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黄泉路も独りじゃ寂しかろ  作者: 黒森 冬炎


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五、赤い棺に乗った花婿

 巌国南の辺境剣吟城から南山国の北壁塞城(ほくへきさいじょう)までは、軍馬で二日ほどの距離にある。裏切りの起きた峡谷はちょうど半道、双方から一日の場所に位置している。北壁塞城から南山国首都までは更に三日あまり。剣吟城から都の春陽(しゅんよう)までは七日程度。どちらも国のほぼ中央に首都がある。


 南山国は荒野と岩山の痩せた土地柄だ。巌国は、豊かな平原と緑の山、南方には荒野もあるが剣吟城の辺りはまだ川もあり、水に困ることがない。城外に出て南山国に近づくと、水の乏しい荒地に差し掛かる。国力の差は歴然としていた。南山国は少し北上すれば川のある土地を得られる。そこで長年、巌国の国土を奪おうとしてきた。



 随風は、自室で地図を前に姿勢正しく座っていた。


「この翠雲公主というのは、かなり身軽に動き回っているようですね」

「離脱や移動の機を見る俊敏さには、天賦の才を感じるよね」


 珍しく口をへの字に曲げて、随風は地図に書き込まれた朱色の移動ルートを指先で叩いた。


「五の若様、薄墨の点線は誰の動きですか?」

「ああ、これか。これは降伏勧告、停戦提議書、その写し、賠償請求親書の伝達筋だよ」


 地図には、幾つかの線と日付が記入されていた。何の線なのかは書かれていない。


「この日付からしますと、そろそろ停戦交渉の使節団が送られて来そうですね」


 冬川は、指を折りながら日を数えて予想する。


「陛下の手元には、停戦提議書の写ししかないんだよねぇ」

「原本はまだ見つかっていないんですか」

「見つかっていないねぇ」

「写しはこちらで作成したものでしたっけ」

「段家軍の幕屋で作成した写しだよ。早馬で報告の為に送られた文書だね」

「じゃあ原本は」


 髄風は地図から目を上げた。


「どこ行っちゃったんだろうねぇ?無いと、そんなものは送ってない、とかゴネられそうだよ」

「大石の他にも、隠れている段家軍将士がいるのではありませんか?」


 冬川は希望的観測を口にした。


「原本を運ぶ使者がいたなら、とっくに陛下の手に届けられていると思うよ」


 冬川は肩を落とした。随風は地図を畳み、立ち上がって侍者の肩を叩く。そのまま昼下がりの町に出た。


「葉五公子(ぼっちゃん)

「うん。どうも。出来てる?」


 棺桶屋の店先で、菓子でも買うような調子で言葉を交わす。


「ええ。明日にでもお引き渡しできますよ。ご要望の高級棺材も塗料も在庫がありましたからね」

「ありがとう。明日受け取りに来るよ」

「はい。準備しときます」


 上機嫌な棺桶屋にはいつも通りの態度で接して、道に出た途端、随風は複雑な表情になった。棺桶の素材が在庫にあったことを、幸運だと喜ぶ気にはなれない。


「五の若様、国葬になりましたのに、やはり棺桶はそのままになさるんですか?」

「うん。頼んであったしね。今から会議して注文して出来上がるまで待っていたら、だいぶ先になっちゃうよ」


 その後、冬川の操る馬車に乗り込み、城外の山中までやって来た。疎な木立の間に土饅頭の並ぶ寂しい墓所だ。随風が取り出した紙には、花咲く杏の樹が描かれていた。「随燕」と刻まれた石の前に紙を置き、土塊を重しにした。


「燕燕。ごめんね。明日、お騒がせするよ。掘り起こすなんて野蛮だよね。でも、ちゃんとお棺に入れてあげるからね。老将軍の分もあるから安心して」


 話しながら、線香に火をつける。


「他の人たちはもう少し待って。峡谷に散った袁副将軍たちも、きちんと全員のお位牌を作るよ。約束する」


 随風は懐から紙包を取り出した。開くと干杏が入っていた。燕の好物である。随燕石の前に包みを備えると、一つだけ摘み上げて齧った。


「どういう基準かわからないんだけど、国葬は燕燕だけなんだ。他の人のお葬式は、僕が寡夫として盛大に行うからね」


 亡き婚約者の盛土に向かって、随風は優しく話し続けた。


「幸い、段家廟は破壊を免れていたから、燕燕と老将軍のお棺は、明後日そこに納めて良いことになったんだ」


 死後日が経っているため、国葬とはいえ儀式は位牌だけで行うことに決まったのだ。霊廟が蹂躙されずに済んだのは、単に時間がなかったからだろう。あの日の太子は、一刻も早く皇宮を掌握したかったのだ。そうでなければ、喜んで祖先の霊まで冒涜しただろう。それを躊躇うような精神状態ではなかった。


