第6話 私は「本物の聖女」にはならない
公開審査は、奇跡の嘘を暴いただけでは終わらない。
私は王太子へ、改定案を示した。
「今後の転送は、すべて停止します。過去の負担は傷そのものを一度に返さず、本来必要だった療養期間へ分けて戻します。政務は摂政団と官吏へ分担し、医師の治療を受けてください」
「受苦者はどうなる」
「新しい症状は増えません。残った傷と病は、王家と教会の財産で治療します。生活、教育、仕事を失った分も補償します。将来、負担を伴う術を使うなら、利益を受ける者と払う者の双方へ内容を示し、いつでも撤回できる契約にします」
「王太子が床につけば、敵国は好機と見るぞ」
大司教が言った。
王太子の手が震えた。
「怖くないと言えば嘘になる」
彼は、右腕の古い痛みに顔をしかめながら続けた。
「私は、奇跡があるから傷ついても構わないと育てられた。そのつけを払うのに、何年かかるかも分からない。王位を継げなくなるかもしれない」
沈黙のあと、王太子は中央印を握った。
「それでも、子どもを病ませなければ立てない王なら、立つ資格がない。政務は分ける。国は一人の無傷な王太子だけで動くものではない」
レオニスは改定案へ署名した。
エステルも、聖女の起動権者として名を記す。
四十一枚の意思確認書が、一枚ずつ光った。
最後にダリオの署名が浮かぶ。
「ノエラ」
彼が右手を差し出した。
「一人で読むな。戻ってこられるよう、俺がここにいる」
契約を書き換えれば、四十一人分の痛みが流れ込む。意識を失えば、途中で条文を誤るかもしれない。
私は自分から、彼の手を取った。
「離さないでください」
「約束する」
中央印へ触れる。
熱、骨折、剣傷、毒、眠れない夜。四十一人の痛みが一度に身体を貫いた。
喉から声が漏れた。視界が白く焼ける。
それでも、右手にダリオの体温があった。
「新たな傷病の転送を、ここに停止する」
一つ目の条文を書き換える。
中庭を埋めていた黒い糸が切れた。
「既存の負担は、受益者へ安全な療養期間として返還する」
二つ目。
切れた糸から黒い色が抜け、細い銀色の光となって、それぞれの受益者へ戻っていく。
王太子が右腕を押さえ、膝をついた。騎士が支えようとしたが、彼は自分で立ち直った。
「今後、代価を伴う術は、双方の説明と撤回可能な同意なく成立しない」
三つ目。
中央印の金色が消え、透明な結晶へ変わった。誰か一人が隠して使えない、すべての条文が外から読める印になった。
「証言を妨げる沈黙呪約は、過去に登録されたものを含め、すべて解除する」
四つ目。
ダリオの喉元に絡んでいた黒い文字が砕け、灰のように消えた。オルデンの契約権限が失効しても口封じだけが残らないよう、私は恒久解除を改定条項へ明記した。
オルデン大司教が中央印を奪い返そうと手を伸ばした。
透明な結晶が赤く光る。
記録改変者――オルデン。
監査妨害につき、契約権限を失効。
炎のような文字が彼の手を弾いた。大司教がよろめくと、教会騎士たちは支えるどころか、一斉に彼から距離を取った。
ダリオの左腕から、黒い縄がほどけていく。
痣も、動かない指も残っている。失われた四年が一瞬で戻ることはない。
それでも、もう新しい傷は増えない。
「終わりました」
言った途端、足から力が抜けた。
ダリオが私を抱き留める。
意識を失う前に見えたのは、オルデン大司教の手から中央印の箱を回収する王家の騎士たちだった。
「中央契約印の不正使用、記録改変、強制契約の容疑で、オルデンを拘束せよ」
王太子の命令が響く。
「私は王国を守った!」
「その正否は、記録を公開した法廷で審理する」
大司教はもう、奇跡の名で誰かを黙らせることができなかった。
◇
目を覚ましたとき、三日が過ぎていた。
枕元にはダリオがいた。椅子へ座ったまま眠り、私の手を右手で包んでいる。
身じろぎすると、すぐに目を開けた。
「痛むか」
「少し。でも、私の痛みです」
「そうか」
短い返事なのに、彼の肩から力が抜けるのが分かった。
その日の午後、王太子とエステルが見舞いに来た。
王太子は杖をつき、右腕を布で吊っている。しばらく辺境で療養しながら、王都の摂政団へ指示を送るという。
「ノエラ。私はあなたを偽聖女とする認定を撤回する」
彼は寝台の前で頭を下げた。
「本物の聖女として、王都へ――」
「いいえ」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「私は聖女にはなりません」
十三年間、他に道はないと思っていた。
今は違う。
「私は呪約師です。誰が救われ、誰が支払うのかを隠させない。その仕事を、ここで続けます」
王太子は一瞬目を見開き、それから苦笑した。
「また、私の望む答えではないな」
「申し訳ありません」
「いや。望まぬことを望まぬと言う者が必要なのだと、ようやく分かった」
エステルは笑いながら、目元を拭った。
ダリオは何も言わなかった。
ただ、私の手を包む指に、少しだけ力を込めた。
この手が仕事の相棒としてだけではなく、一人の女性として私を選んでいたのだと知るまで、あと半年。




