?」
俺の問いに白波はムッと顔を顰める。
「女子ならいますよ。馬鹿にしないでくださいっ」
「クラスの子とは仲良くやれてる?」
「はい、心配されなくても良好です。今日はお昼も一緒に食べました」
「これまでは誰と食べてたの?」
「え、先輩と食べていたじゃないですか?」
「俺は違う学年じゃん。白波は教室で食べていただろ?」
「あれ、ほんとうだ。んー?」
俺と衛藤を置き換えているとはいえ、どこかで矛盾が生じる。
学年の違い、性別の違い、人間性、性格と、俺と衛藤では異なる点が多い。
だからこそ、そこに付け入ることができる。
「えっとですね。……ん?」
質問に答えようとした声が途中で行き詰まる。
すると、すぐに顔に困惑が浮かんできた。
なぜ、すぐ分かるはずの質問に答えることができないのか。
一人で食べていた記憶はない。
でも、俺と食べていたわけではない。
なら誰と一緒にいたのか。
頭の中でそれを真剣に悩んでいる。眉を寄せて困っている。
「あれ、誰でしたっけ?」
なぜか向けられた疑問に俺は静観を貫いた。
白波は問いかけてきながらも自分の頭も働かせている。
でも解は導かれてこない。
「まあいいや。食べようぜ」
「え、はい」
困惑に食欲が打ち勝ち、白波はドーナツに意識を戻す。
それでも分かるはずの内容が分からないことに動揺が見え、滴り落ちる前髪が表情を隠していた。
「そういえば、今日はヘアピンしてないの?」
「え、ああ、そうですね。持ってきてはいますけど」
そう言って、鞄からシルバーの髪留めを引っ張り出す。
「やっぱりまだ慣れなくて、おでこが見えていると恥ずかしいのもあるので」
「なら耳元に垂れてる髪をまとめてみたら?」
「え、でも先輩が絶対に目元を見せた方がいいよって言ったんじゃないですか」
「……。そうだっけ?」
「えぇ、買うときに話したじゃないですかぁ」
これもきっと、衛藤との間であったやりとり。
「でも前髪を流したほうが表情は伝わりやすいかも。あと芋っぽくなくなる」
「え、私の顔色悪いですか?」
「芋っぽい色ってわけじゃないからな」
白波に笑っていると、店内に高校生のカップルが入店してくる。
同じ高校ではないので、二人は俺たちを気にかけることなく奥の席へ行ってしまった。
それを見つめていた白波は、
「いいなぁ」
と小さくつぶやく。
どこかで同じような場面を見た気がするが、俺はけっと息を捨てる。
「そうか? くだらねえ羨ましい」
「高校生だなって感じがしていいじゃないですかぁ。羨ましいです」
「そういえば、そういうところは女子っぽかったな」
「私、そういう話とは無縁だったので、だからその反動かもしれません」
恋する乙女のように目尻を下げる。正確には恋に恋する乙女だけど……。
「本当いいなぁって。すごく憧れます」
「周りの子はよくそういう話をするのか?」
「はい、みんなしっかり恋愛してきたみたいで。私はいつも聞いているだけですけどね」
屈託のない笑みが、心の失念を埋めるように俺の中に踏み込んでくる。
綺麗で、それでいて可愛らしい笑顔が眩しく映し出される。
白波琥珀は女の子だ。
それを彼女の笑顔が教えてくれる。
「あ、でも変な話も聞きました」
「変な話って?」
「クラスの女の子で、男子に色目を使っているって言われている子がいて」
「……」
「女の子にはキツくあたって、男子には笑顔、みたいな」
誰かから噂を聞いた白波は、いつもと変わらない面持ちで教えてくれた。
「白波はどう思うわけ?」
「なんだか同じクラスの子と喧嘩してから噂が流れたそうで。私の周りにいる子は作り話だと思うって言っていましたけど、そんな噂を作られるのは可哀想ですよね」
他人事のように、パクリと普段の要領でドーナツのかけらを咀嚼する。
「私は笑わないよりはすごく魅力的だと思います」
「白波は、その子のことを知らないのか?」
「知らないというか、どの人かはあまりピンときていなくて」
「知ってるよ。白波は」
白波には衛藤を思い出してもらわないといけない。
適切な方法なんてない。
力ずくでもなんでもいい。
行動しないことには進めない。
「ずっと近くにいたんだよ。白波の隣に」
「え?」
「衛藤は、」
名前を出したときだった。
「ダメですよ」
そんな声に制止を余儀なくされる。
「私は美空さんが好きなんですから」
声の主である衛藤は、平然と白波の隣に座った。




