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「その奇跡は、誰かに傷を移すだけです」偽聖女として追放された私、辺境で王家の傷を背負う騎士と「奇跡の代価」を暴きます  作者: 他力本願寺


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第47話 六時間を取り戻せ

薄暗い記録室に、ミナの絶望的な声が響き渡った。


「総監の強制契約では六時間、私たちの自発案でも十時間で……国境が崩壊します」


 王城の魔法観測部が弾き出したそのシミュレーション結果は、どちらの案を採用しようとも、この国が十万の魔獣潮に飲み込まれて滅びるという残酷な宣告だった。


 私は、ミナの手から計算書を受け取り、震える目でその数値を追った。


「……なぜ、全国民から強制徴収するセヴラン総監の案の方が、早く崩壊するの?」


「急激な魔力搾取に、末端の民が耐えきれないからです」


 ミナが青ざめた顔で説明する。


「強制案は、個人の限界を無視して一律に魔力を引き抜きます。体力のない老人や病人が最初に倒れ、彼らが負担していた分の魔力が、残された人々に重くのしかかる。すると次に体力の少ない人が倒れ……ドミノ倒しのように連鎖的な昏倒が起きるんです。計算上、その供給網の連鎖崩壊は、魔獣到達からわずか六時間で国境の結界を破綻させます」


 私は息を呑んだ。


 セヴラン総監の冷徹な合理主義は、数字の上では完璧だったかもしれない。しかし彼は、人間の心と肉体の脆さを計算に入れていなかったのだ。強制による搾取は、決して完璧な盾にはならない。


「では、私たちの自発案が十時間で崩壊する理由は?」


 ダリオの問いに、ミナは唇を噛み締めた。


「自発案は、健康な大人が『一晩の疲労』という安全な上限の中で魔力を提供するため、連鎖崩壊は絶対に起きません。ですが……魔獣の圧倒的な攻撃に対して、現在の参加者数では、供給される魔力の絶対量がわずかに足りないんです。結界が少しずつ削られ、十時間で押し切られてしまいます」


 疫病を救った三万人という数字は、今回の必要量そのものではない。再同意した参加者の安全な魔力に各地方印の増幅率を掛け、数日に及ぶ連続攻撃へ耐えられる出力へ換算した結果が、いま計算書に示されている不足量だった。


 強制案の六時間と、自発案の十時間。


 私は、計算書を握りしめ、顔を上げた。


「セヴラン総監の強制案は、国を救うための刃ではなく、国を六時間で内側から壊すだけの毒です。彼に『第零頁』を起動させてはならない」


 私はダリオとミナ、そして部屋の隅で通信機を死守してくれている古参の通信技官を見回した。


「私たちの自発案が十時間持ちこたえられるのなら、その間に結界を安定させればいい。セヴラン総監の強制案で失われるはずだった『六時間』を取り戻し、それを完全な解決のための時間に変えるんです。全国の支所と同時に地方印を起動させ、必要な魔力の絶対量まで参加者を積み上げます!」


 そのためには、鉄板で封鎖されたこの監査院の中から、全国のネットワークを完璧に同期させなければならない。


 私、ダリオ、ミナ、そして通信技官。私たち四人は、結界維持のための別々の担当へと分かれることになった。


 私は通信網全体の魔力同期を統括する。


 ミナは送られてくる膨大な同意データをリアルタイムで照合し、過剰搾取が起きないよう監視する。


 通信技官は、物理的な回路の維持と周波数の調整。


 そしてダリオは、軍が建物の周囲に設置した通信妨害の魔導具を破壊するため、古い地下水路を通って外部への単独潜入を果たすことになった。


 ダリオが地下通路へと向かう前、私は暗い廊下で彼の前に立った。


 言葉は要らなかった。私はそっと左手を差し出し、ダリオもまた、不自由な左手をゆっくりと持ち上げた。


 冷え切った空気の中で、私たちの薬指にはめられた銀の指輪同士が、カチン、と微かな音を立てて触れ合う。


 ひんやりとした金属の感触の奥に、彼の確かな体温があった。複雑な術式の計算も、国家の存亡も、外を取り囲む兵士たちの存在も、この一瞬だけは私たちの間から消え去る。


「無茶はしないでください」


「あなたもな」


 ダリオは私の指輪に触れたまま、その灰色の瞳で私を真っ直ぐに見つめた。


「約束だ、ノエラ。どんな結末になろうと、すべてが終わったら必ず帰ろう。あの東の家へ」


「はい。約束どおり、同じ家へ帰りましょう」


 互いの温もりを指先で確かめ合い、私たちは別々の戦場へと背を向けた。


 執務室に戻った私は、通信技官が繋いだ回線を通して、全国の支所へ魔力を送った。


「全支所、地方印の起動準備! ミナ、データ照合の状況は!」


「東部三支所、クリア! 南部鉱山都市、クリア! 参加者の疲労上限、すべて安全域に設定されています!」


 ミナが羊皮紙の束をめくりながら、叫ぶように報告する。


 地下に潜ったダリオが妨害装置を破壊してくれたのだろう。通信のノイズが嘘のように晴れ、盤面には全国から立ち上がる純白の魔力の光が次々と灯り始めた。


 セヴラン総監が王城地下で『第零頁』の強制網を起動させようとするその足元で、私たちは民の自発的な意思による、透明で安全な防衛網を組み上げていく。


 魔力の供給量を示す水晶のゲージが、ゆっくりと、しかし確実に上昇していく。


 六割、七割、八割……。


「いけます、ノエラ! このまま各支所の同期が進めば、最低必要量に到達します!」


 ミナの顔に、希望の光が差した。


 あと少し。あと少しで、十時間のタイムリミットを無限の安定へと変えることができる。


「残る大規模支所は……西部支所ね。彼らが参加の地方印を起動してくれれば、必要数に届くわ!」


 私は通信盤に向かって、祈るような気持ちで呼びかけた。


「こちら中央! 西部支所、応答してください! 地方印の同期を!」


 だが、通信魔導具の向こうからは、重苦しい沈黙だけが返ってきた。


『…………』


「西部支所? どうしたの、通信トラブル?」


 何度か呼びかけた後、ようやくノイズ混じりの声が聞こえてきた。それは、極度の恐怖に震える、西部支所の監査官の声だった。


『……申し訳ありません、中央』


「どういうことですか? 同意の署名は集まっていたはずでしょう!」


『署名はあります。ですが……地元の領主が、軍を動かして支所を封鎖しました。財務院に逆らって自発案に加担すれば、反逆罪で一族もろとも処刑すると……。恐ろしくて、地方印を起動できません!』


「そんな……!」


 私は絶句した。


『本当に、申し訳ない……!』


 ブツン、と非情な音を立てて、西部支所からの通信が完全に切断された。盤面に灯っていた西部の光が、黒く沈み込む。


 執務室に、氷のような静寂が落ちた。


 ミナが、手元の集計表を見つめたまま、血の気の引いた顔でゆっくりと顔を上げた。


「西部支所が、参加を拒否しました……。結界維持のための最低必要数に……届きません」


 水晶のゲージは、目標ラインのわずか手前でピタリと止まっていた。


 このままでは、結界は十時間で崩壊する。六時間を取り戻すための私たちの希望は、権力を恐れた一つの拒絶によって、無残にも打ち砕かれてしまった。

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