夜道のアドバイス(2)
会計を済ませると、生ぬるい空気を含んだ外へ出た。
高校生が店を追い出されるギリギリの時間ということもあり、見上げた星座は煌めいていた。
「ちょっと歩きませんか?」
「まあ走る気分でもないからね」
「散歩しようって意味。めんどくさいなぁ、この人」
県道とは反対側に出て、平和市民公園へ向かっていく。
公園の中では大学生のグループが大きな声で談笑して固まっていた。
「蒼が言っていたよ。絵馬が一緒にいた一年生のよくない噂を聞いたって」
千草さんが滔々と言葉を紡ぐ。
学校ですれ違った時に後ろにいた一年生から聞いたのだろうか。
「噂話を俺に言わないあたり、あいつも意外と人ができていますね」
「好きでもないのに付き合って、男をたぶらかして弄んでいる悪女。ってね」
「詳しい内容まで言っちゃうあたり、あんたは人ができてねえな」
本人の事情を知らなければ、悪いように信じていたかもしれない。
こういう人が誤った噂話を広げていくのだと、目の前の人を見て達観してしまう。
「それで、絵馬は何を話したかったの?」
言いかけて、少し踏み止まる。衛藤のことを誰かに話してもいいのだろうか。
千草さんが誰かに広めることを疑っているわけではなく、許可もなく他言する自分が嫌いになりそうで、俺は事実をそのまま口にすることを見送った。
「トロッコ問題ってどう思いますか?」
「トロッコ問題?」
制御不能になった列車が通常の路線を走って五人を轢くか、それとも分岐器を使用して別路線にいる一人を犠牲にするか。一人の命と五人の命を天秤にかける問題。
千草さんも問題自体は知っているようで、不思議そうに首を傾げてくる。
「どうして急に?」
「何をしても良い方向に進まない。そういう時はどうしたらいいんだろって思って」
「なに、絵馬は人生相談がしたかったの?」
「いえ、単純に聞いてみたくて」
白波の願いに沿うのか、それとも衛藤の意思を尊重するのか。
それらを隠して問うてみたが、淡々と口を動いていく。
「私なら全員の命」
「問題の趣旨を理解していますか?」
「良い方向に進まないなんて、そんなことありえないよ」
「それでも良い方向に進まないとしたら?」
「絵馬は質問が下手だね?」
千草さんは、得意げにへらっと笑った。
「どちらを選んでも良い方向に進まない。思念性プラシーボのことでしょ?」
「……なんで分かんの?」
「必然的にそのジレンマに落ち着くんだよ。この現象は」
その結論は理解ができた。
今を変えたからといって、未来が塗装された道になるとは限らない。
現状から逃避しても、新しい道に試練があるのは当たり前だ。
「男子を認識できていない子に、本当に何も悩みがないなら、周囲の誰かが彼女を巻き込んで影響を与えているんだろうね。たとえば、同性からの嫉妬。もしくは、その子のことを好きな子が悩んでいる……とかね」
「あんた、首筋に麻酔針とか刺さってない?」
「心当たりが全くない思念性プラシーボの子。その友達と出掛けている時点で何かあるって察するよ」
思い返せば、本屋で衛藤といるときに千草さんから声をかけられた。
男子が認識できていない子の友人とだけ知らせたが、あの時から勘づいていたのか。
「絵馬は何を悩んでいるの?」
「俺は、二人が幸せになる方法を探したい」
「自分勝手な理想だね?」
衛藤の気持ちも透けて見えている以上、俺は隠すことなくすべてを伝えた。
言葉にするごとに、駅前の喧噪が遠のいていくような気がした。
でも現実を取り戻すように、俺ははっきりと言う。
「理想でもいい。ただ俺は衛藤を納得させたい」
「それを衛藤小豆が望んでいなくても?」
「なら望む方法を探したい」
「どうして絵馬がそこまで肩入れをするの?」
言いながら値踏みするような視線が刺さる。
「知り合ったばかりの女の子。助ける道理もないよね」
「俺は千草さんと違って優しいからなぁ」
「まあ概ね、予想はつくけど」
彼女の視線は耳元に寄せられる。
「絵馬の場合、思念性プラシーボは他人事には思えないよね」
「……」
「ジレンマの結果、絵馬はピアスを外さないもんね?」
「今はそういう話じゃないけど」
無粋な質問だったね。と千草さんは空笑いを浮かべる。
それを無視して、俺は問いかける。
「それで、何か案をご教授していただけると助かるんですが」
「そうだね、ゴールを変えると選択肢も増えてくるよ」
「ゴール?」
「例えば、衛藤小豆が絵馬に好意を向けたら良い」
淡々と、でも重みのある言葉を口にする。
「それで、すべては丸く収まるよ」
「……その発想はなかった、けど」
「衛藤小豆は自分が思い描く普通になれて、白波琥珀との関係性も崩れない。そうでしょ?」
「そうですね、その案は採用できないだろうけど」
「参考になった?」
「全然なってねえ。はあ、もう少し自分で考えてみます」
それがいいよ。千草さんはふわりと笑って、それから世間話を始めた。
他愛のない話のおかげで、千草さんの家に着く頃にはすっかり頭は軽くなっていた。
俺に衛藤の行先を決める必要はない。
仮に人の言うことに従って後悔したとき、衛藤は他者を責めることはしない。
それなら自分で考えて後悔した方がいい。
なら俺が手伝えることは衛藤が道を外したときに導くことだ。
自分で考えることができるように、自分の納得した環境になるように滞った考えを払拭させる。
衛藤の世界は、衛藤を中心に回っている。
だから本人が納得する世界を、彼女自身に考えさせる。
「……本当に理想だな」
頭で考えるほど、簡単なことではない。人生が思い通りにならないことは周知の事実だ。
その事実は、突然と襲いかかってくる。
衛藤が体調を崩した水曜日。
あれから衛藤は風邪をこじらせて、木、金と学校を休んだ。
たった二日間。それは高校生にとっては十分すぎるほどに長い時間だった。




