だから白波琥珀は初々しい
人為的に作られた校舎は、足を繰り出すごとにかちかちと時計が鳴いていた。
見慣れた天井の汚れや廊下の端にたまる埃は今日も目についてしまう。いつもは聞こえてこない音が聞こえてくるわけでもなければ、新しい発見があるわけでもない。
階段を上り終え、奥にある教室へ向かう。
正面には外階段へ繋がる半透明のガラス戸があり、扉にはわずかな隙間があった。
よく見ると、扉の奥からこそこそと誰かが中の様子を伺っている。
「……あいつ、何してんだ」
白波だ。外階段から校舎内の様子を挙動不審に観察している。
俺を見つけると校舎内に入ってきた。
「あ、先輩。やっと見つけました」
「出来れば見つかりたくなかった」
「ふふん。私、かくれんぼは見つかったことがないのでっ」
「そっか、それはすごいな」
その自慢が有効化するのは隠れる側だけどな。
「……」
白波と言葉を交わしただけで周囲から視線を感じた。
中身はどうであれ美人は美人だ。教室前で話しているだけ視線を集める。
俺が外に誘導すると、ほいほいと白波は付いてくる。
「二年の教室まで来てどうかした?」
「実は先輩に話があって」
「ん、何か気になることでもあった?」
「いえ、そういうわけでは。ただちょっと気になることがありまして」
なんで否定されたんだよ。会話ってここまで難しかったのか。
「脳内の細胞が極端な考え方に走ることで起こる一種の防衛反応。これって原因が私にあるってことですよね?」
「あ、一昨日の話?」
「はい」
正確にいえば、白波と断定できない状況になっている。
巻き込まれている可能性があるけど、混乱を招かせる必要もないので「そうかも」と言っておく。
「実は思い当たるところがありまして」
「え、なになに?」
「私、実は数学が苦手なんですっ」
「多分違う」
「ええ……、じゃあ履歴書————」
「絶対に違う」
兎にも角にも、白波には思念性プラシーボを引き起こすストレスはなさそうだ。
なら、今は少しでも不安を感じさせない方が良いか。
「でも、不安がないなら、それはそれで良いことなのかもな」
「え、どうしてですか?」
「白波に問題があるって決まったわけじゃないだろ。俺だけが見えるってことは、俺に原因があるのかもしれない」
「でも、先輩にも悩みがあるようには見えないです」
「あれ、せっかく庇ってあげたのに……」
「先輩はのうのうと生きていそうです。なので悩みはありません!」
なんで追撃と断定までされてるんだよ……。
「あのなぁ、衛藤もだけど、最近は俺を見下すのが流行りなのか?」
「いえ、先輩が流行になるほど女子高生は暇ではありませんので。あっ、小豆といえば、昨日一緒に夜ご飯食べに行ったんですよね?」
「話が伝わるのが早すぎるだろ、女子高生」
どうして女子高生はこんなにもゴシップが好きなんだろ。ゴシップを書いた紙を木に貼っておけば女子高生が集まってきそうだ。カブトムシかよ。
「小豆が電話で色々と話してくれて」
「具体的に聞かせてくれ。女子から見た俺のエスコート評価を知りたい」
「先輩は付き合った人を不幸にしそうって言っていました。あの人はやめとけ、とも」
「昨日の時間は悪口しか生まなかったのかよ。先輩ちょっと悲しいよ」
「あ、でも、意外と倫理観と常識は兼ね備えているって褒めていましたっ」
それ褒めてない。いたって普通のことだし。
ただ俺のことを悪く言ったのも、興味を向けさせないための策なのか。それとも本当に付き合った人を不幸にしそうと思ったのか……。え、どっち。普通に気になる。
「もしかして先輩は、小豆のことが好きなんですか?」
「……はあ?」
突然の問いかけ。
からかいや軽蔑の意味が込められていない無垢な瞳に本気で顔を歪めてしまった。それでも引き下がることなく、白波は一人で頬を赤くしている。
「小豆のことが好きなんですか?」
「いや、聞こえてるっ聞こえてるっ。聞こえたうえでこの顔をしてるんだよ」
「お腹が空いたって顔をしていますね?」
「してねえよ!」
本当にないからな。そう言ってから話題を変える。
「そういう白波は恋愛とか興味あるの?」
「わっ、私ですか。ええっと、興味がないわけではないですけど、機会もないっていうか」
「へえ、興味があるのは意外だな?」
勝手に興味がないものだと思っていたけど、そういうわけではないのか。
白波はお腹の前で指先をもじもじと絡める。
「ふ、普段は一緒にいて楽しい人だけど、でも裏では相手のことも考えていて。あと一緒に悩むことが出来る優しい心もあって。辛いときには素直に甘えてくれるような人がいいです」
「いや、そこまでは聞いてないけど」
「聞いてくださいよ」
「なんでいつも聞かせたがるの?」
「はっ、もしかしたら男の人が認識できないのも、恋をしたい私の乙女としての本能が、運命の人を除いた男子を見せないように……いや、それは違いますね」
「運命の相手これじゃないよなぁ、みたいな顔すんなっ」
「これじゃないです」
「はっきり言うな……」
純粋無垢な表情にため息を溢して言う。
「それで、言いたいことは終わり?」
「あ、待ってください。まだありまして」
「なんでしょう」
「あの、」
唐突に白波が空気感を変えて言う。
「どうして、先輩は男子が認識できないっていう頭のおかしい話を信じてくれたんですか?」
「頭がおかしい自覚はあったのか」
「私じゃなくて、話のことですからっ。あと、これは真剣に聞いています」
拗ねた表情でも、真摯に瞳を細めてくる。
「先輩が小豆の言うように、倫理観と常識を兼ね備えているなら、私の話に聞く耳を持たないのが普通ですよね?」
「似たような話を知ってる。そう言っただろ?」
「思念性プラシーボ。私なりに色々と調べてみましたけど、普通に生きていたら耳にすることもないと思います」
「なら俺は普通じゃないのかも。普通ではなくスペシャルぅですから」
「……」
てっきり、辛辣な言葉で返してくるかと思ったけど、今の白波に冗談の空気感は伝わっていない。
鈍感系主人公が告白を真面目に受け取れなかったみたいな温度差がある。
置いて行かれた自分が恥ずかしく思えて、視線を景色に誘導した。
「全校生徒の前で『変態』って意味の分からないことを言っただろ。あれだけの手段に出るまで追い詰められたってことは、嘘なんて絶対にないと思った」
「でも、それは信じる理由にはなりませんよね?」
「信じたのはそうだな。白波と同じ理由かな」
「え、私と同じ理由?」
「うん」
「履歴書……?」
「まあそんな感じだ」
微苦笑を見せて目線を逸らした。白波が「まあ悩み所ですよね」と納得していたので、手を叩いて話題に終止符を打つ。そろそろ朝礼の時間も迫っている。
「はい、話は終わり。教室に戻ろうぜ」
白波の両肩を掴み、くるりと回転させて体を反対に向けさせる。
そのまま上へ追いやるように押していく。
背丈があるので他の女子とは違ってお互いの目線が近い。
それでも肩幅が狭い華奢な背中は、しっかりと女の子の体だった。