「燕燕、裏切り者は処刑されたよ」


 彼らは御林軍に紛れ込んでいた。呆気なく見つかり、太子と共に処刑された。太子は、生母である皇后の暗殺にも関わっていたという証拠まで掴まれていた。


「最初は庶民に落とされて流刑になる予定だったんだ。でも、太子の命令で皇后宮の警備が手薄になる時間帯があった、ってことが発覚したんだよ」


 手薄になる時間帯は日によって違い、病欠などのもっともらしい理由が付けられていた。刺客はいつも警備が手薄な時間帯に来た。手だれの武人が襲撃する時もあり、茶水や食事に毒を盛る場合もあった。この記録を見つけ出したのは、随風である。花月音から渡された太子関連資料の中に、皇后宮との関わりを見出したのだ。そこで随風は、衛調査官を通じて、皇后宮関連の記録に目を通すことにした。僅かな手がかりを糸口として、絡み合う恩怨を解いて行った。そして遂には、太子処刑へ王手をかける妙手にまで辿り着いたのである。


「お母さんなのにね」


 廃太子謝天開はまた、敵国の巫蠱術師と組んで、皇帝暗殺を試みた。皇帝は、実の父である。


「すっかり洗脳されていて、実の子である自分を差し置いて他人である燕燕を褒め称える酷い両親、という憎しみを募らせていたみたいだ」


 取り調べでは、両親である皇帝夫妻のことを、口汚く罵り続けたのだという。牢を訪れた皇后に掴み掛かり、噛みつこうとし、もはや正気ではなかった。


「燕燕は、皇后娘娘(さま)からも目を掛けられていたからねぇ」


 皇后は賢帝に相応しい立派な人物であった。立派な両親に高潔な師を与えられ、謝天開は、いわば無菌状態で育ってしまったのだ。幼少期には南方辺境軍営を経験したが、生命の尊重を覚えなかった。過酷な状況でも平穏に暮らせる、という面のみを吸収したようだ。これは、皇帝にとって大いなる誤算だった。


「あいつは、平和な御代であろうとも、誰かに唆されて劣等感を膨らませたと思うよ」


 随風暗殺未遂も、太子陣営によるものだった。襲撃は繰り返され、随風は絶え間なく命を脅かされていた。随風自身は気が付かなかったので実感はない。段燕将軍の婚約者なので、厳重な警備体制が敷かれていた。そうでなければ、今ここに立ってはいなかっただろう。


 今回、御林軍の幹部が軒並み牢送りになった。これまで追及しきれなかった数々の罪が、次々と明るみに出た。太子には要人暗殺に類する罪状が多すぎて、皇帝でも謝天開の命を助けることが出来なくなった。


「いい面ばっかり観てることが、必ずしも人にとって為になるとは限らないんだねぇ」


 屍の上に建てられた安寧の宮殿は、いずれ恐ろしい土台を暴かれるものである。何事も良い面だけを見ていると、いつしか芯が腐ってゆく。悪い面を知ってこそ、人であれ国であれ、良い関係性が育つ。


 随風が齧っている杏はだいぶ小さくなっていた。白く冷たい欠片が、鼻先にひらりと落ちて来る。


「僕はまだ、君の悪い面を知らないなあ」


 随風は残念そうに盛土を見つめた。丁寧に固められた土饅頭は、音もなく白い斑点で飾られてゆく。


「喧嘩して仲直りしたり、誤解して話し合ったり、老将軍や段家軍のみんなと同じように、そういうのもしてみたかったなあ」


 随風の吐く息が白くなった。灰色の雲の隙間から、茜色の光が射している。随風は夕陽を見る度に、あの日の惨劇を思い出さずにはいられない。無実の犠牲者が流した血と、夕空の赤と、随風自身が身につけていた婚礼の真っ赤な祭服が、目に焼きついて離れない。


