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「その奇跡は、誰かに傷を移すだけです」偽聖女として追放された私、辺境で王家の傷を背負う騎士と「奇跡の代価」を暴きます  作者: 他力本願寺


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第21話 第十七号ではなくミナ

証言台に立ちながら、私の視線は傍聴席の一角に釘付けになっていた。


 灰色の外套を羽織り、薄い布を被った三十代半ばの女性。ひどく青ざめた顔で、祈るように両手を組み合わせている。その少し垂れ下がった目元と亜麻色の髪は、辺境の監査院で留守番をしているはずの十二歳の少女、ミナに痛いほど似ていた。


 だが、その疑問を口にする間もなく、重い法廷の扉が開かれた。


「次の証人を喚問する。辺境聖痕院、元保護児童」


 書記官の声に導かれ、小さな足音を立てて法廷に入ってきたのは、他ならぬミナ本人だった。


 彼女は、ダリオが手配した監査院の護衛に付き添われ、両手で自分の小さな鞄を抱きしめている。王都の最高法廷という、大人でさえ足がすくむような厳めしい空間。居並ぶ裁判官たちと、傍聴席を埋め尽くす貴族たちの突き刺さるような視線を浴び、ミナの肩は小刻みに震えていた。


 彼女は、王家の奇跡によって不当に病を押し付けられた未成年被害者の代表として、証言を求められていた。


「証人。名前と年齢を」


 裁判長の問いかけに、ミナは口をわずかに開いた。


 しかし、声が出ない。


 彼女の喉は、極度の緊張と恐怖によって完全に凍りついていた。七年間、名前を奪われ『北部第十七号』として第三王女の熱を負わされ続けた記憶。見知らぬ大人たちに囲まれ、自分の存在を数字でしか呼ばれなかった日々のトラウマが、彼女から言葉を奪っていた。


「……ん、ぁ……」


 掠れた息の音が漏れるだけで、言葉にならない。


 旧教会側の弁護人が、あからさまな溜息をついて立ち上がった。


「裁判長。ご覧の通りです。恐怖で声も出せないような幼い子供に、四年前の契約の複雑な状況など証言できるはずがありません。彼女の記憶はひどく曖昧であり、呪約師によって都合よく誘導されている可能性が極めて高い。証言能力なしとして、退廷させるべきです」


 冷酷な言葉が、ミナの小さな背中を打ち据える。


 私は証人席から身を乗り出し、「待ってください!」と声を上げようとした。


 だが、それよりも早く動いたのは、ミナ自身だった。


 彼女は小さく首を横に振ると、抱きしめていた鞄を開け、中から数枚の紙切れとペンを取り出した。そして、証言台の上にそれを広げ、震える手でペンを握りしめた。


 彼女は魔力を持たない。私のように契約の糸を読むことはできない。


 けれど彼女には、監査院で毎日夜遅くまで書き取りの練習をして手に入れた『文字』があった。


 カリカリ、と、静まり返った法廷に、ペン先が紙を引っ掻く音だけが響き渡る。


 やがてミナは、書き上げたその紙を、両手でしっかりと掲げて裁判長に提示した。


 そこには、少し不格好な、しかし誰もがはっきりと読める大きな文字で、こう書かれていた。


『私は、五歳の時に教会へ連れてこられました』


『第三王女の熱を移され、名前を奪われ、北部第十七号と呼ばれました』


『とても熱くて、痛くて、誰も助けてくれませんでした。同意なんてしていません』


 法廷が、水を打ったように静まり返った。


 教会の弁護人が何を言おうと、紙に書かれた文字は消えない。声が出なくとも、彼女が自らの手で書き綴ったその証言は、どんな雄弁な演説よりも重く、生々しい真実として法廷の全員の胸に突き刺さった。


 裁判長は、その紙を真っ直ぐに見つめ、やがて深く頷いた。


「……当法廷は、本証言を正式なものとして受理する」


 ミナはペンを置き、大きく息を吐いた。その小さな横顔は、不当に搾取されていた『第十七号』ではなく、自らの手で真実を勝ち取った監査院の書記の顔だった。


 ミナの証言を終え、法廷は一時休廷となった。


 控室に戻ったミナの頭を、私は無言で撫でた。ダリオもまた、労うように彼女の肩を軽く叩いた。


 そこへ、一人の女性が通されてきた。


 傍聴席にいた、あのミナに生き写しの女性だった。


「……サーラ、と申します」


 彼女はひどく掠れた声で名乗り、ミナから数歩離れた場所で立ち止まった。


 ミナはダリオの外套の裾をきつく握りしめ、女性を警戒するように見上げている。無理もない。ミナが物心つく前に引き離されたのだ。母親の顔など覚えているはずがなかった。


 サーラは王都東区で洗濯仕事をしながら、ミナを育てていたという。七年前、流行り病にかかった五歳の娘を教会の診療所へ預けた。ところが教会は、療養のための移送だと偽ってミナを北部へ送り、母親には死んだと告げたのだ。


「五歳の時……流行り病で死んだと、教会の神官から教えられていました」


 サーラは、両手で自分の腕を抱きしめるようにして、途切れ途切れに語った。


「遺髪だけを渡されて……ずっと、死んだのだと」


 彼女はそれ以上、言葉を続けられなかった。


 娘が生きていると知った喜び。七年間も身代わりとして苦痛を強いられていたという凄惨な事実。そして何より、自分を覚えていないであろう娘の、ひどく怯えた目。


 ミナにとっても同じだ。「自分は捨てられたのだ」という疑念が、七年間の孤独の中で何度も頭をよぎったはずだ。


 サーラは、ミナを抱きしめようと一瞬だけ前に伸ばしかけた両手を、空中でピタリと止めた。そして、その手をゆっくりと引き戻した。


 代わりに、彼女は部屋の中央にあるテーブルの前に座った。


 懐から古びたペンと、一枚の白い紙を取り出す。


 震える手で、彼女はインクを落とした。


 擦れるような音が、静かな控室に響く。


 彼女が書いたのは、三つの文字だった。


『ミナ』


 サーラは、その紙をテーブルの上でそっと滑らせ、ミナの前に置いた。


 ミナは、紙に書かれた自分の名前を見つめた。


 ダリオの外套を握っていた小さな手が、ゆっくりと離れる。


 ミナは自分の鞄を開け、法廷で使ったインク瓶と紙を取り出した。


 テーブルの向かい側に立ち、ペンを握る。


 ぎこちない、けれど力強い筆致で、彼女もまた三つの文字を書いた。


『ミナ』


 彼女は自分の書いたその紙を、サーラの書いた紙のすぐ隣に置いた。


 二枚の紙が、テーブルの上で並んだ。


 二人は触れ合っていない。七年という失われた時間は、言葉や抱擁で一瞬にして埋まるほど軽くはない。


 それでも、ただ並べられた二つの名前だけが、確かな温度を持ってそこにあった。


 その後の法廷で、知らなかった受益者への一律処罰を求める私たちの主張は、無情にも棄却された。

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