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「その奇跡は、誰かに傷を移すだけです」偽聖女として追放された私、辺境で王家の傷を背負う騎士と「奇跡の代価」を暴きます  作者: 他力本願寺


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第22話 正しい側の敗訴

「知らなかったとはいえ、利益を享受した者たちに何のペナルティもないというのですか」


 私のその問いかけは、王都最高法廷の高い天井に虚しく吸い込まれていった。


 裁判長は、手元の分厚い法典から顔を上げ、少しの同情も交えない厳格な声で告げた。


「法は、悪意なき無知を罰することはできない。彼らは教会から『聖女の祈りによる奇跡』だと説明され、それを信じたに過ぎない。もし、知らずに恩恵を受けたというだけで一律に財産を没収し処罰すれば、国中の貴族から平民に至るまでが疑心暗鬼に陥り、国家の機能そのものが停止する。よって当法廷は、受益者全体に対する懲罰的賠償請求を棄却する」


 木槌が鳴らされた。


 それが、正義を信じて戦ってきた私たちがこの法廷で味わった、最初の明確な『敗訴』だった。


 傍聴席の一部からは、安堵の吐息が漏れるのが聞こえた。彼らの中にも、自分や家族が恩恵を受けていたかもしれないと怯えていた者がいたのだろう。


 私は証言台の縁を強く握りしめた。


 理屈は分かる。すべてを取り上げれば、南部鉱山の時のように、別の無関係な悲劇を生むことになる。それでも、辺境の聖痕院で自分の人生を削られ続けた四十一人の痛みを思うと、簡単に呑み込める結論ではなかった。


「裁判長、このまま次の請求についても棄却をお願いしたい」


 間髪を入れず、旧教会側の弁護人が立ち上がった。彼らが次に狙いを定めたのは、被害者である四十一人の生活と未来を保証するための『全額補償請求』だった。


「呪約師殿は、教会の差し押さえ資産から、四十一人に対する過去七年分の苦痛に対する莫大な慰謝料と、将来の生活費の全額一括支給を求めておられる。しかし、これには重大な欠陥がある。……証拠だ」


 弁護人は、私が提出した台帳の写しをひらひらと振って見せた。


「先ほどの証人、ミナ・ロウの件が良い例だ。彼女が七年間苦しんだと主張しても、教会側の原本には開始時期の正確な日付が残されていない。他の者たちについても同様だ。期間が改竄されていたり、記録そのものが焼却されていたりする」


「それは、そちらの教会が隠蔽のために意図的に記録を破壊したからです!」


 私が反論すると、弁護人は薄く笑った。


「だとしても、物理的な記録が存在しない以上、彼らが『いつから、どれほどの魔力負荷を、どれだけの期間受け続けたか』を正確に算定することは不可能です。証拠がないものに対して、教会資産という信徒の浄財から莫大な金を支払うわけにはいかない。記録不足分の補償については、全面的に棄却されるべきだ!」


 法廷がざわめいた。


 ひどい詭弁だ。自分たちで証拠を消しておいて、証拠がないから払えないと言うのだ。


「私には見えます!」


 私はたまらず叫んだ。


「私が監査の力で彼らの身体の糸を読めば、どれだけの期間、不当な搾取を受けていたかは分かります。私の呪約師としての能力が証明します!」


「異議あり!」


 弁護人が鋭く声を張り上げた。


「呪約師の『見える』という主観的な感覚だけで、国家の資産を動かすというのか? それでは、かつて『神の言葉が聞こえる』と言って特権を貪った大司教となんら変わりないではないか!」


 その言葉は、鋭い矢となって私の胸を貫いた。


 息が止まった。


 弁護人の言う通りだった。私が「私には真実が見えるから、私を信じてお金を払いなさい」と主張することは、私が最も憎んだ、権力を盾にした教会の横暴と同じ構造なのだ。


 証拠という誰もが確認できる共通のルールを無視して、自分の能力と正しさだけを押し付ければ、私は第二のオルデン大司教になり下がる。南部鉱山の村で「正しい技術的正解」を押し付けて坑夫たちを飢えさせかけた、あの躓きと同じだ。


 私は、言葉を失って立ち尽くした。


 どうすればいい? このままでは、記録を消された四十一人たちは、壊された身体を抱えたまま僅かな見舞金だけで放り出されてしまう。


 ふと、被告席に目を向けると、ダリオが静かに私を見つめていた。


 彼は自らの道義的責任を認め、一切の言い訳をせずにその場に立っている。過去の罪から逃げず、現実の厳しさを引き受ける彼のその眼差しが、私に冷たい水を浴びせ、思考を澄み渡らせてくれた。


 そうだ。正しい側だからといって、すべての要求が魔法のように通るわけではない。


 それでも、彼らを守るための『現実的な仕組み』を作ることはできるはずだ。


「……異議を、認めます」


 私は深く息を吸い込み、法廷全体に響く声で宣言した。


「記録のない過去の苦痛について、私の主観能力のみを根拠とした『全額の一括補償』の請求を取り下げます。証拠基準の原則を受け入れます」


 旧教会の弁護人が、勝利を確信したように口角を上げた。


 だが、私は言葉を止めなかった。


「その代わりに、教会の差し押さえ資産を原資とした『継続審査基金』の設立を要求します!」


「なっ……継続、だと?」


「はい。過去の記録がないのなら、現在の彼らの身体に残っている症状を証拠とします。一括で支払うのではなく、彼らが今後、後遺症の治療を必要とするたびに、独立した医師団と王立呪約監査院がその症状を審査します」


 私は裁判長席を真っ直ぐに見据えた。


「審査によって、過去の契約に起因する症状だと認定された場合、その都度、基金から治療費と生活費を満額支給する仕組みです。これならば、主観による不当な財産収奪にはならず、同時に被害者が将来にわたって見捨てられることもありません。被害者の生存権と、法的な証拠主義を両立させる唯一の手段です!」


 法廷内が、水を打ったように静まり返った。


 感情的な被害者としての特権を捨て、徹底的に実務的で法に則った代案。


 旧教会の弁護人は反論の口を開きかけたが、もはや「証拠がない」という盾は使えず、言葉を詰まらせてその場に座り込んだ。


 裁判長は、私の顔をじっと見つめ、やがて手元の資料にペンを走らせた。


「……証拠基準の厳格化を受け入れた上での、継続審査基金への切り替え。合理的かつ妥当な判断と認める。当法廷は、本案を採用し、旧教会資産の凍結および基金への移管を命ずる」


 木槌の音が鳴り響いた。


 一括での全額補償は叶わなかった。私は、完全な勝利を得ることはできなかった。


 だが、四十一人の未来の生活を守るための、絶対に壊れない安全網を勝ち取ったのだ。ダリオが小さく頷いてくれるのが見え、私は震える膝を必死に堪えて、深くお辞儀をした。


 これで、被害者への補償と受益者への対応という、すべての民事的な争点が片付いた。


 法廷の空気が、これまでにないほど重く、冷たく張り詰めていくのが肌で感じられた。


 裁判長が、法廷の奥に控える衛兵たちに向けて顎をしゃくった。


「これより、本法廷の最終審理に入る。中央契約印の不正使用、および国家規模での契約改変を主導した主犯の判決を下す」


 重い足枷の音が、石の床を引きずるようにして近づいてくる。


 法廷の中央、最も低い場所に設けられた罪人席へと引き出されてきたのは、かつてこの国の頂点に立ち、奇跡の名の下にすべてを支配していた男。


「被告人、前大司教オルデン。前へ」


 彼に対する、最後の審判が始まろうとしていた。

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