「燕燕の泣き声も、怒った声も、勇ましい鬨の声も、子供に歌う子守唄も、まだ聞いてない」


 初雪は杏の絵に薄く積もってゆく。線香は降雪の中で灰青の煙を流していた。


「観て、燕燕。君の杏が花開いたみたいじゃないか」


 この五年、春に花咲く杏の樹下で、随風は老将軍と色々な話をした。八割は段燕将軍のことだ。だが、あとの二割は日々のあれこれを語り合ってきた。杏が咲き誇る庭の主人が帰るのを待ちながら、四季の移り変わりを眺めて過ごした。


「燕燕、老将軍」


 随風の目に涙はなかったが、とても寂しそうな顔をしていた。絵の前に腰を下ろす背中が小さく見える。その後は、何も言わなかった。冬川は離れたところに立っている。はらはらと落ちる雪片に真っ白な杏の花弁を幻視するかのように、随風はただ雪の舞を眺めていた。



 帰りの馬車の中、随風は自室で眺めていた地図に再び目を落としていた。翠雲公主の動きを見直し、最近の報告を頭の中で復習する。


「芸人一座は辞めたんだな」


 五狗が作った似顔絵により、翠雲公主、楽人、下女はどこに現れても捕捉されるようになった。無音の調査員なら、平凡な顔をしたお供の男女を見分けられるのだ。姿や職業を変えても、すぐに解る。


「翠雲公主は、卑怯に隠れて人を操るのが好きだから、賠償交渉には来ないだろう」


 正面から乗り込んで来て、巌国皇帝の首を取るような豪快さは想像できない。暗躍して態勢を整え、自分は安全な場所にいる。


「再戦の準備をしているみたいだなぁ」


 最近目撃されたのは、やはり初国である。歌舞の盛んな国なのに、翠雲公主は得意なはずの芸事を隠れ蓑にしていない。芸人や楽人としての活動が長かった為だろう。件の琴師だと認識される危険は犯さない。今は、公主の身分を使っている。元の身分は、成人後すぐに病没したことになっているので、よく似た妹である詩雲(しうん)公主という触れ込みだ。初国には親善大使として滞在していた。草原同盟と手を組んで、手薄になった剣吟城に攻め込んで来る算段なのだろう。


「今のところ、証拠はないけども」


 随風は、首から下げた御守り袋を引き出した。錦の小袋を開くと、群青色の玉佩(ぎょくはい)が見える。


「あの人を表舞台に引き摺り出すには、どうしたらいい?」


 掌にそっと乗せて、指先で愛おしそうに「平安」の金文字をなぞった。


「燕燕ならどうした?兵法を教えて貰えば良かったよ。五年もあったのに。僕はなんて間抜けなんだ」


 玉佩を服の下に戻して、随風は後部の簾を上げた。沈む陽の色に染められて風に舞う雪は、あの日の血飛沫を思わせる。随風は、赤い雪の向こうに霞む盛土を凝視した。文官らしく生白い顔の中で、奇妙に静まり返った一対の眼が、これから訪れる漆黒の時間を待ち望んでいる。



