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「その奇跡は、誰かに傷を移すだけです」偽聖女として追放された私、辺境で王家の傷を背負う騎士と「奇跡の代価」を暴きます  作者: 他力本願寺


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第19話 恋人ではないと言いますか

休廷を告げる重々しい木槌の音が、私の耳の奥で何度も反響していた。


 傍聴人たちがざわめきながら退室していく中、私は証言台の前に立ち尽くしていた。視線の先には、ぽつんと置かれた一枚の銀色の徽章がある。


 王立呪約監査院の調査官であることを示すその盾を、ダリオは自らの手で外し、この法廷に置いていったのだ。


「ノエラ様。控室へ」


 監査院の書記官に促され、私は弾かれたように歩き出した。


 石造りの冷たい廊下を抜け、証人用の狭い控室の扉を開ける。そこには、窓の外の灰色の空を静かに見つめているダリオの背中があった。


「ダリオ!」


 私は扉を閉めるなり、彼の背中に向かって声を張った。


「なぜ、私に一言の相談もなく辞任なんて……っ」


 ダリオはゆっくりと振り返り、私の痛切な視線を正面から受け止めた。


「相談すれば、あなたは必ず止めたはずだ。俺と一緒に責任を背負おうとして」


「当然です! 私たちは、監査院を一緒に作っていくと約束したじゃありませんか!」


「だからこそだ、ノエラ」


 ダリオは静かに首を横に振った。


「あの法廷で明らかになった通り、俺はかつて、自分の英雄性という無自覚な暴力で部下から選択の自由を奪った。その結果が、あの偽造契約だ。そんな男が『当事者の同意』を重んじる監査院の調査官として留まり続ければ、監査院の中立性も、あなたが積み上げてきた信用もすべて地に落ちる」


 彼の言っていることは、実務的な理屈としては正しかった。


 私が南部鉱山で失敗を公に謝罪したように、彼もまた、自らの過去の過ちに対して公的な責任を負わなければならない。それは頭では理解できた。


 だが、納得などできるはずがなかった。


「……辞任については、分かりました」


 私は震える拳を握りしめた。


「ですが、旧教会側の弁護人は、これだけでは終わりません。明日の審理では、必ず『私とあなた』の関係を追及してきます」


 旧教会側が狙っているのは、私の呪約師としての信用の失墜だ。「私がダリオの署名を本物だと認めたのは、恋人である彼を教会の被害者に仕立て上げるための狂言だ」と、そう主張してくるに決まっている。


 ダリオの目が、微かに伏せられた。


「分かっている。だから、ノエラ。明日の法廷で彼らに問われたら、こう答えてくれ」


 彼は深く息を吐き出し、私を見据えて言った。


「俺たちは、ただの仕事の同僚に過ぎないと。あるいは、同情を引くために俺があなたを騙し、利用していただけだと」


 冷や水を浴びせられたような衝撃だった。


「……関係を、否定しろと言うのですか」


「そうだ。そうすれば、あなたは『狡猾な元近衛隊長に利用されかけたが、公正な監査を行った呪約師』として、傷を最小限に抑えられる。監査院を守るためには、俺という汚点から完全に切り離される必要があるんだ」


 ダリオの言葉は、どこまでも私と監査院を守るためのものだった。四年前、部下を救うために自らを差し出したあの時と同じ。彼はまた、一人で泥を被り、私だけを安全な場所へ逃がそうとしているのだ。


 胸の奥で、激しい怒りと、それ以上の悲しみが渦を巻いた。


「嫌です」


 私は彼を真っ直ぐに睨みつけ、一歩踏み出した。


「嫌だと言っているんです。あなたは、私に法廷で嘘をつけと言うのですか?」


「これは嘘じゃない、防衛だ! 教会の残党は、あなたを引きずり下ろすためならどんな汚い手でも使ってくる。あなたの個人的な感情で、監査院という国を救うための組織を危険に晒すわけにはいかないだろう!」


 ダリオが声を荒らげる。彼が私に対してこれほど感情を露わにするのは、辺境で出会ってから初めてのことだった。


「私は呪約師です」


 私は彼に歩み寄り、逃げ道を塞ぐように、その胸元へ両手を置いた。


「隠された代価を暴き、本人が望まない嘘を許さない。それが私の仕事です! なのに、自分の心を隠して、愛する人を愛していないと嘘をつく人間が、どうして他人の契約の真実を裁けるというのですか!」


