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第8話 すもももももも

「たっだいまー!」


 元気な声と共に姿を現したのは、四女の李《すもも》だった。


「ひっさしぶりのはやーいご帰宅だ、ぞ……?」


 俺とぱちくりと目が合った李は動きを停止する。


 五秒ほど、時間が止まった。五秒ほど時間が止まった?矛盾しているな。とにかく、例えだ。呼吸の音さえ聞こえない。この部屋の温度は一瞬にして氷点下まで急降下した。


「はが」


 くぐもった奇声が下から聞こえるな、と思ったら、桜歌の口に俺の手から落ちたスプーンが。


「あ、ごめん」


 取り除いてやる。


 李も可哀そうな奴である。疲れて帰ってきたら兄が姉を膝枕し、プリンをあーんしているんだもの。しかも隣には見知らぬ女もいるし。


 妹にとって、およそ目の毒としか思えない光景を目の当たりにし、


「失礼しましたー!」


「ちょ、ちょい待て」


 くるっと背を向けてリビングを去ろうとする李を、俺は慌てて引き止める。俺の膝にいた桜歌は半ば投げ出されたような形だが、流石にこの状況で文句はつけられまい。


「は、離せよ兄ちゃん」


 俺に腕をつかまれた李は、うっすらと軽蔑の眼差しを向けながらそう言う。


「違う、断じて違う。お前が想像しているようなことではない」


「別にいいんじゃないか?たとえ兄ちゃんが特殊なアレだったとして、わたしは縁を切ったりしないぞ?」


 特殊なアレ!?なにを想像されている?


「と、とにかく話を聞いてくれ。ほら、李はりるはと顔を合わせるのも初めてだろ?な、挨拶がてら、な」


「りるは?」


 李の色素の薄い瞳に、ハテナがにじむ。


「一応お前にも連絡したろ?数日前からうちに住んでる、俺の実の妹だ」


 ああ、と李の顔に納得の色が浮かんだ。


「そうか、その子がそうなのか。靴が増えてるな、とは思ってたんだよ」


 李はくるりと翻り、桜歌の横に突っ立っているりるはに、手を差し出す。りるはは困惑しながらも、おずおずとその手を握った。


「改めて、よろしく。わたしは李だ。えーっと、りるはちゃん……りるは姉ちゃん、でいいのかな」


「り、りるは姉ちゃんでいいのかな!?」


 感動のあまりか、りるはは即座にオウム返し。唇が興奮でわなわなと震えている。そういや、胡桃は引きこもっているし、小梅は渡米中だしで、姉として扱われるのはこれが初めてだったのか。


「りるは姉ちゃん、りるは姉ちゃん!そうだよ、私はりるは姉ちゃんだよっ」


 子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表すりるはは、とてもじゃないが姉には見えない。


 それを見た李は、困ったような笑みを浮かべた。


 妹尾李。四女、中一。サッカーだけじゃなく、とにかくスポーツ全般ができる奴だ。というか、運動じゃなくても、大体全部できてしまう。姉妹の中でもなかなか要領のいい末っ子だ。


