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感情の在処

 次の日、衛藤が数人の女子生徒と歩いているところを見かけた。

 その中に白波はいないが、仲良さげに笑顔で歩いていく姿には不穏な空気は流れていない。一緒に歩いている女子生徒からも、悪く思っている空気感は流れていない。傍から見れば、『ただ仲のいい女子グループ』だ。

 その日の終礼が終えて校舎を出ると、朝とは違う一年生グループを見つけた。

 楽しそうに談笑する白波は、今朝に見た衛藤と同じで友人同士の距離感に思える。

 そこに衛藤の姿はなかったが、あらかじめ設定されたグループかのように、白波はグループの雰囲気に遜色なく振る舞っている。前に教室を訪れた時と同じで、前髪をヘアピンで留めていた。


「あ、先輩」


 そんな中、白波が俺に気が付いた。

 一人で体の向きを変え、一緒にいた三人は俺の存在を気にしながらも談笑を装っていた。


「表情が普段より明るいから気付かなかった」

「ふふん、かくれんぼは昔から————」

「で、どうかした?」

「え、どうしたって。あれ、どうして声かけたんですかね?」

「いや知らねえから……。俺がお前の思考を知ってたら怖いだろ」

「あ、確かにっ。怖いです。やめてください」


 白波は後ろを振り返り、「ごめん、先に帰っていていいよ」と三人に告げた。

 三人は驚いた視線の他に妙な期待と生温かい好奇心でその場を去っていく。


「すみません、いきなり」


 なぜか謝罪をされる。


「どうして先に行かせたんだ?」

「へ、……あ、そうだ。先輩には履歴書を書くのを手伝ってもらいたくてぇ」

「嘘はいいよ。本当は?」

「こ、これまでに何人の男子と付き合ったのかって話になったので。その、逃げたくて……」


 おずおずと目線を泳がせている。

 白波が異性との関係に疎いことは、容姿からは想像もつかない。

 付き合ったことがないなら告白されたことは? 

 という話題に発展することもあるはずだ。それを察したうえで逃げてきたらしい。


「私って、先輩とずっと一緒にいたとはいえ、異性の話って疎いじゃないですか」

「え、そんなに長い付き合いだっけ?」

「はい、十分長いですよ」


 まだ二週間にも満たないけど、白波には長く感じていたらしい。

 よく分からないけど、白波琥珀という人物そのものが謎だから仕方がない。


「でも、私が疎いのは変わりないので」

「まあ大丈夫だと思うけどな」

「ええ、無責任……。だ、だってドーナツの中にエリンギがあったら冷めるじゃないですかぁ」

「何言ってんの」


 この場合は白波がエリンギになるのか。もう考えるのはやめよう。


「でも、本当に仲良くしたいなら、それも素直に言った方がいいぞ」

「え、エリンギですか?」

「違う、異性の話だよ。恋愛に疎いから友達やめよ、とか思やつはいないって。だから気にし過ぎ」

「べ、別に気にしてはないですけどっ」

「見栄を張るところじゃない。それよりさ、」

「……?」


 話題を変えようとしたが素朴な白波の表情を見ると我にかえる。

 衛藤の気持ちを尊重するなら、俺が手を加えることはお門違いかもしれない。

 そもそも衛藤のことを話しても、それが余計に白波の負担になることもある。

 白波が自分で人間関係を作り上げているのに邪魔はしたくない。


「いや、やっぱりなんでもない」

「そうですか?」

「ほら、戻って正直に言ってこいよ。私は男子ともろくに話したことなくて、運動はできるけど数学ができない文武片道の世間知らずですけどよろしくお願いしますってな」

「むかつきますけど行ってきます。さよなら!」


 白波はぷんすかと怒りながらも小走りで三人に混ざろうとした。

 ただ振り返って、言う。


「あ、今週は一度もご飯を食べてないので、明日は一緒に食べますからねっ」

「……は?」


 最後にそう言い残して、白波はグループに加わる。

 俺との関係を勘ぐられているのか、すごい剣幕で手と首を横に振っていた。


「一緒にって、俺と……?」


 何を言っているのかは分からない。それはいつも通りだ。

 呆れながらも、視線で追っていると感じるものがあった。

 二人とも、それぞれで送っている学校生活は傍から見れば充実している。

 衛藤は白波への気持ちを忘れたことで棘を失った。白波は話してみると愛嬌がある。

 二人きりでいたからクラスメイトと距離があったけど、二人が離れることで簡単に友人を作っている。

 距離が離れた二人が、互いに新しいコミュニティに加わる姿が純粋に寂しく思えた。

 それにしても衛藤はともかく、白波はどうして衛藤と話そうとしないのか。

 長い時間を過ごしてきた二人の終焉としてはあっさりと進んでいる。


「……」


 薄らとしたモヤが徐々に濃くなっていく。

 それは衛藤に抱いていた違和感と似ていた。


————全部、無くなっちゃえばいいのに


 ふと、衛藤の言葉がよぎった。

 口にした逃避を催す言葉。

 衛藤の白波への気持ちは薄まっている。その穴を埋めるために俺へ好意が生まれ始めていた。

 それが思念性プラシーボだと思っていた。

 でも全部……、全部って、どのことだ……。

 考えるほど、嫌な汗が体表に滲んでくる。

 体内で生成された熱が深部にまで到達して精神に熱い衝動を急き立ててくる。


「白波っ!」


 名前を叫んだ。

 響き渡る声音に周囲の生徒は顔を顰める。

 ただそんなこと関係なかった。

 白波はまた周囲の子に断りを入れて、拗ねたような表情で距離を縮めてくる。


「きゅ、急に叫ばれると怖いですよぉ」

「衛藤のこと、忘れているのか……?」


 それは反射に近かった。

 自分の内部から言葉が割って出てくる。


「衛藤を、衛藤のことを忘れたのか⁉︎」

「えとう……?」

「……っ、衛藤だよ、中学も一緒で、部活も一緒だったんだろ?」

「えっと、同じ中学で部活も同じって、それは先輩の話じゃないですか?」

「……は?」

 

 言葉が堰き止められる。

 その隙間に白波は首を傾げていた。


「え、だって、中学の部活も、入学する高校も、先輩がいるから一緒にしたんですよ?」

「何を、言ってるんだよ?」

「私、今の子達と仲良くなるまでは先輩しか友達がいないですもん」


 淡々としていて、あっさりとした口調。

 まるで事実を語っているかのよう。


「俺だけ……?」

「え、はい。大丈夫ですか?」

「……だい、じょうぶ」


 力尽きて、たどたどしく言う。


「先輩、最近おかしいですよ。前だって、私とお揃いってヘアピンを買ったのに、よくよく考えると先輩にヘアピンは必要ないじゃないですかぁ」

「……」

「もう行きますからね。話があるならまた夜に電話でお願いします」


 白波は俺を映していた。

 過去の出来事に俺を投影していた。俺にはない記憶を。


「あ、はは、まじ……で?」


 怖かった。強引に笑みを作らなければ精神を保てそうにない。

 培っていた記憶が、過去が、思い出が、書き換えられている。


————白波は、衛藤と俺を置き換えている


 頭の中で反響して、背中を見届けることもできていなかった。

 白波も幸せに過ごしていて、衛藤も白波のことを考えなくて済む。

 走り出したトロッコは、白波琥珀の記憶を犠牲にした。

 その代わりに、衛藤小豆が幸せになる道を残した。

 これが、衛藤小豆が考えて導き出した答え。

 それなのに、二人が幸せになるはずの世界が良い世界には思えなかった。


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