 夕食を済ませて自室に戻ると、黄護衛が待っていた。地下倉庫にいる怪我人の世話が終わったところのようだ。


「黄殿、ありがとうございます」

「なんの。大石は段家軍の兄弟分ですから」

「それで、何か変わったことでも?」


 普段、黄護衛が随風の自室で待っていることはない。


「南山国に行ってこようと思うんです」

「ひとりで?」


 随風は目を見開いた。


「大石とも話し合いまして。今は無音の皆さんもおられますし、婿殿の護衛は、私たちが抜けても問題はないでしょう」

「何しに行くんです?」


 随風は、疑いの眼を向けた。


「ああ、無茶はしませんよ。ただちょっと、大石に試したいことがあるって言うんで」

「で、何を試すんですか?」

「帝王一族が皆体調不良になれば、国外にいる翠雲公主が呼び戻されるんじゃないでしょうか?」

「使者として我が国に引き摺り込むと?」

「ええ」


 随風は眉を下げた。


「いや、そう上手くはいかないと思いますよ」


 帝王一族全員に、薬を盛るなり生焼けを食べさせるなりするのが前提となる作戦だ。


「一族の居場所を全部把握して、全員同時に具合悪くするなんて、現実味がありませんし」


 言いながら、随風は茶を入れる。


「そうなったからといって、背後に隠れている翠雲公主が、交渉の場にやって来るとは思えません」


 そんな事態が起きたら、却って警戒しそうである。


「そうですかね」


 随風から湯呑み茶碗をひとつ受け取って、黄暁は緑がかった茶色の液体を見つめた。独特の発酵臭がする。剣吟城の特産品である、剣鏡(けんきょう)という銘柄の茶だ。無音の調査員が、昨日剣吟城から届けてくれた。弔いの意味合いを込めて、随風は黄護衛に供したのである。


「剣吟城に動きがあれば、またあの三人が探りにくるでしょうか?」

「来るかもしれませんね。やつらはこちらを見下してますから、平気で戻ってくる可能性はあります」


 随風は茶を一口飲むと、長閑な微笑みを浮かべた。


「国内に誘き寄せることが出来たなら、岳(じゅう)に情報を流しましょう」


 太子が廃されたので、太子妃も肩書きがなくなった。今は国公の孫娘、岳柔だ。国公一家はこの孫娘が、市井の琴師を再三再四亡き者にしようと企んでも見てみぬふりをしていた。今回、恨み骨髄の翠雲公主がやってくれば、岳柔は迷わず謝天開の仇を討ちにゆくだろう。翠雲公主は既に巌国の琴師ではない。私的に命を狙ったところでお咎めは軽いだろう。相手はスパイだ。私怨ではないと言い逃れができる。


「うまく国内に来させるにはどうしたらいいですかねぇ」

「噂はどうです?神燕将軍は生きていたとか」


 声に振り向くと、跳ね上げ窓から衛調査官が音もなく入って来たところだった。


「あれ、衛殿、勤務時間外に珍しいですね」

「いや、ちょっと、地下室に忘れ物をしたみたいでして」


 衛調査官の忘れ物はすぐに見つかった。腰に下げていた矢立(やたて)が、するりと抜けて床に落ちていたのだ。矢立とは、携帯用の筆記具である。筒に筆を入れて持ち運び、付属の墨壺に浸して書くことが出来る。拾おうと腰を屈めて、衛調査官は動きを止めた。


「この面具、綺麗にしないのですか?」


 棚の低い位置に、真紅の錦が敷かれているのに気がついたのだ。そこには幾つかの品物が並んでいた。ひとつは、小さく素朴な木箱。ひとつは、段家父子二代にわたり戦場で顔を保護した金属製の仮面。また一つは、杏の花が浮き彫りにされた桃の木の箱。これは五つあった。最後に、赤い布がかけられた衣裳盆。


「忘れてはいけませんから」


 随風はまた、恐ろしいほど長閑な笑顔で答えた。


「痛くて、悔しくて、驚いて、きっと怒りもあったでしょう。どんなにか辛かったことでしょう」


 随風の様子を目にして、その場にいた衛調査官と大石は凍りついた。


「だけど、僕は燕燕の悔しさや怒りは知らないんです。僕はそこにいませんでした。僕の知らない燕燕を、忘れてはいけないんです」


 随風は、すっかり乾いた血の跡からサビ始めている面具に触れた。豆のある指を揃えて、慈しむようにゆっくりと撫でた。


「僕が燕燕の絶望を知ることができなかったこと、僕は間抜けで腰抜けだったこと、僕の不甲斐なさ、役立たずぶり、何ひとつ忘れてはならないんです」


 その場のふたりには、随風の気持ちが理解出来なかった。柔らかな声音には深淵が見え隠れしていた。その語り口は、蒼く静かな海に呑み込まれ、果てしなく沈んでゆくような感覚に陥らせるものだった。



 半月かけて、神燕将軍生存の噂は蔓延した。無音の調査官が燕に扮して、人混みに姿を現すこともあった。だがそれは、ほんの一瞬であり、曖昧さを強調する見せ方だった。幽霊説も広まった。事件の黒幕である女スパイが、まだ討ち果たされず逃げ仰せているからだ、とまことしやかに囁かれ始めた。


