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面涅将軍:狄青(てきせい)⑮

武官ぶかん最高位さいこうい

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1056年(至和しわ3年)、北宋ほくそう朝廷ちょうていに、新たな歴史れきしきざまれた。儂智高のうちこう反乱はんらん平定へいていした功績こうせきみとめられ、狄青てきせいはついに、武官ぶかん最高位さいこういである枢密正使すうみつせいしにまでのぼめたのだ。枢密正使すうみつせいしとは、ぐんかんする全ての事柄ことがらを取り仕切る(とりしきる)、まさしくくに軍事ぐんじのトップを意味いみする役職やくしょくであり、一品官いっぽんかんという最高さいこうくらい相当そうとうした。


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狄青てきせい昇進しょうしんは、かれ家族かぞくにもおおきな喜び(よろこび)をもたらした。つま魏氏ぎしは、おっと偉業いぎょうほこらしげであった。彼女かのじょは、これまでおっとささえ、戦場せんじょうちかくのきびしい環境かんきょうにもえてきた。その功労こうろうみとめられ、定国夫人ていこくふじんほうぜられることになったのだ。定国夫人ていこくふじんとは、おっと高位こういいたつまあたえられる名誉めいよある称号しょうごうである。


狄青てきせい邸宅ていたくでは、かつての部下ぶかたちがあつまり、祝宴しゅくえんひらかれていた。


張忠ちょうちゅうは、大声おおごえわらいながら、さけわしていた。


「まさか、将軍しょうぐんがここまであがめるとは! これぞ、天下てんか面涅将軍めんできしょうぐん! いや、いま枢密正使すうみつせいしさまですな!」


李義りぎもまた、めずらしくかおほころばせていた。


「まことによろこばしいかぎりです。将軍しょうぐん武勇ぶゆうと、兵士へいしたちへのふかおもいが、ついに最高位さいこういへとみちびいたのです」


劉慶りゅうけいは、しずかに酒杯しゅはいかたむけながら、感慨深かんがいぶかげにかたった。


将軍しょうぐんは、我々(われわれ)のような下級兵士かきゅうへいしにも、つね希望きぼうあたえてくださいました。この昇進しょうしんは、将軍しょうぐん一人ひとりのものではなく、すべての兵士へいしたちのほこりです」


わか石玉せきぎょくは、あこがれの眼差まなざしで狄青てきせいつめていた。


将軍しょうぐんのように、いつか自分じぶんくにのためにつくしたいです!」


狄青てきせいは、かれらの言葉ことばに、あたたかいみをかえした。こころそこからがるよろこびと、長年ながねん苦労くろうむくわれた安堵あんどかんが、かれむねたしていた。貧しい(まずしい)農家のうかまれ、かお刺青いれずみられた一兵卒いっぺいそつが、まさかここまでのぼめるとは、だれ想像そうぞうできただろうか。


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文官ぶんかんたちの警戒心けいかいしん画策かくさく


しかし、そのあまりにも異例いれいかつきゅう出世しゅっせは、朝廷ちょうていない文官ぶんかんたちに、複雑ふくざつ感情かんじょういだかせた。そう時代じだいは、文官ぶんかん武官ぶかんよりも優位ゆういつ「文治主義ぶんちしゅぎ」というかんがかた主流しゅりゅうだった。そのため、軍事ぐんじ実権じっけんにぎ武官ぶかん最高位さいこういに、一兵卒いっぺいそつがりの狄青てきせいいたことは、かれらにとって脅威きょういうつったのだ。


富弼ふひつは、かお苦渋くじゅう表情ひょうじょうかべていた。


狄青てきせい殿どの功績こうせきみとめる。だが、一介いっかい兵卒へいそつが、ぐん全権ぜんけん掌握しょうあくするとは……」


文彦博ぶんげんはくもまた、不安ふあんかくせないでいた。


陛下へいかは、狄青てきせい殿どのさいを高く(たかく)評価ひょうかしておられる。しかし、武官ぶかんちからちすぎれば、くに秩序ちつじょみだれかねない」


欧陽修おうようしゅうは、冷静れいせい口調くちょう進言しんげんした。


「これは、くに根幹こんかんかんわる問題もんだい。もし、狄青てきせい殿どのが、いつか朝廷ちょうてい反旗はんきひるがえすようなことがあれば、かえしのつかない事態じたいとなる」


かれらは、狄青てきせい個人こじんきらっていたわけではない。しかし、武官ぶかん文官ぶんかん統制とうせいえることへのつよ危機感ききかんから、かれ失脚しっきゃくさせるための画策かくさくはじめたのである。かれらは、あらゆる機会きかいとらえ、狄青てきせい行動こうどう監視かんしし、些細ささい失策しっさくをも見逃みのがすまいとした。


そして、その画策かくさくは、現実げんじつのものとなる。


突如とつじょ狄青てきせいは、枢密正使すうみつせいししょく免職めんしょくされ、みやこからとおはなれた陳州ちんしゅう現在げんざい河南省かなんしょう淮陽県わいようけん)の長官ちょうかんへと左遷させんされてしまう。左遷させんとは、みやこからはなれた場所ばしょ役職やくしょくうつされる、事実上じじつじょう降格こうかくである。


天下てんかにそのとどろかせた英雄えいゆうは、おもいもよらぬ形で(かたちで)、失脚しっきゃくの憂きうきめることになった。かれ栄光えいこうみちは、おもわぬ方向ほうこうへとすすんでいくのだった。




