表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「その奇跡は、誰かに傷を移すだけです」偽聖女として追放された私、辺境で王家の傷を背負う騎士と「奇跡の代価」を暴きます  作者: 他力本願寺


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/50

第35話 夫婦でも、同じ命令には従わない

『――なお、二次感染防止および現場の混乱を避けるため、王立呪約監査院の全職員による疫病区への立ち入りを一切禁ずる』


 ダリオが残していった王命の写しに記されたその一文を読み、私は怒りで指先が震えるのを止められなかった。


 疫病区への立ち入り禁止。二次感染防止などというのは建前だ。王家の真の狙いは、疫病の中心地で『第零頁』の魔力がどのように国境民から代価を搾取しているのか、私たち呪約師にその真実を監査させないことだ。


「ノエラ、どうしますか……。これでは、私たちは王都に入れません」


 ミナが不安そうに私を見上げる。


 王命に背いて監査院の身分証を掲げれば、直ちに反逆罪で拘束されるだろう。ダリオは軍の内部から輸送路をこじ開ける道を選んだ。ならば私は、私にしかできない方法でこの理不尽な命令を突破するまでだ。


「ミナ、私たちは『監査院の職員』として王都へ行くわけではありません」


 私は調査官の腕章を机の引き出しにしまい込み、代わりに飾りのない簡素な平民の服を取り出した。


「地方から集められた医療物資の運搬馬車が、今夜、王都の封鎖線へ向かいます。私たちは『無給の医療助手』として、その馬車に乗り込んで疫病区へ潜入します。王命が禁じているのは監査院の立ち入りであって、死に物狂いで働く無名の平民を追い返すほど、現場の兵士に余裕はないはずです」


「はいっ……!」


 ミナが力強く頷く。王命という絶対の権力に対しても、私たちは従順な駒にはならない。ダリオが彼自身の正義を貫くために近衛に戻ったように、私も私の正義を貫くために、この不当な命令に反逆する。


「すぐに出立の準備をして。七日間の籠城になるかもしれないわ」


 私はミナと共に、必要最低限の着替えや筆記用具を背嚢に詰め込み始めた。


 防寒用の毛布を押し込もうと背嚢の底を探った時、私の手が見慣れない麻布の包みに触れた。


「……これは?」


 不審に思って包みを解くと、中から出てきたのは、丁寧に油紙で包まれた数日分の干し肉と、まだ微かに温もりを残している水筒だった。


 こんなものを入れた覚えはない。


 だが、その麻布の結び目には、左の指で端を押さえ、右手で固く締めた時にできる彼特有の癖が残っていた。


 私は、ふっと息を漏らし、泣きそうになるのを堪えて笑った。


 ダリオだ。彼は、私と本気で怒鳴り合い、険悪な空気の中で出立の準備をしながらも、私がいつ無茶をして飛び出してもいいように、こっそりと私の背嚢の底に食料と水筒を忍ばせていたのだ。


 彼は言葉では「自分は輸送路を守るから、お前は残りの参加者を集めろ」と突き放した。けれど、私が大人しく安全な場所で待っているような人間ではないことを、誰よりも分かっていた。


「……馬鹿な人」


 私は干し肉の包みをそっと胸に抱きしめた。


 実は私も、ダリオが出立する直前、彼が馬の鞍を取り付けている隙を見て、彼の鞍袋の中に特製の傷薬と、すぐに食べられるパンの包みを無言で押し込んでいた。


 意見が割れて本気で衝突しても、相手を想う気持ちが消えたわけではない。私たちは互いの顔を見ないまま、相手が少しでも生き延びられるよう、命を繋ぐための食事を荷物に忍ばせ合っていたのだ。