 噂のピークは、辛くも南山国からの使節団到着と重なった。幽霊説の他に、影武者説も有力だった。背中を射られたのが影武者で、本物は叛逆事件の黒幕を追っているという噂だ。燕はかつて父の影武者を務めたが、今度は影武者に峡谷戦を任せて、自分は犯人探しに奔走していた、という内容だった。


 交渉には、神燕将軍も出席するのではないか、という憶測まで飛び交っていた。この噂に信憑性を持たせた理由のひとつに、新南方辺境軍営が純段家軍方式で運営されていた点が上げられる。剣吟城に送られた新たな南方辺境軍は、黄護衛の指導を受けてから出発していた。選抜を皇帝から任されたのは、黄護衛と随風である。


 審査基準に、段燕への尊敬と信頼も組み込まれていた。その為彼等は、悲劇の英雄・鎮南将軍段燕の熱狂的な追随者で構成されていた。「神燕軍」と名付けられ、大衆の期待も高かった。彼等は、文書で残されていた規範書と武術指南書を徹底的に研究した。中には、過去にほんの一時期、南方戦線に参加したことがある武人もいた。そうしたことが重なって、僅か二週間で、素人からは生き残りが集まったとしか思えないほどの仕上がりを見せた。



 その頃には、大石(だいせき)の怪我もあらかた良くなっていた。地下に隠れる必要もなく、正式に刑部尚書府を訪ねて来た。


「我らが神燕将軍の為に、骨身を削って正義を実現してくださった婿殿に、せめてお食事でも差し上げたいと思いまして」

「僕は記録を調べただけなんだけども」

「そんなことはありませんよ。婿殿には、数えきれないご恩があります。偽聖旨の証拠を確保して、唯一の目撃者を匿って、ふたつの将軍府の瓦礫を片付ける手配をして、棺を用意し、ご位牌を作る依頼もして」


 大石が熱弁をふるう。そのうち、唯一の目撃者とは、段家軍の料理人大石(だいせき)自身のことである。


「婿殿が以前写した記録を残らず覚えてらしたことも、大きな助けになったはずです」


 黄護衛も付け加えた。


「そうかなあ」

「そうですよ」

「あと一息です。栄養つけて、必ず黒幕を討ち倒しましょう」

「そうだね」



 随風は、ここぞとばかりに影絵芝居の新作を発表する。幽霊説、影武者説、仮死蘇生説の三本を日替わりで上演した。絹張りのスクリーンに、色鮮やかな人形たちが映し出されている。道ゆく庶民が足を止めて、お喋りをしながら見学していた。随風が投資している劇団には、富裕層むけの豪華な劇場と、庶民向けの道端の小さな舞台とがあった。後者にきまった入場料はなく、菓子を売り投げ銭を得て興業収入とした。足を止めた程度の人々も、後で話題にする場合がある。視覚情報は、子供でも強く印象に残る。噂を作るには絶好の舞台だ。


「モヤシの旦那、煽りますねぇ」


 瓦舎にある影絵舞台の前で、五狗が囁いた。


「五狗、あいつは威張ってるって言ってただろ?」


 随風が悪びれずに言う。


「してやられたなんてことは、許せないだろうねぇ。ちょっとの疑いでも確かめたくなるだろうて」


 東哲医師が、悪戯そうにニタニタ笑った。随風が打った興業と無音の仕込みにより、姿を見たという人が後を経たない。庶民の願望が生んだ噂にすぎなくても、傲慢な翠雲公主を動かすには充分な材料に育っていた。



 神燕軍の幕屋で、下人がこそこそしている。ここは常設の城外軍営だ。行軍にはついていかない雑用係もいる。そんな一人に、平凡で印象薄い男がいた。どこにいても怪しまれず、水や燃料を運んでいた。軍営の中をくまなく歩き回り、男は聞き耳を立て覗き見をする。


 剣吟城の鎮南将軍府では、下女がうろうろしている。再建に向けて掃除や補修が進み、一部の部屋には新しい家具が運び込まれている。この女も印象に残らない中肉中背の雑用係だ。屋敷じゅうを観察して歩き、何食わぬ顔で藪や庭石の陰を調べてゆく。隠し部屋や、封鎖時に見落とされた箱などを探しているようだ。


