表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

面涅将軍:狄青(てきせい)⑪

〇楊家将との別れ

________________________________


1044年(慶暦けいれき4年)、長きにわたる北宋ほくそう西夏せいかの戦いに、ようやく終止符しゅうしふが打たれた。両国りょうこくの間で和議わぎが成立し、荒廃こうはいした国境こっきょうの地に、つかの間の平穏へいおんが訪れた。しかし、完全な平和にはまだ時間がかかり、狄青てきせいは引き続き現地にとどまり、軍務ぐんむを続けていた。


________________________________


西夏せいかとの戦いにおいて、狄青てきせい友軍ゆうぐんとして共に戦ってきた楊家将ようかしょう楊文広ようぶんこうと、その母である女将軍おんなしょうぐん穆桂英ぼくけいえいもまた、新たな任務にんむへと旅立つ日が来た。彼らが去ることは、狄青てきせいとその部下たちにとって、さびしい別れとなる。


軍営ぐんえいの一角で、狄青てきせい穆桂英ぼくけいえい楊文広ようぶんこうと向かい合っていた。周囲には、張忠ちょうちゅう李義りぎ劉慶りゅうけい石玉せきぎょくら、狄青てきせいの部下たちも集まっている。彼らは皆、楊家将ようかしょう親子との別れを惜しむように、静かに立っていた。


穆桂英ぼくけいえい将軍、楊文広ようぶんこう殿、これまで共に戦ってくださり、心から感謝かんしゃいたします」


狄青てきせいは深々と頭を下げた。彼の顔には、この数年の激戦げきせんで刻まれたしわが増えていたが、その眼光がんこうは以前にも増してするどかった。


穆桂英ぼくけいえいは、かつてのりょう名将めいしょう耶律休哥やりつしゅうかを打ち破った伝説の女傑じょけつだ。彼女は静かに微笑ほほえんだ。


狄青てきせい将軍、あなたの武勇ぶゆうこそ、武神ぶしんそのものです。いや、鬼神きしんじゃな。『面涅将軍めんできしょうぐん』が敵ではなくて本当によかった。楊家将は面涅将軍めんできしょうぐんの友人であるとここに宣言します。」


穆桂英ぼくけいえいの言葉に、張忠ちょうちゅう興奮気味こうふんぎみうなずいた。


「へへっ、あの将軍の仮面かめんとざんばらがみ絶叫ぜっきょうしながら突撃とつげきする姿は、おれたちが見てもちびりそうになりましたからね! 西夏せいかへいどもは、あれを見ただけでこしを抜かしてましたよ!」


こわすぎますって、本当に……」


石玉せきぎょくかたをすくめ、劉慶りゅうけい李義りぎ苦笑くしょうした。兵士たちは皆、あの鬼神きしんのような狄青てきせいの姿を忘れることはできないだろう。あの異様な装いは、敵を威圧いあつするだけでなく、下級兵士かきゅうへいしだった頃に顔にられた刺青いれずみを隠すという、狄青てきせい自身の工夫くふうほこりが込められていたのだ。


楊文広ようぶんこうも、感慨深かんがいぶかげな表情で狄青てきせいを見つめた。


「将軍は、まさに軍神ぐんしんのようでした。あなたとともに戦えたこと、光栄こうえいに思います」


楊文広ようぶんこうは、父である楊六郎ようろくろう祖父そふである楊業ようぎょう武勇ぶゆうを受け継ぐ楊家将ようかしょうの若きしょう。彼もまた、数々の激戦げきせんをくぐり抜けてきた猛将もうしょうだ。


楊文広ようぶんこう殿こそ、てき猛攻もうこう幾度いくどとなく耐えしのぎ、我々(われわれ)の進撃しんげきを助けてくださった。あなたの支えがなければ、この和議わぎ成立せいりつしなかったでしょう」


狄青てきせいは、正直な気持ちを伝えた。西夏せいかとの戦いは、狄青てきせいが25回もの大規模だいきぼ戦闘せんとう参加さんかし、8度も矢傷やきずを負いながらも、常に先陣せんじんを切って敵陣てきじん突入とつにゅうした激しいものだった。その中で、楊家将ようかしょう存在そんざいは、彼にとって大きな支えだったのだ。


穆桂英ぼくけいえいは、ゆっくりと狄青てきせいに近づき、そのかたに手を置いた。


狄青てきせい将軍、あなたの武功ぶこうは、すでに天下てんかとどろいています。一兵卒いっぺいそつから将軍にまで上りめたあなたを、朝廷ちょうていもきっと高く評価ひょうかするでしょう。しかし……」