 短めの茶髪をきゅっとポニーテールに結んで、服装もスポーティ。幼さの残る細身な体に、女の子にしては落ち着いた、ハスキーなアルトボイス。


 どこか少年のようでもある彼女は、りるはから俺に、視線を移す。


「んーで?兄ちゃんは桜歌姉ちゃんとの関係について、どういう言い訳を聞かせてくれるんだ?」


 しなやかな体を少し屈めて、俺を見上げる。端正な顔には、これでもかというくらいの軽蔑に、ほんの少しの好奇心の色。


「桜歌だけじゃない、その、りるはにも同じことをやったんだ」


「なぜ余罪まで自白するんだ?」


 説明の順番を間違えた。


「これは勝負なんだよ」


「勝負?」


 李は首を傾げる。一か月前まで小学生だった彼女は、しぐさの節々に子供らしさが見える。


「ああ、勝負だ。桜歌とりるは、どちらが俺の真の妹か。二人はそれを競っていて、つまりさっきのはそれの一環なんだ」


 李はぽりぽりと頭を搔く。


「兄ちゃん、自分の妹にそんなヤバいことさせてたのか……。行くところまで行っちゃてるなあ」


 良かった。うちの末っ子は感覚が正常だ。ただ、けしからん誤解は解かねばなるまい。


「俺が言い出したんじゃない。あの二人が勝手に企画したんだ。俺は巻き込まれただけ。プリンも食べさせろって命令されたんだよ」


「ほんとかぁ?」


「ほんとだ。どうもあの二人は初日から張り合っていてな。俺は無実だ。信じてくれ」


 李が振り向くと、桜歌とりるはは気まずそうに目をそらす。


「なるほどな……」


 それで納得したのか、李は俺に同情のこもった視線を送る。ありがとう、ありがとう李!常識人がいてくれることが、こんなに嬉しいなんて。


「桜歌は兄ちゃんが大好きだからな……」


 ぼそっと呟いた李の言葉は、俺にしか届かなかったようだ。そんな訳あるか。ツッコミたくなるが、独り言みたいだから、黙っておこう。


「あんまり兄ちゃん困らせるなよ」


 中一に叱られる高一たち。しゅんと項垂れた二人の姉に、李も思わず苦笑する。


 改めて、りるはに向かい合って、李は問う。


「ええっと、お母さんが海外出張なんだって?」


 りるはは慌てて頷く。


「う、うん。実はそうなんだ。それでこの家にお世話になることに、なりました」


「ふーん。大変だなあ。うちも二人とも海外に飛んでったけど、兄ちゃんが色々やってくれるからなあ」


「……羨ましいなあ」


 りるはがぼそりと呟いた。寂しそうなその表情が、彼女との十年の距離を感じさせる。一人っ子だと、やはり色々大変だったのだろう。


  俺も長兄としての立場が重荷に感じることもあるが、それでも、妹らが共にいてくれることはなにより心強い。


 ぼうっと俺の方を見つめるりるはに、俺は笑顔を作る。


「これからはりるはもうちの家族の一員なんだから、もう一人っ子じゃない。六人兄妹の長女だ。そうだろ?」


 だからもう、寂しい思いはしなくてよいのだ。


 しかし、俺の言葉に反発を覚える人間が一人。


「ねえ、ちょっと待って」


 右手を掲げ、制したのは桜歌だ。彼女は真面目くさった顔で、


「長女はあたしよ。それをいうなら、六人兄妹の次女……じゃない?」


 また面倒なことを。


「桜歌ちゃん、私の誕生日知ってるの?」


 りるはが聞く。


「知らないわよ。でも、あたしは生まれたときから長女だったんだもの。長女の座は奪わせないわ」


「ふーん、ちなみに誕生日は?」


「三月三十一日」


「やった!私は三月二十八日だよ。正真正銘、私が長女じゃん」


「な……っ」


 いやいや、桜歌さん、動揺してるけどさ。君のより遅い誕生日は四月一日しか存在しないんだから、負けるのは分かってたでしょ。


「桜歌ちゃーん、私の事、お姉ちゃんってよんでもいいよー?」


「死んでも言わないわよ」


 誕生日、近かったのか。というか、二人とももうすぐじゃないか。二人同時に祝うか?いや、流石に別々にした方がいいかな。そんなことをぼんやり考える。


「ふふ、桜歌ちゃんは今日から次女だね」


「おいおい、そしたらその下もひとつずつずらさないと駄目になるだろ?もう二人まとめて長女でいいじゃないか」


 俺がそう言うと、李がくくっと笑いを嚙み殺す。


「じゃあ、こういうのはどうだ?長女ファーストと、長女セカンド。かっこよくね?」


 李の提案に、桜歌が噛み付く。


「どっちがファースト!?当然あたしよね?」


「いやいや、私だよ。桜歌ちゃんがセカンドでしょ」


「なんでよ!」


 また始まったよ。


 げんなりする俺を横目に、李は楽しそうに二人の姉を見ている。


「やっぱり騒がしいほうが落ち着くな」


 しみじみとそうこぼす李は、どこか遠い目をしていた。彼女は時々、年齢にそぐわぬ大人びた表情をする。


 子供だったり、大人だったり。ころころ印象の変わるところは、李の魅力だ、多分。


「そうか?喧嘩ばっかりされても困るが」


「でも、しんとしているよりはマシだ。電気のついていない家に帰ってくるのも、結構寂しいもんだぜ?」


 いつも、李が帰ってくる頃には俺も桜歌も風呂を済ませ、自室に戻っている。誰もいないリビングに照明は灯さない。


 李の帰宅に気づけば、おかえりと声をかけることもあるけれど、寝落ちしてしまっている夜も少なくない。


 冷たい夕飯を一人でレンチンする李を想像して、少し後悔した。せめて、もう少し会話らしい会話をしてやれば良かったな。


「ごめんな」


「ん?なにが?」


「いんや、なんでも」


 これからそうすればいいんだ。


「李ちゃんって、毎日サッカーの練習に行ってるんだよね?」


 いつの間にか喧嘩を終えたりるはが、李に聞く。


「ん?あー、まあ。そういう日が多いな。今日は違うけどな」


「え?そうなのか?」


 知らなかった。てっきり、ボールを蹴ってきたのかと。


「今日はバスケの練習だ。友達に助っ人として頼まれてさ」


「へえ……」


 そういや春休み中、昼間にこいつが家にいるところをほとんど見ていない。馬鹿体力だ。


「わたしは結構多忙なんだよ。まったく、人気者は困るぜ」


 そんなことを言って、口笛を吹きながら李は冷蔵庫へ向かう。


 今日の夕飯は近くのコロッケ屋さんで買ったメンチカツだ。非常に美味い。近所にコロッケ屋さんがあるとQOLが上がる……そう思いません?


「あと、マグロの刺身も三切れほど冷蔵庫に入ってるから。残ってるのは全部李の分だ」


「やった」


 小さくそう言って、李は冷蔵庫を開け、


「ん?」


 何やらきょろきょろと冷蔵庫の中を確認している。ソースでも探しているのだろうか。


「どうかしたか?」


「いや、プリンが無いんだよ。昨日買って、ここにいれたはずなのに」


「プリン?」


 李はこちらを向いて、指先のジェスチャーでプリンカップのサイズを示す。


「これくらいの、よく売ってるサイズの。白っぽくて、値段はちょっと高めでさ。何だったっけ、えーと、『とろける生プリン』みたいな名前の」


『とろける生プリン』。


 なんかさっき、そんな名前のプリンを見たような。というか、スプーンを入れたような。


 俺の視線は誘導されるように、ソファーの向かいのテーブルの上に。桜歌とりるはも、同じ方向を見ている。遅れて、李もそちらを見る。


 そこにあったのは、まさにさっき俺が二人に食べさせた……いや、食べさせさせられた、とろける生プリン……だ、あー……。

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