 使節団には、顔を薄絹で隠した侍女がいた。目元が印象的な女性である。侍女のわりには威圧感があった。待遇も特別で、何者なのかわからない。自由に一行から離脱しては、大衆の中に紛れ込む。時には着飾って、高級な飲食店や劇場に姿を現す。その度に、道ゆく人や宿の客たちの会話に注意を払っているようだった。賠償交渉の使節団に、詩雲公主の名前はない。


 各地の無音構成員から届く報告によれば、件の三人組は、段燕将軍に扮した人影にまんまと釣られているようだ。軍営、剣吟城、首都春陽、その他山の中や川船でも、それらしき人物を追っている。似ているだけなので、同時に複数の場所に現れても問題はない。本人か、別人か、そもそも人がいたということ自体錯覚なのか、確認できず、三人はイライラを募らせている。


 使節団が皇帝に謁見した。件の侍女は待機組である。使者が謁見する間、宮中をこそこそと嗅ぎ回っていた。神燕将軍の国葬が近く、皇宮にはどことなくしめやかな空気が漂う。


 東哲の診療所に、いつものメンバーが集まった。今日は、黄護衛と大石も刑部尚書の屋敷を離れて参加していた。かわりに冬川が、随風の自室を守る為に残った。


「皇帝襲撃はないみたいですね」

「まだ会議はなく、到着の挨拶が済んだだけのようです」


 衛調査官と随風が、違いの得た情報を交換する。


「停戦提議書の存在を否定して、宣戦布告するつもりかもしれないですね」


 黄護衛の予想に、皆は同意した。


「草原同盟と手を組んでますし、辺境のスパイも活発なようですしね」


 衛調査官が言った。随風のところに回って来る副本作成依頼にも、南方辺境でスパイが捕まったり不審者を取り逃したりという報告が多くなっている。


「ほ、キナ臭い」


 東哲医師は人事のように軽く笑った。


「岳柔はどうしてます?」

「配下の暗殺部隊は変わっていないようです。肩書きを失っても実家が実家ですからね」


 廃太子妃岳柔は、岳国公家の長孫女である。実家の力で謀叛とは無関係だと断定され、廃太子謝天開との縁切りに成功した。然る後に、平然と実家暮らしに戻った。


 もし、通常の十族誅を適用したら、二大武家が同時に滅亡してしまう。廃太子による冤罪で、段一族は滅んだ。その罪が明るみに出て、今度は岳一族が滅びそうである。それは国の防衛体制の崩壊を意味した。巌国の十族は、妻族ニ、即ち妻とその父親一家を含む。父母、ではなく父の一家だ。生きていれば、分家していない同居家族は全て対象である。年齢規定もない。今回は政治的な配慮により、岳柔と謝天開を離縁させ、無関係な一族だと定義した。方便ではあるが、一応はルールの内だ。


「悪運が強いですね」

「国公になった時もそうだったけど、巡り合わせで得するほうに当たるんだよ、あの爺さんは」


 残念そうに口を曲げる随風に、東哲は悪態を吐いて慰めた。そもそも、皇族が叛逆した場合、十族誅は特別ルールが適用される。何故なら、謀叛とは無関係かつ継承権を持つ皇子皇女たちを初めとし、皇帝本人や太后を含む皇族が皆殺しになってしまうからである。


 巌国では、まず皇族籍から抜いて戸籍を独立し、罪人一家には十族を適用できるようにした。ただし抜け道として、十歳以下の幼児に限り、誰かの養子に入れば、皇族籍のまま対象外になれる。幼い子供を救うためである。


「段家軍は、十族に数えられた家で飼われていた犬猫の赤ん坊に至るまで誅殺されたのにねぇ」

「モヤシの旦那」


 五狗は、かける言葉が見つからなかった。



 八歳だった謝天開の息子は、皇孫として族譜に記載されていたものの、まだ皇太孫に立てられていなかった。この子供は、謀叛人の嫡男として十族誅の対象になった。しかし、結局のところ生き延びた。