穆桂英ぼくけいえいは言葉を区切った。そのひとみには、どこかうれいのようなものが宿っていた。


武官ぶかん文官ぶんかん優位の北宋ほくそう朝廷ちょうていで、その才覚さいかく十全じゅうぜん発揮はっきすることは、容易たやすいことではありません。どうか、油断ゆだんなさいませんよう」


彼女の言葉は、狄青てきせいの心に深く響いた。確かに、北宋ほくそう文官ぶんかん重用じゅうようされる国だ。武官ぶかん功績こうせきを挙げれば挙げるほど、文官ぶんかんたちの警戒心けいかいしんも増すだろう。


「ご忠告ちゅうこく、肝にめいじます」


狄青てきせいは真剣な顔で答えた。


楊文広ようぶんこうが、遠くに見える地平線ちへいせん指差ゆびさした。


「我々(われわれ)は、これから別の戦場へと向かいます。しかし、いつかまた、あなたとかたを並べて戦える日が来ることを願っています」


「私もです。必ずや、その日が来ることを信じています」


狄青てきせいは力強くうなずいた。


別れの挨拶あいさつを終え、楊家将ようかしょうの部隊は、砂煙すなけむりを上げながら遠ざかっていく。彼らの姿が見えなくなるまで、狄青てきせいは、その場に立ちつくしていた。


さびしくなりますな、将軍」


李義りぎが静かにつぶやいた。


「ああ、だが、彼らもまた、それぞれの場所でそうのために戦う。我々も、ここでやるべきことがある」


狄青てきせいは、前を見据みすえた。西夏せいかとの和議わぎは成立したものの、国境こっきょうの守りはおこたることはできない。そして、将軍として、兵士たちの生活を守り、訓練を続ける責任がある。


「よし、皆の者! 気をゆるめるな! 平和は与えられるものではない。我々(われわれ)が、この手で守り抜くのだ!」


狄青てきせい号令ごうれいに、兵士たちは力強い返事をした。


戦いは終わったが、狄青てきせいの軍人としての道のりは、まだ続く。彼の「面涅将軍めんできしょうぐん」としての名声めいせいは、すでにみやこにまで届いているだろう。しかし、穆桂英ぼくけいえいの言葉が示すように、彼の新たな戦いは、これから始まるのかもしれない。それは、戦場での武力ぶりょくだけでなく、朝廷ちょうていという別の戦場での、知力ちりょく胆力たんりょくを問われる戦いとなるだろう。




皇帝こうていへの進言しんげん

________________________________


1051年(皇祐こうゆう3年)、北宋ほくそうみやこ開封かいほう宮殿きゅうでんでは、連日れんじつのように重要じゅうよう議論ぎろんかわされていた。中でも、西夏せいかとのたたかいで目覚めざましい功績こうせきげた、一介いっかい兵卒へいそつから将軍しょうぐんにまで上りめた狄青てきせい処遇しょぐうについて、意見いけんわかれていた。

________________________________


仁宗じんそう皇帝こうてい御前ごぜんに、重臣じゅうしんたちが集まっていた。その中には、改革者かいかくしゃとして知られる文官ぶんかん范仲淹はんちゅうえんと、彼とならしょうされる韓琦かんき姿すがたがあった。彼らは、ながつづいた西夏せいかとの戦乱せんらんしずめ、多くの功績こうせきげた狄青てきせい才能さいのうを、だれよりもたか評価ひょうかしていた。


陛下へいか


范仲淹はんちゅうえんうやうやしくすすた。彼のこえおだやかだが、その言葉ことばにはるぎない信念しんねん宿やどっていた。


「わたくしは、狄青てきせいこそ、今こそ大用たいようすべき人材じんざいであるとかんがえます。彼はまずしい出自しゅつじでありながら、その武勇ぶゆう才覚さいかく数多あまたたたかいを勝利しょうりみちびいてまいりました。これほどのしょうは、他にたぐいません」


韓琦かんきもそれにつづいた。


はん殿どのもうされるとおり。狄青てきせいは、兵士へいし士気しき鼓舞こぶし、てきには畏怖いふねんいだかせる『面涅将軍めんできしょうぐん』として、すでに国境こっきょうまもりにはかせぬ存在そんざいとなっております。彼をみやこまねき、枢密副使すうみつふくしにんじ、軍事ぐんじかなめまかせるべきです」


