第2話 お兄ちゃんだいすき
「だから桜歌、誤解だ」
「なーにーがー誤解なのよ。実際に玄関でイチャイチャしてたのは事実なんでしょ?」
「いやそうじゃなくて……」
俺は桜歌の前にお茶の入ったコップを置く。子どものときから使っている、キャラクターもののやつだ。向かいに座るりるはにも、来客用のグラスを。
食卓のテーブルには、俺と桜歌が並び、その向かいにりるはが座る。うーん。何この見たことない光景。交わるはずのない世界って感じだ。
数分前、りるはが突然やってきて、それを桜歌に見られて。
あれから、マジで大変だったんだからな。桜歌は俺が彼女を連れ込んだと誤解してブチ切れるし、りるははますます抱きつくし。
どうにか二人の手を引いて、テーブルに座らせ、ようやくりるはの話を聞く体勢が整った。
りるはの足元には、旅行で使うような大きな鞄が置かれている。こんな大荷物で、なにをしにきたのだろう。
りるははきょろきょろと視線を動かし、リビングを観察している。
「あれ、お父さんは?仕事?」
「親父は海外出張だよ。母さんもついて行ってる」
「母さん……」
りるはが小さく呟いた。つい慣れでさらっと言ってしまったが、りるはにとっては複雑かもな。すまなかった。
「もうそろそろ一時帰国するみたいだけど」
「そうなんだ」
隣から熱い視線を感じる。桜歌はじじじっと赤いビームでも出しそうなくらいに、目を細めて俺を睨んでいる。
なんか親しそうだけど、その子とどういう関係なの?
そう言いたげだ。
俺はため息をつき、りるはの方に手をかざした。
「紹介するよ。こいつはりるは、俺の実の妹。離婚するときに母親の方に引き取られたんだ。んで……」
今度はりるはを見据え、桜歌に手をかざす。
「こっちは桜歌。新しい母さんの連れ子だ。多分二人とも、同い年だと思う」
な?彼女なんかじゃないだろ?
そんな風に桜歌に目線を送る。まったく、俺が家に彼女を連れ込んで玄関でイチャコラしていただなんて、勘違いも甚だしい……!彼女なんていないっての。いないっての……。
「ほんとにぃ?」
桜歌はまだ疑わしげな視線を向けている。りるはは少しむっとしたようだ。
「ほんとだよっ」
そう言って鞄からごそごそ取り出したのは、
「生徒手帳?」
緑色の小さい冊子だ。通っていた中学のものだろう。りるはは一番後ろのページを桜歌に見せる。
「大宮りるは、書いてあるでしょ?」
小さく載っている顔写真は、少し幼く見えるが、確かに目の前にいる彼女のもの。紺色のセーラー服を着て、唇をきゅっと閉じている。
名前は……確かに、大宮りるはと記載されている。
大宮は俺の母さん―生みの親の方―の、旧姓だ。再婚してなかったんだな。
しっかし、改めて見るとやっぱり、りるはなんだな。当たり前だけど背も高くなってるし。なんか、女の子って感じになっている。
「ほら、言ったろ?俺の妹だって」
俺が桜歌にそう言うと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「だからって、玄関であんな不埒なことしていいわけないじゃない?」
「不埒なことはしてねえよ」
「してたわよ」
「それは俺がその、受け止めきれなかったからああなっただけで」
「非力なのね」
「おい」
とにかく、だ。
俺はりるはに向き直る。
「急にどうしたんだよ。旅行にでも来たのか?」
りるはは口をつぐんで数秒間下を向いたかと思うと、がばっと顔を上げた。
「私、今日からここに住むんだよ」
ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
アニメならそんな効果音が流れただろうな。無地の背景で、「・・・。」みたいなのが描かれてさ。
しばしの静寂だった。
ここに住む?
最初、言葉の意味が理解できなかった。数秒後、言葉の意味はようやく理解できて、俺はますます混乱する。
だって、ここは俺と桜歌ら四姉妹が暮らす家で、俺は親父について行って、だからりるはにはもう会えないはずで……。
「冗談は……」
よしてくれ、と言う前に、すかさずりるはは、
「冗談じゃないよ。私は今日からここに住むの」
「そりゃ、なんで」
一応、聞いてみる。
「ママが海外出張になったんだよ。でも頼れる親戚もいないし、私一人で暮らすわけにもいかないし、だからここでお世話になることになったの」
な、なんだそりゃ。聞いてないぞ、そんなの。
「ち、ちなみに親父にはそれ」
「言ったよ?」
ちくしょう!諸悪の根源はあの男かよ!?
