普通の押し付け(1)
休み明けのざわめきが廊下に残っていて、人の流れだけが平日へ引き戻されていく。
昇降口を抜けたところで、ふと足を止めた。
先週、風邪で休んでいた衛藤が、廊下の向こうを歩いていたからだ。
目が合うと、気づかれたことを知って口元を緩めて寄ってきた。端的な会話を済ませ、下足室で靴を履き替えていると、衛藤とは自然とはぐれた。
衛藤の無事に安心したのも束の間、昼休みには日常は消え去った。
「美空?」
蒼が教室までやってきて、不安そうな顔で俺を呼ぶ。
瞳を各地に寄らせ、動揺したまま唇を動かしていく。
「前に美空と歩いていた一年生が喧嘩しているよ?」
蒼に場所だけを教えてもらい、俺は一人でその場所へ向かった。
三階の西側にある扉を開けて、外階段に出る。すると上の方からすぐに女子の声が聞こえてきた。
「でも、私はもう少し言い方があると思う……」
喧嘩と言っていたが、思っていたより穏便な声質。
聞こえてきたのは白波の声だった。
蒼が言うには上には衛藤もいるはずだ。
俺は二人の姿が見えない場所に腰掛け、そっと耳を済ませた。
「じゃあ、琥珀ならなんて言うの?」
平然を取り繕った衛藤の声が聞こえてくる。
途中から聴き始めたので議題が何かは分からない。ただ内容は穏便ではないと悟る。
「なんて、って。それは……、わからないけど」
「食べたくないから食べたくない。それだけを言っただけだよ?」
「でも、」
「興味がないから知らない人とは食べたくない。違う?」
「私たちと仲良くしたいって言ってくれているんだよ。それを興味ないって理由で断るのは、違うと思う……」
食べる食べない。おそらく昼食の話だ。
衛藤と白波に、同じクラスの誰かが一緒に食べようと持ちかけたのだろう。
でも衛藤は断った。その断り方にもう少し他の言い方があっただろ、と白波が問い詰めていたのか。
ということは、よほど愛想のない言葉だったのか。今でこそ、衛藤は俺に対して最低限の愛嬌を持っているけど、話した当初はひどいものだった。それを向けられたとなると、ムカつく人がいるのも頷ける。
「興味のない人と一緒に食べて、気まずい空気が流れるよりは、私は一定の距離をとった方が楽でいい」
「今は興味がなくても、これから出るかもしれないじゃん」
「出ないよ」
ひどく冷たく、素早い返しだった。
この場の空気をがらりと変えてしまうような口調。
「琥珀にも、そうしろって強要しているわけじゃないよ。だから琥珀は昨日と一緒であの三人と食べてきたらいいよ」
「でも、」
白波の返しに合わさって扉が開く音がした。
小さな足音と共に、「ごめん、少しいい?」と新しい声が加わる。
「えーっと、ごめんね。急に誘っちゃって」
その声の主は、場を治めるように寛大な声で口にした。
ただ二人が何も言わないので静寂とした空気が誘った当人らしき彼女を出迎える。
「なんていうかさ、二人は二人なんだけど、孤高というかね。高嶺の花って感じがしてさ。良い意味で関わったらダメーみたいな空気がクラスにあって。でも、衛藤さんが休んでいるときに白波ちゃんと話したら案外気が合っちゃってね?」
弁解のように舌が回っている。
「だから誘ったんだけど、……ダメ、だったかな?」
寄り添った声音は衛藤の様子を窺っていた。
「ダメじゃないよ。でも、琥珀だけでいいよね」
優しさをかき消すように衛藤の冷たい声が流れる。
「琥珀は一緒に食べたいって言ってる。だから琥珀を誘ってあげてよ」
「え、えーっと、衛藤さんも……一緒にどうかな?」
「私はさっきも言ったけど、興味がないし意味もないから食べない。だから琥珀だけを誘えばいい」
「それは、そうなんだけど。でもやっぱり二人と一緒に食べたいな、というか。まあ、それは無理なら良いとしてさ、……断るなら断り方も考えて欲しかったなーって?」
「断り方?」
口先の方向が変わった。
隠してはいるが女子生徒にも少しずつ苛立ちの情が芽生えつつある。
「確かにしつこく誘ったのは私たちだけど、興味ないとか、意味がないって言うのは違うかなーって。それも教室でみんなが見ている中で言っちゃうとさ、恥かいたって思っちゃう人もいるだろうからさ?」
「なら用事があって。の方がよかった? それとも人に食べているところを見られたくない。とか? そういった言葉の方がお気に召した?」
「いや、だからさ……」
