第17話 救われた側の葬列
木槌の音が法廷に響き渡り、ダリオの原署名が「恒久的な同意の起点」として正式に採用された。
それは、旧教会の偽造を追及するはずだった私たちが、逆にダリオの責任を公式に問われる側に立たされたことを意味していた。
ざわめく傍聴席を見渡し、旧教会側の弁護人が満足げな笑みを浮かべて立ち上がった。
「裁判長。呪約師殿は、教会の契約が一方的な搾取であったと声高に主張しておられる。しかし、ここで一つの事実を確認していただきたい。被告人ダリオ・ヴェルンが起点となったその契約によって、果たして誰が救われたのかを」
弁護人の合図とともに、書記官が分厚い束のリストを読み上げ始めた。
「王都東区、六歳の少女。原因不明の熱病により余命数日と宣告されるも、奇跡により完治」
「南門通り、荷馬車の下敷きになったパン屋の青年。両足の複雑骨折により生涯歩行不能とされたが、奇跡により翌日には職場へ復帰」
「さらに……北の国境守備隊、名もなき兵士二十名。魔獣との交戦で負った致命傷が、奇跡の祈りによってすべて塞がった」
次々と読み上げられる名前に、私は息を呑んだ。
教会が隠していた受益者のリスト。私は辺境の監査院でその内容に目を通していたはずだった。だが、こうして公開の法廷で読み上げられると、その事実が持つ別の側面に気づかされる。
奇跡を甘受していたのは、私腹を肥やす貴族やオルデン大司教のような権力者だけではなかった。
そこには、今日を生きるのに必死な平民たちがいた。怪我をすれば家族が路頭に迷う父親がいた。治療費など到底払えない貧しい家の子供たちがいた。
「お分かりでしょうか」
弁護人が、法廷全体に響き渡る声で語りかける。
「もし、ダリオ・ヴェルン個人の崇高な犠牲と、教会による奇跡の運用がなければ、今読み上げられた彼らはどうなっていたか。間違いなく、冷たい土の下へ向かう長い長い『葬列』を作っていたはずです。彼らにとって、この奇跡はまぎれもなく神の慈悲であった。一部の者の痛みを全体への救済へ変えることの、何が罪なのですか」
法廷内に、弁護人の言葉に同調する空気が広がり始める。
私は証人席で、強く唇を噛みしめた。
奇跡の代価を他人に押し付けるのは間違っている。しかし、「あの時、彼らを死なせたままでよかったのか」と問われれば、私にはそれを肯定することはできなかった。救われた側の彼らに罪はない。だが、だからといって、隠されたまま代価を押し付けられたダリオや四十一人の痛みが正当化されていいはずもないのだ。
「しかし」
弁護人が、ゆっくりとダリオの方へと向き直った。
「被告人ダリオ・ヴェルンは、今になって『自分は騙されていた』『こんな契約は望んでいなかった』と被害者のように振る舞っている。……実におかしな話だ」
弁護人の声が、冷たい刃のように鋭くなる。
「もし恒久化があなたの本意でなかったのなら、なぜあなたは四年間も沈黙していたのか? あなたは王家から英雄として称賛され、辺境の聖痕院で管理人の地位を与えられていた。あなたが声を上げなかったその四年間の『沈黙』こそが、契約への継続的な同意を示しているのではないか!」
「違います!」
私は思わず叫んでいた。
「彼は沈黙していたのではありません。教会によって沈黙呪約を掛けられ、真実を口にすることを封じられていたんです!」
「証拠は?」
弁護人が鼻で笑った。
「呪約師殿の言葉だけでは証拠になりません。現に彼は四年間、何のアクションも起こさなかった。心の中でどう思っていようと、外から見れば彼は契約に同意し、部下たちを犠牲にして自らは安全な地位に収まっていた指揮官に過ぎない」
その言葉は、ダリオの心をどれほど抉るだろうか。
私が反論しようと息を吸い込んだ時、これまで沈黙を保っていたダリオが、静かに立ち上がった。
「裁判長」
ダリオの低く落ち着いた声が、法廷の喧騒をすっと鎮めた。
「私が四年間、契約の不当性について声を上げず、継続を認めていたという検察側の推測に対する反証として、証拠物件の提出を求めます」
裁判長の許可が下りると、ダリオの弁護人が一つの古い木箱を証拠台に運んだ。
それは、南部の鉱山村で、私がダリオから見せられたあの箱だった。
「その箱の中には、十二通の手紙が入っている」
ダリオは真っ直ぐに裁判長を見据え、言った。
「宛名は、四年前の戦場で私と共に戦い、そして傷を引き受ける署名をした十二人の部下たちの家族です」
法廷が静まり返る。
「私は教会の呪約により、契約の真実を誰にも話すことができなかった。自分が意図せず作り出してしまった同調圧力への後悔と、彼らを巻き込んでしまったことへの謝罪。言葉に出せないその思いを、私は四年間、手紙に書き綴り、箱に封じ込めてきました。一度として、彼らが傷を負い続ける現状を肯定した日などありません」
書記官が木箱を開け、中から封の切られていない十二通の手紙を取り出した。
蝋で封じられたままのその手紙の束が、証拠として裁判長の前に並べられる。
「日付を確認していただきたい。最も古いものは三年前、最新のものは半年前のものです」
裁判長が手紙の一つを手に取り、封を切り開いた。そして、静かにその文面に目を通す。
ダリオの言葉に偽りがないことは、その手紙のインクの古さと、几帳面な筆跡が証明していた。彼が四年間、部下たちを思って一人でどれほどの重圧を背負い続けてきたか。沈黙による継続的同意という弁護人の主張は、この十二通の未送付謝罪文によって完全に崩れ去ったのだ。
傍聴席からは、ダリオを非難していた声が消え、代わりに彼が背負ってきた痛みに同情するような吐息が漏れ始めた。
私も、証人席で小さく息を吐き出した。これで、彼が冷酷な強要者だという誤解は解ける。
しかし、法廷がダリオの痛みを理解しようとした、まさにその時だった。
「……ふざけるな」
傍聴席の最前列から、押し殺したような低い声が響いた。
ざわめきが止む中、一人の男が証言席の前に進み出た。彼は右足を引きずり、顔の半分には古い火傷の痕が痛々しく残っている。
「異議を申し立てる」
男は、裁判長ではなく、被告席に立つダリオを真っ直ぐに睨みつけた。
「私は、四年前の戦場でダリオ隊長の下で戦った元近衛騎士、カイルだ」
ダリオの目が、わずかに見開かれる。
カイルと呼ばれたその男は、証拠台に置かれた手紙を忌々しげに一瞥した。
「俺たちが四年間、毎晩のように見知らぬ誰かの激痛にのたうち回り、家族に心配をかけ、騎士としての道も断たれて苦しんでいた間……隊長、あなたは安全な場所で、こんな手紙を書いて一人で許された気になっていたのか」
「カイル、俺は……」
ダリオが口を開きかけるが、カイルの声がそれを遮った。
「謝罪文なんていらない! あなたが苦しんでいたことなんて、俺たちには関係ないんだ!」
カイルの怒号が、冷たい石の法廷に叩きつけられる。
「俺たちは、あなたが最初に署名したから、あなたを信じてペンを取ったんだ。それを、出せもしない手紙を十二通書いたくらいで、俺たちの失われた四年が帳消しになると思うな!」
それは、法廷の論理でも証拠の力でもない、被害者からの決して拭えない怒りの刃だった。