英雄えいゆう最期さいご

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1057年(嘉祐かゆう2年)、はるかぜが、故郷こきょうからとおはなれた陳州ちんしゅうを吹きけていた。かつて北宋ほくそうぐんひきい、数々(かずかず)の武功ぶこうげた英雄えいゆう狄青てきせいは、そのしずかに、しかしふか失意しついなかにあった。


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失意しつい左遷先させんさき


枢密正使すうみつせいしという武官ぶかん最高位さいこういから、地方ちほう長官ちょうかんへと左遷させんされて以来いらい狄青てきせいこころは、おもなまりのようにしずんでいた。ひろ屋敷やしきなかで、かれ一人ひとりまどそとながめることがおおかった。故郷こきょう汾州西河ふんしゅうせいかは、はるとおく、もうもどることはないのかもしれないと、漠然ばくぜんとしたさびしさがむねを締めしめつけた。


ちちうえ……」


息子むすこ狄詠てきえいが、心配しんぱいそうに声を(こえを)かけた。狄詠てきえいは、ちちのそばをはなれず、なにちからになれることはないかと、つねかんがえていた。


狄青てきせいは、かえることなく、ちいさくいきいた。


汾酒フェンチュウが飲みたい…莜面窝窝ヨウミエンカオラオラオを食べたい…それに、刀削麺とうしょうめんも」


「え?なにか言いましたか?父上?」


「いや、なんでもない」


つま魏氏ぎしは、おっと憔悴しょうすいしていく姿すがたを、ていられなかった。彼女かのじょは、定国夫人ていこくふじんという名誉めいよたものの、それとえに、おっとこころむしばまれていくのをかんじていた。


「あなたさますこしでも、そと空気くうきをおいになってはいかがでしょう」


魏氏ぎしは、そっとちゃを差しさしだしたが、狄青てきせいばさなかった。


みやこからの監視かんしは、きびしさをすばかりだった。些細ささいうごきも、朝廷ちょうてい報告ほうこくされ、彼の(かれの)存在そんざいそのものが、うたがいのられているかのようだった。それは、かつて戦場せんじょうで数々(かずかず)の死線しせんくぐけてきた狄青てきせいにとって、かたなやりよりも、はるかにおもく、こころけずるものであった。


彼は、自分じぶんけっして反旗はんきひるがえすような真似まねはしないと、だれよりも理解りかいしていた。しかし、文官ぶんかん優位ゆうい社会しゃかいでは、武官ぶかんちからびることを極度きょくどおそれる風潮ふうちょうがあったのだ。富弼ふひつ文彦博ぶんげんはく欧陽修おうようしゅうといった重臣じゅうしんたちは、くに安寧あんねいのためとしんじて、狄青てきせいとおざけた。かれらにとって、狄青てきせい存在そんざいは、あまりにも異例いれいで、そして危険きけんなものとうつっていたのだ。


日にひにひに、狄青てきせい体力たいりょくおとろえ、精神的せいしんてきにも疲弊ひへいしていった。かつて、西夏せいか軍勢ぐんぜいふるがらせ、「面涅将軍めんできしょうぐん」とおそれられた猛将もうしょう姿すがたは、そこにはなかった。ただ、故郷こきょうおもう、ひとりのつかれたおとこがいるばかりであった。


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英雄えいゆう最期さいご


そして、1057年。宋の元号で嘉祐かゆう2年のなつむかえるころ狄青てきせいいのちは、しずかにえようとしていた。


ちちうえ、しっかりしてください!」


狄詠てきえいこえが、ふるえていた。魏氏ぎしは、おっとにぎりしめ、なみだまらなかった。


「もう……つかれた……」


狄青てきせいは、かすれたこえつぶやいた。かれ脳裏のうりには、故郷こきょうの貧しい(まずしい)いえごした幼少ようしょうのこと、あにつみかぶかお刺青いれずみられたのこと、そして、戦場せんじょうめぐった日々(ひび)のことが走馬灯そうまとうのようによみがえっていた。


西夏せいかとの激戦げきせん銅製どうせい仮面かめんをつけ、ざんばらがみ敵陣てきじん突入とつにゅうした「面涅将軍めんできしょうぐん」としての雄姿ゆうし部下ぶかたちとのきずな仁宗じんそう皇帝こうていからの抜擢ばってき儂智高のうちこう反乱はんらん平定へいれいしたさいの、あの奇策きさく……。


くにのために……」


それが、かれ最後さいご言葉ことばであった。


享年きょうねん49さい


貧しい(まずしい)農民のうみんから、武官ぶかん最高位さいこういにまで上りめた英雄えいゆう狄青てきせいは、故郷こきょうからとおはなれた陳州ちんしゅうで、その波乱はらんちた生涯しょうがいえた。彼の(かれの)は、そう時代じだいにおいて、武官ぶかん文官ぶんかん優位ゆうい社会しゃかいくことのむずかしさを、しずかに、しかしたしかにしめしていた。


かれ功績こうせきは、歴史れきしきざまれ、その勇猛ゆうもうさと謙虚けんきょ人柄ひとがらは、後世こうせいまで語りがれることになった。そして、かれかおきざまれた刺青いれずみは、いつまでも、かれ最下級さいかきゅう兵士へいしたちの希望きぼうでありつづけたあかしとして、かがやつづけるだろう。

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