「好きな俳優とか、好みの男性像を教室の中心で騒がしく話すのは私には合わないし、興味がないの。だから中村さんたちと話していても楽しくない。それが理由」
「そう、かもだけどさ。なら衛藤さんが話したいことを話せば良いじゃん」
「それをずっと出来るの?」
「ずっとは無理だけどさ。ほら、みんながみんな、自分の話したいことだけを話しているわけじゃなくない?」
「うん、だから無理なんだよ」
衛藤が低い声音であしらうように言い切る。
そして嘲笑するように続けた。
「琥珀は優しいから誘いを受けようとしている。私は性格が悪いから誘いを断る。なにも、琥珀にあなたたちと話すなって強要しているわけじゃないよ。私が話すのが嫌なの。だから、あなたたちは琥珀を誘って、私は一人で食べる」
ただそれだけのこと。
そう言って、間を作らずに続ける。
「思考が合わない同士で無理に居場所を作ることがそんなに大切とは思えない。時間の無駄」
「……」
女子生徒から言葉は生まれない。誰も衛藤に反論の術がなかった。
俺が当事者として話に加わっていても反論ができていないはずだ。
衛藤の考えはそれほどまでに偏っていた。
それでも頭の中では衛藤の苦しむ姿が膨らんでは萎んでいく。
俺は衛藤がクラスメイトを拒む理由を知っている。
ただ全員が衛藤の境遇を知っているわけではない。
だから衝突は不思議なことではない。
「……普通に二人と話したいって思うのはダメなんだ」
女子生徒も口調を低くする。
「どうして?」
「いつも二人きりでいるから関わってみたい。本当はどういう人なのかを知ってみたかった。それだけ」
「私たちを内輪に入れて、自分たちを良い方向に進めようとしているだけじゃなくて?」
衛藤の言葉は半笑いで鋭利に告げられた。
その鋭さは増していく。
「高嶺の花って言っていたもんね」
空気を塗り替える声音が、核心をつくように進む。
良くない。そっちに進んでしまったら取り返しがつかない。
それでも、衛藤にブレーキは効かない。
張り詰められた感情が理性を上回っている。
「だから私たちを使って、男子からの視線を浴びたいんだ?」
「……そんなこと思ってない」
「結局は、自分たちの教室での地位を高めようとしているだけだよね。誰も近づかない人たちが私たちとは仲がいいって思わせたい。違う?」
「いや、どんだけ自意識過剰なの。普通に怖いんだけど」
「そっちが言ってきたんでしょ。高嶺の花って」
嫌悪感が仮面をつけず、お互いに素で晒される。
きっと上では二人が睨み合い、殺伐とした空気が漂っている。
「私さ、衛藤さんに何かした?」
「心当たりがあるの?」
「ない。でも、明らかに態度がおかしいよね」
「じゃあ教えてあげる。何かしてるよ」
「なに?」
「私に話しかけてきた」
「それだけでこんなに突っかかってくるのおかしくない?」
「私からすれば、そっちが素直に引けばいいだけだよ。断られたなら諦めたらいい」
「前から思っていたけど、他人には厳しく当たるよね。何かあったわけ。押し付けないで欲しいんだけど?」
少し大きめな態度が女子生徒をまとった。
衛藤はすぐには返さずに、間を置いてから言う。
「それ、関係ないよね」
「中学生の頃も、当たりが強くて周りにもよく思われてなかったらしいね。本当にその通りなんだね?」
「……はあ」
衛藤の取り繕っていた声音が沈む。
味をしめたのか、嬉しそうに女子生徒の声は弾む。
「結局は、衛藤さんの方こそ白波さんと仲良くして注目されたいだけじゃないの?」
空気が重い。衛藤からの滲む不穏を肌に感じた。
ただ女子生徒は続ける。
「ほら、白波ちゃんに声をかけようとする男子に割って入ってまで遮ってさ。最近は男子のことも無視しているけど目当てな人がいなかっただけ?」
「そんなの興味ないけど」
「なら間を取り持つ意味なくない? いつも白波さんと一緒にいるのって————」
二人の衝突は明らかだ。隠す素振りもない。
その時、
「あの、」
申し訳なさそうな声が挟まれる。
静観を貫いていた白波の声だった。
「ごめんね。とりあえず今日は別々に食べない?」
これから展開を予測したのか、穏やかな口調で言った。
白波の言葉がなければ二人はさらにヒートアップしていたはずだ。
「……うん、ごめん。関係ないこと言った」
空気を変える提案に女子生徒は間をとってから素直に非を認める。