いっつもそうだ。再婚するときもそうだった。俺に一言もなしで、いきなり母さんと桜歌らを家に連れてきてさ。
悪い父親じゃあないんだよ。金銭面で困ることもないし、優しいし、なにより俺を信頼してくれている。
でも、報連相が圧倒的に足りない!なぜこんな大事なことを俺に言わなかったんだよ!?
俺は頭を抱えた。まあ、親父らしいっちゃ親父らしいか。
隣にいる桜歌も同じことを思っているのか、くたびれた顔をしている。
「じゃあ、諸々の手続きも済んでるってことか?」
りるははこくりと頷いた。
なんてこった。
幸い、この家は大きい。アメリカ留学中の小梅の部屋も、両親の寝室も空いているし、窮屈な思いはしないだろう。ま、親父もそれを分かってて了承したんだろうけどさ。
親父の独断専行スタイルには慣れている。旅行も外食も海外出張だって、直前の報告だもんな。
まったく、帰ってきたら親父にはガツンと言ってやらないとな。
とにかく、決まったことならしょうがない。
「今日からよろしくな」
りるはは目を見開いた。
「い、いいの?ここに住んで」
「いいも何も、そういうことになってるんだろ?」
「う、うん。そうなんだけど……」
でも突然だから。そう言って上目遣いでこちらを見る。きゅるっとしたその感じに、ちょっと可愛いと思ってしまった。な、なんかこう、妹って感じでさ。
「だからって他に行くとこもないんだろ?空いてる部屋もあるし、そこ使えばいいよ」
それを聞いたりるはの顔が、ぱあっと輝き出す。発光してるんじゃないかと思うくらいだ。
「お兄ちゃん大好き!」
くしゃっとした笑顔でそう言って席を立ち、俺に抱きついてきた。
思わず受け止めた俺の胸に、顔をすりすりと擦り付ける。
「お兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好き〜♡」
突然なんだ!?何事だ!?
お、お兄ちゃん大好きだと?妹尾家の四姉妹にもそんなこと言われた経験がない。はっきり言って戸惑いが勝つが、でも、声がなんだか甘くてとろけて、頭がふわふわしてくる。しかもなんかいい匂いだし。
「ねえちょっと」
いつの間にか桜歌はりるはの後ろにいた。
俺に頭を擦りつけていたりるはの首ねっこを掴み、俺から引き剥がす。
「ちょっと距離、近すぎるんじゃない?」
不機嫌丸出しの桜歌に、りるはの驚きの表情にもじわっと怒りが混じる。
「突然、なにかな?」
「別に。ちょっと見てられなかったから」
「見てられなかった?どういうこと?」
「そのままの意味よ。あんな風に体を擦り付けて……」
「私、お兄ちゃんの妹だよ?血が繋がってるんだよ?これくらい普通だよ!」
「普通なわけないでしょうが!しかもあなた、十年会ってなかったんでしょ?十年ぶりの相手にあの距離は、おかしいわよ」
た、確かにそれはそう思う。
「でも、妹なのは確かだよ。血も繋がってるんだよ?愛情表現のなにが悪いのかな?」
「妹は普通あんなことしないのよ!」
「しますぅ。全然しますぅ」
「しないわよ!」
二人は肉食獣のごとく睨み合って、一歩も譲らない。
ちょっと待て。なんでこいつら初対面で喧嘩おっぱじめるんだよ!?社会性ってもんはないのか、社会性ってもんは?逆に尊敬するわ。
「ねえ、あたしこの子と暮らすなんてごめんよ!」
「私だって嫌だよ!」
互いが互いを指さし、俺の方を向く。その瞬間、二人の腹からグルグルグル、と空腹を告げる音が見事にハモって鳴った。
もうこの人たち、すごく気が合うのでは?
「……夕飯にするか」
俺はため息混じりにそう言った。




