第3話 オムライス、言霊
出来上がった薄焼き卵を、チキンライスに巻き付ける。所謂昔ながらのオムライス、完成だ。
「はい、これりるはの分な」
そう言って皿を渡す。隣にいたりるはは、やや困惑したようにそれを受け取った。
ん?どうかしたのだろうか。
「もしかして、カフェで出てくるような、ふわふわの卵の方が良かったか?それだったら、りるはの分を作り直してもいいが.....」
そう言うと、りるはは慌てて首を振る。
「ううん、そうじゃないの。でも、なんか変な感じだなって」
「変な感じ?」
「うん。お兄ちゃんの料理食べるの、初めてだから」
俺が料理に手を出したのは、親父が海外に飛び回るようになってからだ。そりゃ、りるはは食べたことないよなあ。
りるはが今日からうちに住む。その事実は頭の中を滑るばかりで、まだ飲み込めなかった。けれどまあ、すぐに慣れてしまうのだろう。きっと。
俺は笑顔を作って、りるはに向き合う。
「すぐに慣れるさ。これから毎日食べることになるんだから」
「.....うん。そうだね!」
りるはの顔に、ぱっと花が咲く。たたたっとテーブルに皿を運んだと思うと、
「ねえ、みんなの分のオムライスに、ケチャップで文字書いていい?」
「お好きにどうぞ」
俺は再び、オムライスづくりに取り掛かる。バターを敷いたフライパンに、溶き卵をじゅーっとな。香ばしい匂いが立ち込める。
あっという間に、一皿、二皿、全員分のオムライスを拵えてテーブルの方を向くと、
「何やってんのよ、あんた.....」
聞こえてくるのは、お手洗いから帰ってきた桜歌によるドン引きボイス。
見ると、俺の分のオムライスが、
『LOVE』
やけにきれいな赤い文字で彩られている。ケチャップを手にしたりるはが、あざとく小首を傾げた。
「お兄ちゃん、LOVE♡」
「お、おー」
まずい、なんて返したらいいのか分からん。反応に困るんだが。
「って、あたしのには『義理』って書いてあるんだけど、何よこれ!?」
桜歌の分のオムライスには、ケチャップとは思えない達筆で、『義理』の文字が。そんな画数多い漢字、よく書くなあ。あと、頼むから桜歌に喧嘩を売らないでくれ。
「くく、桜歌ちゃんは義理の妹だからね。あと、義理チョコならぬ義理オムライス……的な?ダブルミーニングになってるんだよ」
言うほどダブルミーニングか?それ。
「ちゃっかり自分の分には♡書いてるし……。ほんっと腹立つぅっ」
初対面の同い年だというのに、よそよそしさはまるでない。それは良いのだが、なぜ喧嘩になるのだろう。兄としては胃の痛いことだ。
俺は出来上がったオムライスを一皿お盆に乗せ、お茶の入ったコップ、そしておやつのゼリーも横に置いて、リビングを後にする。
「あれ、お兄ちゃんどこに行くの?」
俺の不在に気づいたりるはが、リビングから顔を出した。
「三女の胡桃の部屋だよ。ここ数年、部屋から出てきてないんだ」
「引きこもっちゃってる……ってこと?」
「ま、そういうことだ」
だから、食事は毎回、部屋の前に置いておく。基本的には昼飯と夕飯だ。多分だけど昼夜逆転してるっぽいので、彼女にとっては朝飯と昼飯、になるのだろうか?
ふーん、と頷いたりるはは、
「私も行く」
俺の後に着いてきた。
「挨拶しときたいんだ」
それがいいと思う。一応同じ屋根の下に住むわけだし、一声かけておくべきだろう。
「でも、多分返事は返ってこないと思うぞ?」
「それでもいいよ」
二人で階段を上る。
「ねえ、お兄ちゃんが作ったオムライス、五人分だったよね。私と、お兄ちゃんと、桜歌ちゃんと、胡桃……ちゃん?と、あと、誰の分?」
りるはが俺を見上げて問う。もっともな疑問だった。
「四女の李の分だ。李は地元のサッカーチームに入っててな、結構忙しい奴なんだよ。だから朝は早いし夜は遅い。夕飯はラップして置いておくんだよ」
そういうわけで、春休みに主に顔を合わせるのは桜歌のみだったのだ。その一人に反抗期全開な態度を取られるのだから、妹ってものに愚痴も言いたくなる。
「えっとじゃあ、桜歌ちゃんは、三人姉妹?ってことかな」
「いいや、四人姉妹だ。長女の桜歌が春から高校生、次女の小梅はアメリカに留学に行ってて、三女の胡桃はこの上にいる。末っ子の李は、さっき言った通りだ。ちなみに、全員年子だ」
年子の四人姉妹を育てた母さんは、なかなかにパワフルな人だと思う。
二階にあがり、一直線の廊下が続く。突き当たりが胡桃の部屋だ。
扉には、「くるみ」と拙い文字で書かれたネームプレート。小学生のときに作ったものだった。
その下あたりを、コンコンコン、と叩く。
「夕飯、ここに置いとくからな」
やはり、返事は返ってこない。
床に持ってきたお盆を置いて、俺は、りるはに目配せをする。静かに頷いた。んんっ、と軽く咳払いをして、
「えっと、色々あって、今日からこの家にお世話になります。お兄ちゃんの実の妹の、りるはです。よろしくお願いしますっ」
胡桃は年下なのだから、別に敬語じゃなくていいと思うが。まあ、そういうのは、対面しないと実感できないのだろう。
そして、やっぱり部屋の中からはうんともすんとも聞こえない。虚しさを孕んだ、無音だった。
りるはは少し寂しそうな顔をしている。
俺が覚えている胡桃は、まだランドセルを背負ったあどけない女の子だ。あれから数年。身長も顔立ちも、その変化を見届けることはできていない。
胡桃はこの部屋の中で、どんな風に俺たちの声を聞いているのだろうか。
部屋の前に食事を置くと、一時間後には食器が空になっている。彼女の存在を証明するものは、それと、そして。
ポケットの中で、じじ、とスマホが震えた。
メッセージアプリを開くと、
《兄さんありがとう(๑♡∀♡๑)いつも兄さんのご飯、楽しみにしてるんだ〜!!今日はもしかして、オムライスかな?名探偵くるみん、匂いでなんとなく分かっちゃいます|•'-'•)وナイス!