 巌国で皇帝の座に着けるのは、皇后の子と貴妃の子だ。男女共に可能である。新太子候補の母は、皇后の母方遠縁から選ばれた貴妃だ。まだ正式決定ではないが、年齢、実力共に最有力候補者である。この血筋がまた厄介で、有力文官を数多く排出している。中立の立場を取る人が多い一族なのだが、それだけに、多くの野心家が抱き込もうと近づく。なにしろ現皇后もいる一族だ。結果的に、現時点では最大勢力となっていた。


 離縁により皇族との外戚関係から外れた岳家だったが、国公の曽孫である皇孫を擁して龍椅(ぎょくざ)を狙える。ただし、謀叛人の嫡子を皇帝の座に着けさせないように、朝廷も後宮も、謝天開の息子を皇族籍に残したくない。加えて、新太子候補への配慮もある。皇帝は、この孫を庶民として生きながらえさせるのが精一杯であった。この孫は、便宜上孤児とされた。そして、庶民の孤児を多く保護している寺院に送られた。


 一方、実子が孤児扱いされ引き離されたと言うのに、岳柔はコブ無しになれて良かった、と思っているようだ。再婚先を物色しつつ、邪魔な人物には刺客を送るのも相変わらずだ。


「なんというか、流石あの謝天開と相思相愛だっただけのことはありますね」


 黄護衛が嫌悪を表した。


「岳柔は翠雲公主に接触したんですか?」


 大石の疑問は、皆が知りたいことだった。


「探りは入れてますね」


 衛調査官が端的に答えた。随風は黙っていた。


「先に琴姫が襲われたら、他の二人は逃げちゃうんじゃないですかね?」

「五狗、そこは心配しなくていい」

(あめ)の旦那、二人はもう泳がせる価値もないんですかい」


 五狗は衛寒雨(えい かんう)調査官とも仲が良いので、勝手な仇名で呼んでいる。


「まあ、そういうことだ」


 翠雲公主が野放しになっていると厄介だ。しかし、手下の二人だけでは、たいした脅威にならないのだ。また国力をつけたり、一度滅んだ国を復活させたりするほどの実力はない。翠雲公主を油断させる為に生かされている雑魚に過ぎないのだ。時を見て始末されるだろう。本命の翠雲公主が苛立ちにより隙を作れば、岳柔配下の暗殺部隊にも手を出す機会が増えるだろう。襲撃に乗じて無音の精鋭が介入すれば、翠雲公主は跡形もなくこの世から消え去る。その後、皇帝が岳柔をどう扱うかについては、随風にとって感心の外だ。


(岳柔なんて、燕の陪葬にするほどの価値もないよね)


 無駄な事には労力をかけない随風であった。



 賠償交渉の日、使者は案の定、停戦提議などしていない、と言い出した。


「大将を討ち取った我々が、敗戦を認めるなどあり得ないデスヨ」

「何を言うか」


 皇帝は威厳を持って抗議する。


「鎮南将軍は、戦で受けた傷が元で逝去しただけだ。討ち取られてなどいない。反面、そちらの大将首は、鎮南将軍が取ったのだ」


 使者がそれを聞いて嘲り笑った。


「ハハハハハ!証拠もないのに何を言う?」


 大将の首級(くび)は、裏切り者によって戦場から持ち去られた。使者は自信に満ちている。


「しかと見よ」


 皇帝の取り出した停戦提議書には、負けを認めて賠償勧告に応じる旨が記されていた。南山国帝王の公印が、デカデカと押されている。使者は青褪めた。原本なのだ。以前交わされた親書も提出され、提議書が帝王の真筆であると断定された。



 その前日、随風は立派な位牌を受け取っていた。自室に戻ると、国葬の時位牌にかける布を広げた。花嫁が顔に被る赤い布にしか見えない。燕の花嫁衣裳は偽叛逆罪の時に燃やされ、失われた。仕立て直すには時間が足りない。依頼は出したが、国葬の式典には間に合わなかった。式典の時、位牌を先頭に花嫁衣裳を載せた盆や花籠を持たせた婿入り行列を作りたかった。


 十族誅の結果があまりにも違う事への、随風なりの抵抗である。段家軍が受けた誅殺は、悪人による虐殺である。本物の誅殺ではない。皇帝が悪人と同じ方法を取ったなら、それは暗愚というものだ。だからと言って、怨みが消えるものでもない。まして亡き婚約者への愛だけで生存を続ける狂人にとって、納得できる理屈など存在しない。


