複雑で窮屈な世界
午後の授業は、砂時計の砂が落ち切るのをただ眺めているようだった。
放課後の鐘が鳴ると同時に、俺は机から立ち上がり、校舎の一階へと足を向ける。廊下の窓から差し込む陽は傾きかけていて、床に斜めの影を落としていた。
その影を踏みながら歩いていると、ふと頭の片隅で思い出す。
──門を出て、南側にある公園
律儀に頭を下げた後輩の姿と、最後に浮かべた策士な笑み。
「あ、美空」
不意に呼ばれて振り返ると、蒼が軽く手を上げている。
「どこか行くの?」
「バイトの下見だってさ」
「へえ。美空は有意義な放課後をお過ごしのようで?」
「蒼は有意義じゃない放課後を送ってるんだな。どんまい」
「部活だから有意義のうちに入らないかな?」
紺色の生地をしたソフト部のジャージは肌白い蒼には少し不恰好だ。アイドルの一日署長みたいに着せられている感が否めない。
「それで、誰と行くの?」
「それ、気になるか?」
「うん、気になる」
「そっか、別に教えないけど。というか聞きたいことがあるんだけど聞いていい?」
「教えてくれないんだね……。聞きたいことって?」
「あそこにいるのは友達?」
俺たちが歩いていく方向に二人の女子生徒。
蒼と同様でソフト部のジャージに身を包んだ姿はどこか楽しげに頬を緩ませていた。
視線の先には俺たちがいる。
「え? あっ、ほんとだ」
手を振る蒼に、二人はきゃっきゃと騒ぎ立てていた。
「一緒に行こー」
二人に駆け寄って蒼が提案するも、二人は「いやいや」と手を横に振る。
「お邪魔をするのも悪いし。ねぇ?」
「ねー。あ、部活部活っ、私たちは先に行っとくねー」
二人は何やら含ませた言葉で見窄らしい演技をして消えていく。
部活部活って、蒼も同じ部活なんだけど。蒼ってハブられてるのか。可哀想に。
と思うわけもなく、深く考えなくても何かを誤解していることは分かった。
蒼も勘づいたのか、秋のひまわりみたく項垂れている。
「あー、また誤解される。ネタにされるやつだぁ……」
「食堂に行ったときは気にしてなかっただろ。何を今更気にすることがあるんだよ?」
「違うよ。放課後だと本気っぽさがあるじゃん」
「高校生になってまで騒がないと思うけどな」
そういうノリは中学生に多い気がする。でも新幹線が通っていない大分県のことだ。時代と共に県民の精神年齢も遅れているのかもしれない。本当に大分県は頑張れ。
「普通は騒がれないよ」
口先を尖らせて蒼が言う。
「美空も翠も、普段は女子と関わらないでしょ。だから喋っている私が騒がれちゃうの」
「俺はまだしも、翠の場合はまた別だと思うけどな?」
「美空も美空だよ。自分から女子に話しかけないから女子は扱いが分からないんだって」
「それ、俺が悪いか?」
「世の中にある不幸は全部が美空のせい」
「なんで俺、斬首刑になってないの?」
異性との関わりが稀有な男子といるだけで、同性からの無言の視線を浴びるらしい。
その圧力の中で常に身を置いているのだとしたら、想像するだけで胃が痛くなりそうだ。
男子同士の茶化しなんて比にならない、女子の世界はもっと複雑で窮屈な世界らしい。
「蒼でも、周りの視線とかは気にするんだな?」
「気にするよぉ。いつもビクビクしてるもん」
「その割に、今も俺と歩いているけどいいの?」
「まあ色々と文句は言ったけど、美空の場合は『どうやって餌付けしたのー?』って疑問の方が多いかな。ソフト部の子はいつまでも妙に揶揄ってくるけど」
「翠の嫉妬とは違って俺は珍獣扱いかよ。爬虫類ってこんな気持ちなのか」
俺たちは歩調を合わせて下足室へ向かっていた。
下り途中の階段には靴の音だけが反響する中、会話が途切れれば妙に静かだ。
だからこそ、少し真面目なことを口にしてもいいかと思えた。
「もう一つ聞きたいことがあるんだけど」
「うん?」
「女子が男子を避ける理由ってなんだと思う?」
「え、急だね?」
短い思考を経て、蒼は顔を上げる。
「でも男子を避ける理由なんて人によると思うよ?」
「そうなのか?」
「それこそ妬みを買いたくないから口だけで言ったり、単純に生理的に受け付けないとか、必ずしも明確な言葉で説明できるわけではないと思うよ?」
人には人の事情がある。それを理解しているからこそ難しい。
「そっか。ありがと」
俺の頭の中では、言葉にできない違和感だけが靴音と一緒に尾を引いていた。