枢密副使すうみつふくしとは、軍事ぐんじに関する重要じゅうよう決定けっていおこな最高幹部さいこうかんぶ一人ひとりだ。通常つうじょ文官ぶんかんくのが通例つうれいで、武官ぶかん任命にんめいされること自体じたい異例いれい中の異例いれいだった。ましてや、狄青てきせいのような下級兵士かきゅうへいしあがりの武将ぶしょうがその地位ちいくなど、これまでの歴史れきしじょうかんがえられないことだった。


しかし、仁宗じんそう皇帝こうていは、彼らの進言しんげんに深くみみかたむけていた。ながつづ西夏せいかとのたたかいで、武官ぶかん不足ふそくあきらかだった。文官ぶんかん中心ちゅうしん体制たいせいでは、戦乱せんらん収束しゅうそくさせるのはむずかしいとかんじていたのだ。


________________________________


根強い反対意見はんたいいけん


しかし、全ての意見いけんが彼らと同じではなかった。有力ゆうりょく宰相さいしょう一人ひとりである富弼ふひつが、眉間みけんしわせてくちひらいた。


陛下へいか、わたくしは、狄青てきせい武才ぶさいみとめます。しかし、武官ぶかん枢密副使すうみつふくし抜擢ばってきすることは、いささか危険きけんかとぞんじます。武官ぶかんにあまりに強大きょうだい権力けんりょくあたえることは、国家こっか安定あんていおびやかすことになりかねません」


富弼ふひつ言葉ことばに、文彦博ぶんげんはくつづいた。彼は、狄青てきせい個人的こじんてききらっているわけではないが、武官ぶかん文官ぶんかん統制とうせいえることへの危機感ききかんいだいていた。


殿どののおっしゃるとおりです。歴史れきしかえりみれば、武官ぶかん権力けんりょくにぎりすぎた結果けっか国家こっかみだれたれい枚挙まいきょにいとまがありません。陛下へいか兵卒へいそつ一人ひとり抜擢ばってきして枢密副使すうみつふくしとすることは、国家こっかにとって吉兆きっちょうとはもうがたいとかんがえます」


彼らの主張しゅちょうは、武官ぶかんちからちすぎると、朝廷ちょうていおびやかし、天下てんかみだ可能性かのうせいがあるという、そう長年ながねん懸念けねんに基づ(もとづ)いていた。文官ぶんかんたちは、おさえ、ぶんをもってくにおさめることを理想りそうとしていたのだ。


仁宗じんそう皇帝こうていは、重臣じゅうしんたちの意見いけんみみかたむけながら、深くかんがんでいた。確かに、富弼ふひつ文彦博ぶんげんはくうことも一理いちりある。しかし、狄青てきせい功績こうせきまぎれもない事実じじつであり、今の北宋ほくそうにとって、彼のちから必要不可欠ひつようふかけつなものだった。


________________________________


皇帝こうてい決断けつだん


沈黙ちんもく支配しはいする中、仁宗じんそう皇帝こうていはゆっくりとくちひらいた。


ちんは、はん仲淹ちゅうえんかん進言しんげんれる。狄青てきせい枢密副使すうみつふくしにんずる」


皇帝こうてい言葉ことばに、富弼ふひつ文彦博ぶんげんはくおどろきをかくせない様子ようすだったが、范仲淹はんちゅうえん韓琦かんきは、静かに安堵あんど表情ひょうじょうかべた。


「しかし、みな懸念けねん理解りかいできる。狄青てきせいには、武人ぶじんとしてだけでなく、文官ぶんかんとしての素養そようにつけてもらう必要があるだろう」


仁宗じんそう皇帝こうていは、狄青てきせいたぐいまれな軍才ぐんさいを高く評価ひょうかしていた。彼のような人材じんざいを、出自しゅつじゆえにうもれさせてはならないという強い意志いしがあったのだ。この異例いれい大抜擢だいばってきは、彼がどれほど狄青てきせい能力のうりょく信頼しんらいし、くに未来みらいたくそうとしていたかのあかしだった。


この日、とおはなれた国境こっきょう軍務ぐんむはげ狄青てきせいは、まだ知るよしもなかった。自分を待ちける新たな運命うんめいと、みやこ朝廷ちょうていかかえる、ぶん権力けんりょく複雑ふくざつ綱引つなひきに、彼自身かれじしんが巻きまきこまれていくことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