第13話 おしゃれとは、歯ァ食いしばること
鼻歌めいた陽気な機械音が聞こえる。音の主である猫型の掃除ロボットは、モール中をねりねりと徘徊していた。
「わ〜、可愛い……っ」
りるはは初めてお目にかかったのか、ぞっこんだ。
顔の部分に付いているモニターには、デジタルな目が。それが数秒に一回、ぱちくりと瞬きをする。
ぴこっと生えた猫耳が、なんとも愛らしい。猫耳なんて、掃除にはおよそ必要のない要素だが、俺はこういった遊び心が好きだ。
しげしげと眺めていると、
「ミチヲユズッテクダサイ」
あ、失礼。
「お掃除ロボットなんて初めて見たよ。フィクションの中だけのものだと思ってたもん。なんか近未来って感じ〜」
俺にとってはすっかり見慣れた姿なので、りるはの感想が新鮮だ。ショッピングモールの中を徘徊するお掃除ロボ……。思えば、俺も子供の頃は遠い未来の話だと思っていた。
日常は、気付かぬうちに変化していく。ぬるりと、馴染んでいく。俺は、隣のりるはをちらりと見る。妹といられる幸せは、新鮮なまま抱いておきたいものだ、なんて。
そんなことを考えて、じんわりと感慨に耽っていると、
「何やってんのよ、あんたたち」
先に店内に入っていた桜歌が、腰に手を当てて戻ってきた。
レディース向けの、洋服店。桜歌のおすすめだというそのブランドの店は、見た感じまあ、所謂若い子向け……といった趣だった。
店頭のほっそりしたマネキンは、チェックのワンピースに、ベレー帽を被せられて、ポーズを取っている。
俺には縁のない場所だ。場違い感を覚えながら、店内をうろついてみる。
物珍しそうにきょろきょろと見回しているりるはに、桜歌が尋ねた。
「何か気になる服はあった?」
「え?うーん……」
どれも可愛いんだけど、とこぼしながら、りるははすぐ側に並んでいるジャケットのタグをちらりと見る。
「三千円……ちょっと、高くない?」
桜歌は呆れたようにため息をついた。
「女子高生が着る服の値段として、ごく普通よ。むしろ、どちらかと言うとプチプラじゃない。まあ、Tシャツとかだともっと安いかもだけど」
「お金はあるのか?」
俺はりるはに聞く。
「うん。それはまあ、たっぷり。そもそも動物園に行くつもりだったし」
「じゃ、ちょっとぐらい奮発しちゃいましょ」
そう言って、桜歌はハンターのような眼差しで店内の洋服を吟味し始める。こんなに熱心な様子も、珍しい。
「他人を好きにコーディネートするって、至極のことなのよ」
俺にはイマイチよく分からない。けれど、考えてみれば納得する節もある。お人形遊びや、衣装を組み合わせるゲームなど、往々にして女の子は、そういうものを好む。
りるははどうもファッションに疎いようで、洋服選びは桜歌に一任することにしたらしい。緊張した面持ちで、端の方に並べられているアクセサリー類を眺めていた。
「……ちょっと、派手すぎない?」
桜歌の持ってきた洋服を一目見て、りるははそう一言。
「派手じゃないわよ。全然派手じゃない。街ゆく女子は、みんなこんな格好してるわ」
桜歌がそう言って掲げるのは、レースのあしらわれた白いワンピース。派手……というほどでもないが、確かに今のりるはの格好とは大分様相の異なるものだ。
でも、澄んだその色は、りるはの黒髪に良く似合うだろう。率直にそう思った。
「で、でもこんな可愛い服、私に似合うかなあ。周りの人に変な目で見られたりしない?」
「そういう過剰な自意識を捨てることが、おしゃれの第一歩なの。歯ァ食いしばって、とにかく試着してきなさい」
桜歌はワンピースをりるはに押し付け、試着室へぐいぐい押していく。
「わ、分かったよ、分かったから……」
りるはも根負けしたのか、すごすごと試着室へ入っていく。それを見て、桜歌は満足気に頷いた。
試着室のカーテンをかしゃりと閉じ、りるはの姿が見えなくなる。
「ずいぶんと強引だな……」
俺の言葉に、桜歌はふんと鼻を鳴らす。
「こうでもしないと、いつまで経っても毛玉の付いた服を着たままよ。大事な一歩なの」
上から目線だなあ。
「あの子せっかく可愛い顔持ってんだから、活用しなきゃ無駄よね」
