↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/19

第4話 ジャム、ジュース、フライパン

 夢を見ていた。自分でもベタだと思うけど、幼い頃の夢だ。


 ぼんやりと浮かび上がるのは、泣きじゃくるりるはと、歯を食いしばって涙をこらえる俺。


「手紙書くよ。写真も送るよ」


 六歳のときに両親は離婚し、俺は父さんに、りるはは母さんについて行った。もっとも俺たちが決めたわけじゃないけれど。なんだか勝手にそういうことになっていたのだ。


 妹との別れは、幼い俺にとって、受け入れ難いものだった。父さんにも八つ当たりしたな。なんでこんなことになったんだ、って。


 今考えれば、両親にもどうにもならない事情があったんだとは思うけどさ。


 当時の俺には、あまりにも理不尽なことだった。


 たしか雨の日だった。春とはいえ、雨が降っているとひんやりして、肌寒かった。俺は、母に連れられ家を出ていくりるはに、約束した。


 手紙を書くこと。写真を送ること。


 りるはとの繋がりを、少しでも保っていたかったのだ。


 そしてそれは実際、二年ほど続いた。


 引越し先の近所の猫の写真や、旅行先で撮った俺のピースしてる写真を、手紙とともにりるはに送った。父さんも俺たちを可哀想だと思ったのか、それは許してくれたのだ。


 りるはからも手紙がきた。拙い文字で、一生懸命素直な感情を綴っていた。少し身長が高くなった写真も送られてきた。寂しかった。


 しかし、父さんは再婚し、俺には新しい妹ができた。それも四人も。


 目まぐるしくも楽しい日々の中で、気づけば俺はりるはに手紙を送らなくなり、りるはからも返事は返ってこなくなった。


 小学校を卒業し、中学校も卒業し、そうして、りるはは記憶の中でも徐々に薄れていった……。


「あんた何考えてんの?」


「桜歌ちゃんこそ、おかしいよっ」


 目が覚めた。階下から聞こえる喧嘩で。


 時刻は午前七時。カーテンから漏れる朝日が、埃を照らす。こんな朝っぱらから、あいつらは何をやっているんだ?


 床の下から、桜歌とりるはの応酬が、くぐもって聞こえる。おそらく声の発生地はキッチン。


 俺は目を擦りながら階段を下りる。ちなみに春休み中は、俺は朝食を用意しない。理由は明快。眠いからだ。


 李なんて家を出るのは早朝だ。いちいちその為に俺まで早起きするんじゃ、貴重な春休みの意味が無い。一番布団が気持ちいい季節なんだからな。


「桜歌ちゃん邪魔しないでっ」


「邪魔なんかしてないわよ」


 あーもう。どうもあの二人はいがみ合ってばかりだ。まだりるはがここに来て一日も経っていないのに、どうしてこうなる。


 昨日の夜、結局りるはは、空き部屋に来客用の布団を運んで寝床とした。物置代わりに使っていた部屋だが、ちょっと前に掃除をしたので居心地は悪くないはずだ。


 俺はリビングの扉を開ける。


 二人はやはりキッチンにいた。フライパンを持ったりるはと、オレンジジュースのパックを抱えた桜歌が、互いに睨み合っている。


「お前ら何やってるんだよ」


 俺が声をかけると、やっと俺の存在に気づいたのか、二人はびくっと肩を震わせてこちらを見る。


 キッチンには、そこら中に味噌やらワカメやらパンやらご飯やらスープやらジャムやらなんやらかんやら。


 本当に何をやっていたんだ?


