第7話 ごろごろにゃんにゃん
「ってことで、ガチンコ妹対決始めちゃいます!」
手をパチンと合わせ、りるはが言った。
昨日の夕飯の際の話、やっぱり冗談ではなかったのか……。
りるはがうちに来て三日目。昼間はおおむね穏やかに時間は進んだ。桜歌とりるはも衝突せず、天気もカラッと晴れ、俺は買い物に行って、夕飯も済ませ、昨日のことが頭から抜け始めた途端に、これだ。
俺はソファに身を預け、ため息をつく。
二人がそれで納得するんなら、もういいけどさ。それならそれで、俺を巻き込まずに勝手にやっててくれないか。
りるはは自信満々に腕を組み、対峙する桜歌に不敵に笑った。
「三番勝負で決着をつけよう。それで最終的に、お兄ちゃんに判断してもらうんだよ、どちらが真の妹なのか、ね」
真の妹ってなんなんだよ。
桜歌はふん、と鼻を鳴らす。
「勝負内容は考えてるわけ?」
「もちろん。今日一日中、悩みに悩んで厳選したよ。宇宙人呼ばわりされた恨み、絶対に晴らしてやるんだから」
昼間やけに静かだったのは、勝負内容を考えていたからだったのか。もうちょっと生産的なことに脳みそを使えばいいのに。
りるはは大きく振りかぶり、びしっと桜歌を指さす。コミカルなその動きは、なんだかアニメじみていた。
りるはの口角が、にっと押し上がる。
「第一の勝負、それは甘え対決だよっ!」
甘え……。甘え?
俺の脳内に疑問符が浮かぶ。案の定、マリオカートで戦うなんて発想はないようだが、それにしても、甘えとは?
「甘えですって?な、何よそれ」
桜歌も予想外だったのか、面食らったように顔をしかめる。
「言葉通りだよ。お兄ちゃんにどれだけ甘えられるか。お兄ちゃんの前でどれだけ甘えんぼになれるか。それを競うの」
頭痛くなってきた。なんだって?
綿あめを脳内に詰め込まれているみたいだ。輪郭はないし、ぼやけてて、そんでもって甘ったるい。中身がない。くらくらする。
「そ、そんなの勝負にならないわよ!そもそも、普通の妹は兄に甘えたりなんてしないわ。前提から間違ってるじゃない!」
桜歌の反論に、ちっちっち、と指を振るりるは。
「いいや、妹といえば、甘え。甘えといえば妹だよ。妹はやっぱり、甘え上手でなきゃ。桜歌ちゃんは桜歌ちゃんなりのやり方でお兄ちゃんに甘えればいいよ。お兄ちゃんに対していやーな態度取るのも、見方によれば"甘え"なんじゃない?」
桜歌はぐっと言葉に詰まる。向けられた鋭い目線に、りるはは小悪魔のような笑みで返した。
嫌な態度取るのも甘え、か。確かに恐れている相手にわざわざ棘のある態度は取らないよな。
でも桜歌の場合、単に俺を舐めているだけのような気もするけどなあ。
「じゃ、さっそく私から始めるね」
りるははそう言うと、冷蔵庫からプリンを出し、たたたっと俺の元へ駆け寄る。
「はい、これ」
渡されたのはスプーンだ。
思わず受け取るが、はて、と首を傾げる。何をするつもりなのだろう。掲げてみると、小さな銀色の中に歪んだ俺の顔が写っている。
「これも」
先ほど冷蔵庫から出したプリンも渡された。食え、ということだろうか。
とろける生プリン。パッケージにはそう書いてある。俺がいつも家族用に買っているものとは、違う商品だ。確か四女の李がこれを好んでいた気がするが、りるはも好物なのだろうか。
「えっと、これは……」
俺の質問を遮るように、りるはは俺の隣にちょこんと座る。かと思えば、ゆっくりと姿勢を崩し、ソファの上で体を横たえた。
二人がけソファーは、もちろん二人が座ることを想定している。彼女の体が俺の隣で収まるはずもなく、りるはの頭部は俺の膝へ。
これは、俗に言う。
「お兄ちゃん、膝枕の感想は?」
「普通セリフ逆じゃない?」
されてる方がそれ言うかね。
太ももには、確かな重みがある。膝枕なんてしたのは初めてだ。腹の底から込み上げる、ひやひやした感情はなんだろう。ただひたすらに繊細なものが、俺の上にのしかかっている。
跳ね除けることもできないので、身動ぎがせめての抵抗だ。
「お兄ちゃん」
りるはが呼びかける。
視線を落とすと、すぐそこにりるはフェイス。前髪がさらりと重力に従う。広いおでこがちらりと見えた。
「プリン、食べさせて?」