(間に合わなくて残念だったな)


 工房から買い取った図案を見ながら、随風は刺繍の仕上げを刺していた。頭蓋(とうがい)と呼ばれる花嫁の冠る布も、燃えて灰になってしまった。図案を元に随風が仕立てたのである。


(できた)


 満足そうに口元を緩めて、布を位牌にかける。守るような手つきだった。まるで、愛する人に上着を着せ掛けてあげるような仕草である。


「燕燕、少し待っててね」


 式典で使う予定の物を、地下倉庫から持って来るのだ。当然ながら、国葬を位牌との婚礼に変えるなど、皇帝の許可は出ていない。随風は、そんなことお構い無しである。勝手な事をして重罰を科されても気にしない。戦勝の大英雄に、何故葬儀が必要になったのか。彼女は凱旋の時、何をする筈だったのか。誰が神燕将軍を待って居たのか。それを知らしめようとして始めたことだった。


 祝いの布に刺繍を刺すうちに、幸せが胸に広がっていった。その日が過ぎれば、随風は永遠に燕の同伴者になれる。随風にとって、この世のあれこれはどうでも良くなっていった。


 随風は地下へと降りてゆき、浮き浮きと自分の礼服に手を伸ばす。裾にはあの日の血と泥がこびりついたままである。浮かれ過ぎて、隣に置いてあった木箱を落としてしまった。


「ああっ」


 自分から燕への短信が、地下室の床に散らばった。


「あれ?」


 沢山の封書に紛れて、見慣れぬ封筒が落ちていた。巌国の紙ではない。墨も見たことがない種類だった。


「燕燕宛だけど」


 随風は震える手で中を確認する。封は切られていて、中には停戦提議書が入っていた。原本である。どうりで、白鉢巻の凱旋行列が惨殺された現場に、随風からの短信が遺されていた筈だ。私的な遺品なら、直接随風へ届けられるほうが普通なのだ。随風には、そこがずっと引っかかっていた。


「ちゃんと公印もあるけど、陛下への親書じゃないな?」


 封書の宛先は段燕である。南山国は、端から誠実な交渉をするつもりはなかったようだ。国家間の正式な停戦協定ではなく、局地戦での敗戦処理という主張なのである。


(とにかくこれを届けよう。後は陛下のなさることだ)


 随風はもう、英雄譚に喝采した少年ではない。国内外の抗争により、掌中の珠を無惨にも打ち砕かれた寡夫である。復讐を果たして愛する者の側に駆けつけることだけが、興味の対象なのだ。それでも、燕の勝利が有耶無耶にされてしまうのは悔しい。文書の実在を示せなければ、南山国は、燕の勝利そのものを無かったことにするだろう。その証明をする為に、原本は皇帝に渡すことにした。幸い会議に間に合って、最悪の事態は免れたのだ。



 悲劇の英雄段燕が国葬に付される日が到来した。春陽の町には、哀悼を表す白と黒の棒縞に染められた布が飾られていた。しめやかな朝の道に、突然、賑やかな音楽が響いた。婚礼の音楽である。人々はギョッとして窓や戸口から顔を出した。


 真紅に塗られた二枚の立て看板には、濃紅の文字で「婚礼」「吉祥」とそれぞれに書かれていた。赤い服を身にまとい花を撒くのは、影絵芝居の一座である。先頭で赤い棺桶に乗って運ばれて行くのは、花婿姿の随風だ。棺桶の赤は目が痛いほど鮮やかだった。慶事よりも血染めかと思わせる凄みがあった。


 皇宮の門で止められるも、無音の仲間が手助けしてくれた。赤い棺桶の通り道には、気絶した御林軍兵士たちが累々と横たわっていた。替わりに立つのは、赤い服を着た無音の調査官たちである。警備に穴を開けてはいけないのだ。


 式典会場がざわめく中、赤い棺桶は祭壇への階段を登る。上に乗った文弱書生は、大きなご位牌を両手で掲げていた。ご位牌には、華やかな鴛鴦の刺繍が施された、被り布がかけられている。


「大胆!」

「無礼者!」

「摘み出せ!」


 葬礼の警備兵が口々に叫んだ。


「よい」


 皇帝の一言で、葬礼が婚礼に変わった。

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