「聞いてよお兄ちゃん。桜歌ちゃんが私の邪魔するのっ」


 りるははフライパンを持ったまま、俺に駆け寄る。せめてその鉄の塊はどこかへ置いてくれないか。


「じゃ、邪魔?」


「そうだよ。私が朝ごはん作ろうとしてるのに、桜歌ちゃんが邪魔して、作らせてくれないの」


 は、はあ。


 くだらねえことでよくも喧嘩できますね。これでも二人とも、新高校一年生なのだろうか。


 よく分からんが、おそらくよく分かる日なんて未来永劫来ないので、俺はため息をついて桜歌の方を向く。


「桜歌。お前あんまりりるはにつっかかるなよ」


 いつもだったら桜歌もまだ寝てる時間だ。わざわざりるはの邪魔をしに起きてきたのだろうか。


 桜歌は白い肌をかっと紅潮させ、持っていたオレンジジュースをどん、とテーブルに置く。


「……なんでよ」


「いや、なんでって」


「なんでその子の味方するの?」


「味方なんて」


「あたしの言い分、まだ聞いてないじゃない。なんであたしにだけ注意するのよ」


 ……む。それを言われると、困る。正直、痛いところではある。すまないとは思っている。


「あたしだって朝ごはん作ろうと思っただけなのよ。でも、この子がどうしてもキッチンを譲らないから、だからなのよ」


「う、うーむ」


 そもそもお前料理なんてできないだろ、というのはこの際置いておいて。まあ確かに、いきなり桜歌を責めたのは悪かったかもしれない。


 一応さあ、ほら、まだりるははお客様感が抜けないというか。だって昨日の今日だぞ?実の妹とはいえ十年会ってないんだぞ?


 りるは側は「お兄ちゃん♡」って感じで、なぜか距離は近いが、それもぶっちゃけ対応に困る、といいますか。こちら側がどういうノリを取ればいいのか分からない。


 正直言って、りるはに強い言葉は使えない。


 それに対して桜歌は、義理とはいえ八年一緒に暮らしているわけで。ついつい桜歌に矛先が向いてしまうのは、しょうがない事なのだった。


 とはいえ、そんな心の機微を分かってくれと言うのも、ナンなので。


「ま、まあ確かにそれは悪かったよ。でもその、なんだ。りるはもまだこの家に慣れてないわけで……」


 歩み寄る姿勢が大事だ。


 そう思って、二人に歩み寄った。物理的に。


 足の裏に、ぬめっとした感覚が走る。まずい。そう思ったときには遅かった。摩擦係数は低下し、俺の足はぬめりけの上でスライドし、とにかく俺は盛大に滑った。


 世界が回る。咄嗟にテーブルに手をつこうとして、それがさらなる不公平の種だった。


 さきほど桜歌が置いたジュースのパックに手がかかり、口の空いた1000mLのオレンジジュースは傾く。


 そのまま床と熱烈なキスをした俺の頭の上に、降り注ぐオレンジジュース。まだ不幸は終わらない。


 たまたま転んだ先がりるはの足元で、驚いた彼女は持っていたフライパンから手を離してしまった。俺の後頭部に降ってくる鉄の塊。


 ゴン、と鈍い音がする。


 なんたる不幸。昨日できたたんこぶにクリティカルヒットした。


「ね、ねえ、大丈夫なの?」


「お兄ちゃん、生きてる……?」


 事実、数秒間意識が飛んだような気がする。


 鈍器で殴られたような……いや実際そんな感じなんだけど、とにかくそんな痛みがじんわりと頭全体に広がっていく。


 のろのろと起き上がって、俺は足の裏を見る。べったりとまとわりつく、淡い薄透明のゼリー状のこれは。


「あ、ごめん。りんごジャム落としたままだった」


 ……りんごジャム。


 ふつふつと怒りが湧き上がる。最初はマッチ棒程度だった怒りの火が、冷静になるにつれてどんどん木がくべられていく。


 痛いし、ベトベトだし、眠いし。


 そのとき、頭から被ったオレンジジュースが背中をつーっと伝った。ひいいい。僅かにとろみのある液体が、肌を走る。鳥肌が立った。


「お前ら……」


 立ち上がった俺に、桜歌とりるはは気まずそうに視線を逸らす。


「頼むから、朝飯くらい協力して作ってくれ!」


 俺はシャワー浴びに行ってくるから。そう言い残し、俺はリビングを去る。怒りより、甘ったるいベタつきの不快感が勝った。


 やれやれ。ほんと、とんでもない朝になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。