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面涅将軍:狄青(てきせい)⑭

皇帝こうてい提案ていあん狄青てきせいこころ

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1054年(至和しわ元年)、北宋ほくそうみやこ開封かいほうは、穏やかな日差ひざしにつつまれていた。儂智高のうちこう反乱はんらん平定へいていし、軍事ぐんじ最高位さいこういである枢密使すうみつしにまで昇進しょうしんした狄青てきせいは、かつての一兵卒いっぺいそつ面影おもかげのこしつつも、威厳いげんしていた。


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ある皇帝こうてい仁宗じんそうは、謁見えっけん狄青てきせいかいっていた。仁宗じんそうは、狄青てきせいかおにある刺青いれずみめた。それは、かれつみかぶり、軍隊ぐんたい服役ふくえきしたさいられた、下級兵士かきゅうへいしあかしともいえる青黒あおぐろしるしであった。


仁宗じんそうは、やさしい眼差まなざしで狄青てきせいつめ、ねぎらいの言葉ことばをかけた。


けいよ、そのかお刺青いれずみは、長年ながねん苦労くろう功績こうせきあかしではあるが、今やけい軍事ぐんじ最高位さいこういにある高官こうかんだ。もはや、そのしるしさら必要ひつようはないのではないか? もしのぞむのであれば、すようにすればよい」


仁宗じんそう言葉ことばは、狄青てきせいへのふか配慮はいりょと、かれ出自しゅつじ気遣きづかあたたかいこころからたものだった。当時とうじかお刺青いれずみがあることは、罪人ざいにん下級兵士かきゅうへいし烙印らくいんであり、高官こうかんとしては、はじなされることもあったのだ。


しかし、狄青てきせいは、皇帝こうていおもいやりをけながらも、深々(ふかぶか)とあたまを下げ、懇願こんがんするようにこたえた。


陛下へいか過分かぶんなるお言葉ことばまこと恐縮きょうしゅくにございます」


狄青てきせい一呼吸ひとこきゅうき、かおげ、まっすぐに仁宗じんそう見据みすえた。そのには、決意けついと、そして、むねおくめたあつおもいが宿やどっていた。


「この刺青いれずみは、わたしにとって、けっしてはじではございません。むしろ、わたしのようなまずしい出自しゅつじものや、いまもなお最下級さいかきゅう兵士へいしとしてくにのためにつくしているものたちにとって、一縷いちる希望きぼうとなるものです」


かれ言葉ことばは、しずかな謁見えっけんひびわたった。


かれらが、この狄青てきせいというおとこが、かお刺青いれずみきざまれた一兵卒いっぺいそつから、陛下へいか御恩ごおんと、おのれ努力どりょくによって、この高位こういにまでのぼめた姿すがたることで、どれほど奮起ふんきし、勇気ゆうきることか」


狄青てきせいこえは、感情かんじょうがこもっていた。それは、かれ過酷かこく軍隊生活ぐんたいせいかつなかつちかってきた、兵士へいしたちへのふか共感きょうかんと、かれらへの激励げきれいおもいであった。


「この刺青いれずみがあることで、おおくのものが、自分じぶん努力どりょくすればむくわれるのだとしんじ、くにのために、より一層いっそうつくすことでしょう。どうか、このままのこさせてください」


狄青てきせい言葉ことばは、仁宗じんそうこころを深く(ふかく)った。仁宗じんそうは、かれ忠誠心ちゅうせいしんと、兵士へいしたちへのあたたかいこころ感銘かんめいけた。かれ狄青てきせい重用ちょうようしたのは、その軍才ぐんさいだけでなく、かれ人間性にんげんせい見抜みぬいていたからでもあった。


わかった、けいもうれよう」


仁宗じんそうは、静かにそうこたえた。


狄青てきせいは、深々とあたまを下げ、皇帝こうていへの感謝かんしゃしめした。かれかおのこされた刺青いれずみは、もはやつみ烙印らくいんではなかった。それは、貧しい(まずしい)出自しゅつじから立身出世りっしんしゅっせげた英雄えいゆうあかしであり、くにつく兵士へいしたちへの希望きぼう象徴しょうちょうとなったのである。