オムライスも大好きだけど、くるみ的にはそろそろ兄さんのハヤシライスも食べたいな〜って思ってます♡(*´ `*)ハヤシ、、、
それと、今日からりるはちゃんって子が、一緒に住むんだね!«٩(*´ ꒳ `*)۶»ワクワク りるはちゃんによろしくって、伝えておいてね!( ⸝⸝•̀֊•́⸝⸝)و》
この短時間で、この文量を?
このテンションを、少しくらい現実にも分けてはくれないだろうか。
「えっと、胡桃からよろしくってさ」
りるはに伝えると、深刻そうにしていた彼女の顔が、解けるように綻んだ。
「よろしくね、胡桃ちゃんっ」
扉に声をかけると、返ってくる声はやはりない。それでも、りるはは嬉しそうだ。
二人でリビングに戻ると、足を組んだ桜歌が、何やら意地悪くにやついていた。なんだ?
「なななっ」
何かに気づいたりるはが、俺の分のオムライスに駆け寄る。さっき、りるはがケチャップで『LOVE』と書いたものだ。
見ると、
『LOWEST』
ん?……ああ、なるほど。
『LOVE』にVとSTが書き加えられて、『LOWEST』に……。
やな嫌がらせだな!?
りるはは桜歌に、掴みかかる勢いで詰め寄る。
「桜歌ちゃん、最低だよっ」
「そうね、最低ね」
「意味の話じゃないよっ」
ああ、もう。またこの人たちは。
「文字なんて何書いても一緒だろ?どうせ食べれば味は変わらないんだから」
俺がそう言うと、桜歌の首を絞めていたりるはが、ばっと振り向く。
「ぜんっぜん同じじゃないよ!そんなこと言ったら、義理チョコも本命チョコも同じになっちゃうよっ」
桜歌も、
「そうね、あたしもそう思うわ。言霊ってものがあるじゃない」
……なんで二人が連帯しだすんだよ。
「とにかく、さっさと食べようぜ。もう時間も遅いんだし」
時計を見ると、既に七時半を過ぎている。
長い一日だった。特に夕方辺りからだ。時空が歪んでいるのかと錯覚するくらい。
俺たちはテーブルに着く。俺の右にりるは、左に桜歌。……六人がけのテーブルだから狭くはないが、普通一人くらい向かいに座るもんじゃない?
奇妙な三人横並びで、手を合わせていただきます。オムライスを食べ始める。
「わあ、おいしいよお兄ちゃんっ。お料理上手なんだね!」
左手から、りるはの飛び跳ねるような声。
俺の頬がつい緩む。褒めてもらいたくてやっている料理ではないけれど、こうやって喜んでくれると、報われるような気がするな。
「あのね、私もお料理できるんだよ」
「へえ、そうなのか。食ってみたいな、りるはの料理」
「私もお兄ちゃんに食べて欲しいよっ。絶対作ってあげるからね!」
「ああ、楽しみだ」
どんっ、と鈍い音が響く。桜歌が持っていたコップを力強くテーブルに置いたのだ。……そんなに乱暴にしなくても。
「ど、どうかしたのか?桜歌」
「別に。なんでもないわよ」
ツンとそう言う桜歌。なんでもないようには見えないが。
そういや、コップ。りるはの分も買わないとな。いつまでも客用のグラスというわけにもいかないだろう。
オムライスを口に運びながら、そんなことをぼんやりと思う。
不思議なものだった。
桜歌と、りるはと、三人で食卓を囲んでいる。横並びだから、正確には囲んではいないけれど。
成長したりるはは、見た目も声も、あの頃とは違う。それでも妹だという確信は、どこから湧いてくるのだろう。
そして、桜歌とこんなに会話するのも久しぶりのことだった。普段は食事のときだって、双方無言だ。
浮ついて不安定な心を自覚しながら、これからの生活に思いを馳せた。楽しければいいな、なんて単純なことを思ってみる。