 言葉のない生活の中の愛が、私に前に進むための確かな勇気をくれた。


 その日の深夜。


 私とミナは、地方からの医療物資を積んだ荷馬車の御者台の裏に身を潜め、王都東区の封鎖線を通過した。


 門を警備する兵士たちは、次々と運び込まれる物資と押し寄せる患者の対応に疲労困憊しており、荷馬車の影に潜む地味な服の女二人に厳しい検問を課す余裕はなかった。


 疫病区の内側は、まさに地獄だった。


 石畳の路地には高熱にうなされる人々が溢れ、治療院の建物からは絶え間なく苦痛のうめき声が漏れ聞こえてくる。空を見上げれば、金色の巨大な網が、彼らの苦痛を辺境へと転送しようと不気味に明滅している。


 私たちは物資の搬入を手伝うふりをして治療院の裏口へ回り、激務でふらふらになっていたエステルと密かに合流を果たした。


「ノエラ! ミナまで……どうしてここに! 王命で監査院は立ち入り禁止になったはずじゃ……」


 エステルは驚きで目を見張ったが、私は口の前に人差し指を立てた。


「私たちはただの医療助手よ。エステル、時間がないわ。王都の熱を辺境に押し付ける『第零頁』の強制転送を止めるには、自発的な疲労分担の術式を完成させて、王都の中でこの熱を相殺するしかない」


「でも、自発参加者は三割しか集まっていないと聞いたわ。このままでは分担術式を起動しても、参加者一人一人の負担が致死量を超えてしまう」


「ええ。だから、参加者が集まるまでの間、一人当たりの負担上限を完璧に設定し、絶対に死者を出さない安全な契約の雛形を作らなければならないの」


 私は監査印を握りしめ、治療院に横たわる患者たちを見渡した。


「私は直接病気を治すことはできない。でも、患者たちがどれほどの熱を抱え、彼らの魔力波長がどうなっているか、監査の力で正確に測定することはできるわ。ミナ、記録をお願い」


「はいっ!」


 ミナは記録簿を開き、ペンを構えた。


 私は患者たちの胸元に手をかざし、見えない糸から伝わってくる熱量と魔力の限界値を一つ一つ読み取り、声に出していった。ミナがそれを猛烈な速度で書き留め、エステルがそのデータを元に、安全な疲労分担の治療術式の設計図を組み上げていく。


 私たち三人は、圧倒的な絶望が支配する疫病区の片隅で、王命に背いてでも国を救うための小さな反逆の戦いを始めていた。


     ◇


 一方、その頃。


 王都から十数里離れた郊外の渓谷沿いの街道を、ダリオ・ヴェルン率いる軍の物資輸送部隊が疾駆していた。


 ダリオは近衛の軍装を身に纏い、先頭を走る馬上で鋭い視線を周囲に配っていた。


 強硬派の将軍が敷いていた不当な封鎖線は、数時間前、彼が「王太子殿下の直命である。剣を抜けぬのなら道を空けろ」と圧倒的な気迫で怒鳴りつけ、軍規すれすれの威圧をもって強行突破してきたばかりだ。


「隊長! このまま渓谷を抜ければ、明日の昼には王都の南門に薬馬車を届けられます!」


 隣を走る若い近衛騎士が、弾んだ声で報告する。


「油断するな。強硬派の連中が、このまま大人しく引き下がるとは思えん」


 ダリオが手綱を引き締め、渓谷の両側にそびえ立つ岩肌を見上げた、まさにその瞬間だった。


 ヒュンッ!


 風を切る鋭い音と共に、崖の上から無数の火矢が雨あられと降り注いできたのだ。


「敵襲! 馬車を守れ!」


 ダリオの怒号が響く。だが、放たれた火矢の何本かが、先頭を進んでいた薬馬車の幌に突き刺さった。


 ボォン、という爆発音と共に、乾燥した薬草とアルコールを積んでいた荷台が一気に激しい炎に包まれる。


「クソッ……!」


 ダリオは舌打ちをし、剣を抜いて燃え盛る馬車へと駆け寄った。


 崖の上からは、正規軍の装備を偽装した正体不明の武装集団が、実力行使で薬を焼き払い、第零頁の強制転送を既成事実化させるために次々と姿を現していた。


 七日間のタイムリミットを待たずして、輸送路というもう一つの戦場でも、命を懸けた激しい死闘が幕を開けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