後輩インプレッション
夕焼けの輪郭が、街の端からゆっくりと世界を侵食しはじめる。
その移ろいを、ベンチに腰を預けながらぼんやりと眺めていた。
そんな中で、不意に規則を乱す音が近づいてきた。アスファルトを叩く靴音が、夕暮れの静けさに不釣り合いなアクセントを刻む。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
鞄を背負った衛藤が、頬を紅潮させながら姿を現した。
俺の前でぴたりと立ち止まり、胸の上下に合わせて肩が小刻みに揺れている。
「ううん。そもそも集合時間とか決めてないし」
「なら良かったです。でも意外です、美空さんは何かとケチをつけてくるのかと」
「俺はどんなイメージなわけ?」
「正直でめんどうな人です」
「はっきり言うな。正直なのはお互い様だな」
衛藤はくすりと微笑むと「では行きましょうか」と背中を向ける。
「自転車じゃないの?」
俺が言うと衛藤は首を傾げた。
「登校は歩きですよ」
「俺は自転車だから、出たところでちょっと待ってて」
言い残して駐輪場を目指すが、なぜか衛藤も踵を返して後ろをついてくる。
「美空さんは自転車通学なんですね」
「歩きでも行けるけど、水泳部に陸は適してないんだよ」
「その理由はよく分かんないですけど」
「ほら、俺たちって水中でのスポーツだから肺呼吸が向いていないんだ。鯨が哺乳————」
「あ、説明いらないです。聞いてないです」
駐輪場に着くとママチャリのカゴに二つの鞄を入れる。衛藤はその様子を確認せずに、後ろから自転車を眺めていた。そんなはずはないが、初めて自転車を見たような反応。
「エンジンは積んでないぞ。店で一番安いママチャリだからな」
「一番高いママチャリでも付いてないですよ。それより、ここに跨るんですか?」
不思議そうに指をさしたのは後ろに付けられた荷台。
「二人乗りするときはな。乗ってく?」
「いいんですか?」
「いいよ。乗り心地は悪いだろうけど」
「いえ、乗りませんけど」
なら今の会話はなんだったんだよ。絶対にいらなかっただろ。
衛藤はそのまま、俺が押す自転車の後ろに続いた。
「二人乗りって犯罪らしいですね」
荷台をちょんちょんと突きながら意外そうに言ってくる。
「らしいな。夢がないよなぁ」
「でも一度はしてみたいです。どんな感じなのか気になります」
「じゃあする?」
「美空さんとはしませんよ。ウザいの移るじゃないですか」
「最近は新しい感染症が流行っているんだな。あれ、もう感染してるぅ?」
のっそりと鈍臭く進む自転車は、アルミ製なのに重い鉄の車に追い抜かされていく。
それでも、ゆっくりと歩き続けた。警察に注意だとか、車に気を付けるとか、そういった心配をする必要もないまま、コンクリートに二つの透明の轍を刻んでいく。
「美空さんってモテるんですか?」
衛藤の問いは雑で、軽い雑音のように空気に混ざる。
ちらりと横目で彼女を見れば、車道の方を向いて、そっけない表情のままだった。
聞いておきながら、答えに興味はないらしい。
そう解釈させられるのが、今日知り合ったばかりの後輩の読めないところだ。
「めちゃくちゃモテる。見りゃ分かんだろ」
「どのくらい?」
「いっぱい」
小馬鹿に、でも可笑しく笑われる。
「子供みたい。信憑性がないですね?」
「当事者が何を答えても、信憑性はないと思うけどなぁ」
「自分のことを聞かれて、どう答えるかで大体の人の性格が読めるらしいですよ?」
「なにそれこっわ。不倫を勘ぐっている嫁のやり口じゃん」
「ネットで見ました。美空さんはお調子者タイプです」
「いや知らないけど。あまり他の男子にはやめとけよ。かなりウザいから」
「う、ウザいってよくもまあ人に言えますね。ひどい……」
あれ、さっき俺にウザいのが移るとか言ってきてなかったっけ……。
「そもそもですよ。私は女子友達がいないのに、男子の友人がいると思いますか?」
「え、普通にいると思ってたけど」
「ふぇ、どうしてです?」
芯から不思議そうに衛藤が問うてくる。
「だって、話して間もない年上の男子を誘うとか珍しいだろ?」
「……そう、ですかね。人によるんじゃないですかね?」
「まあ、そうかもなー」
衛藤がそのタイプには見えないけど。その感想は留めた。
衛藤は足元の小石を軽く蹴飛ばすと言葉を紡いでいく。
「美空さんこそ、そういう恋愛経験が豊富に見えましたけど」
「あら、そう見える?」
「美空さんはヒロインのいない少女漫画のヒーローと聞きましたから」
「あいつ、そこまで影響力あったのかよ……」
少し蒼を侮っていた。やはり家庭科学年一位は伊達じゃない。
影響力はすでにゴシップ好きの主婦と同等だな。
「なので最初に聞いた時は、恋人がいないだけで他は完璧な男性なのかと」
「ああ、その通りだな。よく分かってるじゃん」
「でも話してみると、少女漫画の冒頭によくある、第一印象が近寄りがたいヒーローを比喩しただけですかね。ヒロインがいないから近寄りがたいまま、周囲にも馴染めないんだろうなーって感じがします」
「お前、絶対に国語強いだろ」
なんだろ、俺が考えたわけじゃないのに、ここまで理解されるとすごく恥ずかしい。
居た堪れない顔をしていた俺の背中を指で突いてくる。
「でも美空さんが、恋愛経験が豊富と思ったのは八割が見た目ですよ。一部の物好きな女子には人気がありそうですよね。物好きには」
「うわー、フォローになってないなぁ」
「そもそもフォローする気ないですし。だって私も似たようなこと言われたんですよ?」
「それはごめん」
くすっと衛藤が笑う。
「意外と人の心はあるんだ?」
「俺って人として認められてなかったの?」
「人の形をした『かまってちゃん』だと思ってます」
「それ、年下に言われるとすごく恥ずかしいな」
生産性もなく、意識することもないまま、言葉は自然と口をついて出ていた。
歩みのリズムとともに、少しだけ心の緊張がほぐれていく気がした。