ぼそりと言った。それ、本人に直接伝えりゃいいのに。
「あんただって、毎日同じようなのばっかりじゃない。たまには違うの着なさいよ」
俺の今日の服は、グレーのフード付きスウェットに、ジーパン。同じような色味の服が、あと五着ほどある。
「いいだろ。楽なんだよ、これが」
「たまにはおしゃれすればいいのに。きっと似合うわよ?……それなりにね」
なんなら、あたしが見繕ってあげようか。そう言って俺を見上げる桜歌の顔は、いつものしかめっ面が嘘のように緩んでいる。
「楽しそうだな」
「え?」
「いや、なんというか……。なんとなく」
桜歌は押し黙って、何度か瞬きをした。
「楽しい、というか。なんだか、新鮮だなって」
静かにそう言った。
「新鮮?」
「うん。同い年の子と一緒に映画観たり、服選んだり……。こんな休日、今までなかったから」
「ああ、お前友達いないもんなあ」
「……」
「っっ……つう!?おい、脛を蹴るな、脛を」
「黙ればか」
そんなことをしている間に、りるはが着替え終わった……かと思えば、そうはいかない。
五分ほど経っても、りるはは一向に試着室から姿を見せなかった。
「ねえ、まだ着替え終わらないわけ?」
「えっと、その……」
カーテンの向こうから、りるはの小さい声が聞こえる。
「着替えたなら、一度見せなさいよ」
「それは、でも、そのぉ……」
カーテンの端から、ちょこんと顔を出したりるはは、気まずそうに目を泳がせる。
「ちょっと、その、今は」
「まだ、着替えてる途中?」
「そう、ではないんだけど」
そうではない?
「……着替えたのよね?なにか問題でもあったわけ?」
はっきりしない態度に、桜歌の声からも苛立ちが滲みだしている。
「あ、いや、着替えた、というか」
「着替えた、というか?」
うぐぐ、と口ごもったりるはは、やがて諦めたのか、ゆっくりとカーテンを引いた。
やっと明らかになったりるはの全身は……。
「……変わってないじゃない」
変わっていなかった。赤茶色の厚手のベスト、黒のプリーツスカート。着替える前のままなのだ。
りるはは俯いて、スカートの裾をきゅっと握っている。試着室の中には、ハンガーに掛かっている白いワンピース。一度着たのか、さっきより少しばかりくたっとしている。
「それ、着てみたの、よね?」
桜歌がワンピースを指さす。りるはは小さく頷いた。
「サイズが合わなかったとか?」
「サイズは、ぴったりだったよ」
「レース破いちゃった?」
「破いてない。大丈夫」
「じゃあなんで」
無言のまま、俯くりるは。両手は、自信なさげに胸の前で組まれている。
着用した姿を見せられないのは、なぜなのだろうか。
「その、ね?生地がちょっと、薄くて」
絞り出すように、りるはがこぼした。
生地?
「それで、寒いってこと?まあ、確かに今の季節だとそうかもしんないけど……。でも、上にカーディガン羽織ればいいんじゃない?っていうか、元からそういう着こなしのつもりだし」
「……うん、そうなんだけど」
りるはの声は、どこまでもか細い。喉がからからに乾いているのだろう。聞いていて心配になるほど、掠れた声だった。
いったい何が問題なんだ?りるはの考えていることがよく分からない。
桜歌は顎に手を当てて、りるはの立ち姿をじろじろと眺める。遠慮のないその視線に、りるはは少したじろいだ。
桜歌のその、深く思案するような眼差しが、一瞬ぎらりと光ったような気がした。
「ねえ、」
その声色は、凪いでいた。
「あたし今、ちょっと思ったことがあるんだけど」
りるはの体が、びくっと震える。
桜歌は、一歩、また一歩とりるはに近づく。追い詰められたりるはは、試着室の奥、壁に取り付けられた鏡に背を預け、顔をひきつらせる。
桜歌は靴を脱ぎ、試着室に足を踏み入れる。もうりるはは逃げられない。
「え、ちょ、おい」
未だ事態が飲み込めない俺の、頼りない制止も、もちろん意味をなさず、桜歌は。
遠慮のかけらもなく、掴んだ。
「ひぃっ……」
りるはの胸を。
「ねえ、なんであんたブラしてないの?」