この逸話いつわは、後世こうせいまで語りがれ、狄青てきせいがどれほど高潔こうけつ精神せいしんち、兵士へいしたちのこころ理解りかいしていたかを示すものとなった。




出自しゅつじわすれぬこころ

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1054年(至和しわ元年)、北宋ほくそうみやこ開封かいほうは、かつてない活気かっきちていた。儂智高のうちこう反乱はんらんしずめ、軍事ぐんじ最高位さいこういである枢密使すうみつしにまで上りめた狄青てきせい名声めいせいは、みやこひびわたっていた。


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狄青てきせい高官こうかんとしてせるにつれ、かれに取りろうとするものたちがあらわれるようになった。かれらは、狄青てきせいゆかりむすぶことで、自分じぶんたちの地位ちい利益りえきようとたくらんでいたのだ。


あるれた午後ごご狄青てきせい邸宅ていたくに、一人ひとりおとこおとずねてきた。おとこは、いかにもがくのある風体ふうていで、深々(ふかぶか)とあたまげた。


狄青てきせいさま長年ながねんにわたり、貴殿きでん御家おいえ系図けいず紐解ひもといておりましたが、ついにおどろくべき事実じじつ発見はっけんいたしました」


おとこは、巻物まきものえがかれたふる家系図けいずひろげてみせた。そこには、狄青てきせい名前なまえが、とお唐代とうだい名宰相めいさいしょう狄仁傑てきじんけつ血筋ちすじつながっているとしるされていた。狄仁傑てきじんけつといえば、中国ちゅうごくきざむほどかしこく、人望じんぼうあつ宰相さいしょうだ。則天武后そくてんぶこうも、狄仁傑てきじんけつを深く信頼したという。その優れた才能を発揮した偉人である狄仁傑てきじんけつ子孫しそんであるとられれば、狄青てきせい名声めいせいは、さらにたかまるだろう。


おとこは、得意とくいげに言葉ことばつづけた。


「これにより、狄青てきせいさまは、たんなる武功ぶこうげられたかたではなく、いにしえよりつづ高貴こうき家柄いえがらであることが証明しょうめいされました。これからは、より一層いっそう朝廷ちょうていでのご活躍かつやく期待きたいされますな」


しかし、狄青てきせいは、その家系図けいずをじっとつめていたが、表情ひょうじょうえることはなかった。そして、しずかに、しかし毅然きぜんとしたこえはなった。


「そなたの言葉ことばには感謝かんしゃするが、それはあきらかなあやまりだ」


おとこは、まさか否定ひていされるとはおもわず、おどろきの表情ひょうじょうかべた。


「しかし、この家系図けいずは、ふるくからつたわる文献ぶんけんに基づ(もとづ)いておりまして……」


狄青てきせいは、かおきざまれた刺青いれずみを、そっとゆびでなぞった。


わたしは、元々(もともと)まずしい農民のうみんとしてまれ、かお刺青いれずみられ、最下級さいかきゅう兵士へいしからこのてた。この刺青いれずみこそが、わたしまこと出自しゅつじ物語ものがたっている。わたしに、そのような高貴こうき血筋ちすじのはずがない」


その言葉ことばには、一切いっさいまよいも、いつわりもなかった。かれは、みずかりの苦労くろう道程どうていけっしてわすれることはなかったのだ。そして、その苦労くろうこそが、かれほこりであった。


「この家系図けいずは、そなたがかえるがよい。わたしは、わたし自身じしんちからで、この地位ちいきずげたのだから」


おとこは、狄青てきせい言葉ことば圧倒あっとうされ、これ以上いじょう何も(なにも)えずに、家系図けいずってかえっていった。


この逸話いつわは、すぐにみやこ役人やくにんたちのあいだひろまった。武官ぶかんでありながら、みずかりの出自しゅつじかざることなく、謙虚けんきょきる狄青てきせい姿すがたは、人々(ひとびと)にふか感銘かんめいあたえた。


貧しい(まずしい)農家のうかとしてまれ、幾多いくた苦難くなんえて高官こうかんめた狄青てきせいかれは、みずかりの根源こんげんわすれることなく、つね真摯しんし姿勢しせいつづけた。その謙虚けんきょさと高潔こうけつさは、かれ武勇ぶゆうならんで、ひと々の記憶きおくに深く(ふかく)きざまれることになったのである。

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