 ダリオの息が止まった。


「十三年間、私は教会で『本物の聖女』になるための嘘をつき続けてきました。もう二度と、自分の心に嘘はつきません」


 私は彼の左手を両手で包み込み、自分の胸に押し当てた。


「あなたは、私の恋人ではないと言いますか?」


 私の目から、堪えきれずに一筋の涙がこぼれ落ちた。


「部下を追い詰めてしまった無自覚な罪も、四年間抱え続けた不器用な後悔も、私を一人で守ろうとするその悪癖も。全部ひっくるめて、私が選んだ人です。法廷で石を投げられるなら、一緒に投げられます。それが、私が選んだ代価です」


 ダリオの灰色の瞳が、激しく揺らいだ。


 彼は何かを言いかけ、そして、諦めたように深く息を吐き出した。


 包み込んでいた私の手から、彼の左手がゆっくりと抜け出す。拒絶されたのかと一瞬身を強張らせた私の頬へ、その指先が触れた。次の瞬間、彼の右腕が私を力強く引き寄せ、左腕もそっと背へ回される。


「……あなたは、本当に頑固だ」


 私の頭上に降ってきた声は、先ほどまでの張り詰めたものが嘘のように、温かく、震えていた。


「あなたがそこまで覚悟を決めているのに、俺が逃げるわけにはいかないな。……分かった。明日の法廷で何を言われようと、俺はあなたを愛している事実を隠さない」


 彼の胸の鼓動が、私の耳に直接響く。


 私たちは、最も困難で、最も茨に満ちた道を選んだ。公の場でスキャンダルに塗れようとも、決して自分たちの関係を嘘で塗り固めたりはしない。


 二人で痛みを分け合う決意を固め、身体を離そうとしたその時だった。


 コン、コン。


 控室の扉が、遠慮がちに、しかし切羽詰まった様子で叩かれた。


 ダリオと顔を見合わせ、彼が扉を開ける。


 そこに立っていたのは、一人の若い女性だった。年齢はエステルと同じくらいだろうか。色素の薄い金髪に、ダリオと同じ灰色の瞳をしている。


 彼女はひどく青ざめた顔でダリオを見つめ、震える両手で一通の古びた封筒を握りしめていた。


「リヴィア……?」


 ダリオの驚いたような声に、私は彼女が何者かを察した。辺境の聖痕院にいた頃、ダリオが一度だけ語ってくれたことがある。王都に残してきた、たった一人の妹だと。


 しかし、四年ぶりの再会だというのに、妹の顔に喜びの色はなかった。


「お兄様」


 リヴィアの震える声が、廊下に響く。


「法廷での言葉、聞いていました。四年間、ずっと苦しんでいたと。部下の方々に、謝罪の手紙を書き続けていたと」


 彼女は、握りしめていた封筒をダリオの胸に突きつけた。


「だったら……三年前、私に送られてきたこの手紙は、一体何だったのですか?」


 ダリオがその封筒を受け取り、中の便箋を引き出す。


 そこには、見覚えのあるダリオの几帳面な筆跡で、こう書かれていた。


『ヴェルン家の家督は放棄する。私の傷は英雄としての名誉の代価であり、お前のような足手まといの家族はもう必要ない。二度と連絡してくるな』


「な……」


 ダリオの顔から、さっと血の気が引いた。


「俺は、こんな手紙は書いていない!」


「嘘です!」リヴィアが叫んだ。「筆跡も、封蝋の紋章も、確かにお兄様のものでした! 私はこの手紙を受け取ってから、ずっと……っ!」


 私は横からその便箋を覗き込み、そして息を呑んだ。


 インクの下から、どす黒く濁った魔力の糸が這い出している。


 それは、教会の手によって巧妙に作られた『偽造書簡』だった。彼を孤立させ、真実を語る気力を奪うために、家族との縁を強制的に断ち切らせた悪意の痕跡。


 公開法廷の裏で、旧教会の仕掛けた罠は、まだ彼を、そして彼ら兄妹を縛り続けていた。

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