りるははとんとん、と自身の唇を人差し指で叩く。あざとい仕草だった。
潤んだ黒い瞳が、こちらをじっと見つめている。期待するような眼差しで、じっと。
「ねえあんた、勝負とか言って、それやりたかっただけでしょ!?」
声を張り上げるのは、いつの間にか目の前に立っていた桜歌だ。
俺ははっと我に返り、見とれていたことに今更気づく。やばい、なんかやばいぞ。
「別にいいじゃんっ。勝負は勝負なんだし、このくらい妹としては普通だよ。ね、お兄ちゃん、早く食べさせて?」
「……っ」
動揺していないと言えば嘘になる。だって、仕方ないだろ?実の妹という事実のみで覆せないほど、りるはは可愛い女の子なんだから。
「……ああ、分かったよ」
この場を切り抜けるには、言われた通り行動するのが一番の近道。悔しいが、俺はそう判断した。
桜歌からのレーザーのような視線に耐えながら、俺はプリンの蓋を開ける。とろりとした乳白色をスプーンですくい、りるはの口に近づける。
ぷるんとした小さな唇が、ゆっくりと開く。
俺はいつの間にか息を止めていた。唇はスプーンをくわえ、それを持つ俺の手には一瞬の刺激が走る。
慌ててスプーンを口から引っこ抜き、俺は脱力する。ひと仕事終えたような疲労感だった。もうほんと、なにをさせるんだ。
「うまいか?」
俺が聞くと、堪能するように目を細める。
「すごくおいしいよお兄ちゃん。寝転びながら嚥下するとちょっと詰まる感じがするけど、それを除くとおおむね言うことなしだよお兄ちゃん♡」
「あっそう……」
俺はりるはの頭を押し上げて、ソファーから腰を上げる。
傍に立つ桜歌に目線を送る。大変だよほんとに。本意じゃないんだよ俺も。そんな感じで同情を求めたのだが、返ってくるのは鋭さを増した槍のような視線。
「なにデレデレしてんのよ」
「してねーよ!?」
「してたわよ。あんたが本当に、実の妹に発情する変態だったなんて。流石に今のは引くわ」
「ひ、ひどい」
この家に俺の味方はいない!
もうこれ以上こんな馬鹿げた遊びに付き合わされるのはごめんだ。俺はリビングを出ようと、背を向けるが、
「……なんだよ」
桜歌が俺のシャツの裾を引っ張って離さない。
仏頂面のままほっぺたを膨らませ、
「まだ、あたしの番が終わってないじゃない」
「まじでお前もすんのかよ!?」
意外と勝負に乗り気ですね桜歌さん!?しかし考えてみると、彼女は相当の負けず嫌いだ。どんな馬鹿げた勝負でも、己の敗北を許せないのかもしれない。
「偽物の妹なんて言われて、黙ってられないんだもの。あの子をぎゃふんと言わせなきゃ気が済まないの!」
りるはを指さし、桜歌は言う。
だからって、りるはの勝負に乗らなくたっていいのに。
「その、だから」
俯いた桜歌の顔が、次第に赤くなっていく。裾を掴む指が、きゅっと固くなる。
「あ、あたしにも食べさせなさいよ!」
「え?」
「プリン……あの子にできたんだから、あたしにだってできるでしょ!?」
どのポイントで張り合ってるんだよ。
俺は手に持ったままのプリンに、視線を移す。つまり、さっきりるはにやったことを、そのまま桜歌にもやれと?
「なんでだよ、普通の妹は兄に甘えないんじゃなかったのかよ!?」
「なんでもよ、とにかくあたしにも食べさせるの!そうしなきゃ駄目なの!」
意味不明だ。真っ赤に染めた顔で喚く桜歌に、隣にはなぜかにやにやと笑みを浮かべるりるは。
「あたしにはできないっての!?」
「い、いや、その……」
「ならあたしにもできるでしょ?」
よろよろと後ずさった俺は、そのまますとんとソファーに腰掛ける。桜歌はすかさず俺の膝に頭を乗せた。
桜歌の端正な顔が、すぐ近くに。
上気した頬は、触れなくても熱気が伝わるようだ。なんか俺の太ももも熱いし。
「は、早くしなさいよ!」
目をぎゅっと閉じ、胸の前で両手をぎゅっと握りしめる桜歌は、さながら注射の針を待つ子どものよう。
桜色の唇がぷるぷると震えていた。
俺の頭は麻痺したように鈍い。導かれるように、スプーンですくったプリンをお口に近づけ……。
「たっだいまー!」
リビングの扉ががらりと開いた。
弾けるような笑顔で飛び込んできたのは、サッカークラブの練習に連日明け暮れている、そう、彼女。
四女の李だった。




