世界との向き合い方(3)
戦利品のない買い物を終えると、俺と衛藤は大分駅の屋上庭園に足を伸ばした。
旧大分駅舎にもあった鉄道神社や、ぶんぶん堂と呼ばれる小ぶりな五重塔があり、庭園の要素は皆無に思えるが屋上庭園だ。大分市が言うなら、屋上庭園だ。異論は許さん。
ただここからは大分市街の景色と別府市方面にある鶴見岳の二つを同時に楽しむことができる。赤に染まった太陽は鶴見岳の方向に傾いていた。これだけで屋上庭園というタイトル詐欺を許せてしまう。
「ここ、すごく綺麗じゃないですか?」
黄昏に吸い込まれるように体は手すりに寄りかかっている。
「私、こういうロマンチックなのが好きなんですよ」
「今まで景色が良いとか分からなかったけど、ちょっと分かるかも」
「ですよねっ」
俺も手すりに体重を預け、見惚れるように目を休めた。
言葉にできないが、視線を釘付けにする魅力がある。
「あっちの坂をぐわーっと行った所にある温泉からは、すっごくいい景色が見られるんですよ。キラキラした別府湾が一望できるんです!」
「へえ、それは良いかも」
「すっごい綺麗ですよ?」
衛藤は笑顔で話していた。
横目に顔を見つめると、衛藤は気がついて微笑み返してくる。
「……」
衛藤小豆は自然に取り繕うとしている。自分の辛さも悲しみも全てを隠して。
それだけの決断はどれだけの苦悩かを知らない。
俺がただできるのは見守ることだけだ。
「今度、私と一緒に行きませんか?」
衛藤が言ってくる。
「行くってどこに?」
「さっき言っていた別府湾が見えるところです。私の一番好きな所なんですよ」
「えー、でも山なんだろ?」
「ちょっと坂があるだけなので大丈夫ですってぇ。それに私は友達もいないですし」
「悲しい誘われ方だな。でも衛藤はなんだかんだで友達ができると思うよ」
「ええ、そうですかね。でも、私は美空さんと行きたいけどなぁ」
「行くのはいいけど、また今度な。今からは流石に体がもたないし」
「ほんとですか。やった、約束ですねっ」
その場で跳ねるように喜んでいる。
そこに嘘はなく、ありのままで話しているようだった。
「絶対に美空さんも綺麗って思うので期待しておいてくださいね?」
「……」
ふわりと三つ編みが揺れて、衛藤は切ない笑みを作り出す。
景色を刻んでいた俺でも些細な変化に気づいた。
どこか感情を置き換えたかのような雰囲気が口調に込められている。
「ねえ、美空さん」
少しだけ空気感が変わった。
重いわけでもなく、緊張感が周囲に広がる。
その時、俺はあることがよぎった。
でもそれは間違えだ。
だって俺は衛藤の感情を知っている。
「私と、お付き合いしませんか?」
ただ易々と思考を覆してきた。
「……」
息を呑み、俺は衛藤を見つめ返す。
純情な瞳が、上目に俺を捉えて返事を待っていた。
ああ、そうか。そういうジョークか。
そう思うと急におかしく思えて、俺は肩をすくめた。
「それが本気だったら、ちゃんとフってやるよ」
「ええっ、フられるのは確定なんだ⁉︎」
「今よりも良い女の子になったらなー」
「じゃあ良い女になってリベンジします」
そう言って、歯を見せて衛藤は笑った。
やっぱり、今日の衛藤は機嫌がいい。
別人と話していると錯覚がするほどに、方向性が掴めなくなっていた。
今の告白も、半分が本気だと思う。もちろん、俺が好きってわけじゃない。ただ強引に男子と交際することで、何かを変えようとしている。もし俺が間違って了承していたら、彼女は舵を強引に変えていたかもしれない。
今日の言動で、いくつか外堀を埋めるようなことはあった。
「……」
でも、何かを見落としている。
今のは本当に冗談だったのか……。
「衛藤は、」
そう考えたとき、口はすでに動いていた。
先ほどとは違う緊張が体に付き纏う。迷う脳内は完全に理性を失っている。
「俺のことが好きなのか……?」
自分でも理解が追いつかない。
それでも俺はそう聞いていた。直感が囁いてきた。
「ええぇ、今さっき告白を断った相手に確認しますか?」
「あれは、本気だったのか?」
確認のつもりだった。
衛藤と知り合ってから、白波のことを想う気持ちを幾度となく思い知らされた。
だから本当に確認でしかなかった。
でも、衛藤の表情や所作は、恋する乙女そのものに思えたのだ。
今も、浮かれた少女のように気恥ずかしそうにはにかむ。
「正直なところ、分かりません」
「分からない?」
「ただ、告白は本気のつもりでしたよ?」
「……っ」
「あ、今のはドキッとしました?」
弧を描いた唇がイタズラに歯を見せる。
「なら、白波は……、白波のことは?」
問いかけた瞬間、衛藤は表情を無くした。
それは地雷ではなく、自分でも状況が掴めていない。そんな表情。
ただすぐに笑顔が咲いてくる。
「琥珀は、友達ですよ」
「友達って、そんな簡単に」
「不思議ですけど、今は本気でそう思えている」
「……本気か?」
「本当に、分からない。でも、今は美空さんが気になっている自分がいて」
あれほどの思いが、簡単に変わるとは思えない。
なら、これも思念性プラシーボが関係しているのか……。
分からない。唯一分かるのは、衛藤が本音を語っていること。
感情は本人しか確認できないが、衛藤が嘘をつく理由もない。
彼女の性格から考えても、冗談で口にする重量でもないはずだ。
「でも、思うんです。まだ完璧に完成された感情じゃない。けど、」
胸元に添えられた手が強く握られる。
涼やかな顔色は口端に弧を描く。
「不思議と、美空さんを好きになりそうです。これは嘘じゃなくて、本物の感情になってきてる」
衛藤は笑った。綺麗に、屈託なく。
感情されも、塗り替える。
衛藤小豆の感情は、少しずつ楽な道へと移行を始めていた。
「このまま、私に美空さんを好きにさせてくれませんか?」
感情の重みは、往々にして当人よりも客観している人間の方が正確に測れてしまう。
未来の解釈の置き換え。一つの未来に選ばれているのは客観した結果だ。
衛藤は新しい世界を作っていた。
白波琥珀に向けていた感情を、乗り越えるための世界を。




