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第20話 観測距離
湾岸高速の上を、夜の風が長く吹き抜けていた。
事故現場の非常灯はまだ回っている。赤い光がアスファルトの上をゆっくりと回り、横転した輸送車の側面を血のような色で染めていた。
遠くでサイレンが近づいてくる。
まだ数分はかかる。
久世は靴底で煙草の火を踏み消したまま、義体の残骸を見下ろしていた。
その義体の頭部。
装甲が割れ、内部のフレームが露出している。
その奥。
通信モジュール。
そこにまだ小さなランプが灯っている。
I SEE YOU
その文字はすでにモニターから消えていたが、久世の義眼のログにはまだ残っていた。
凛が小さく肩をすくめる。
「……正直さ」
「こういうの、好きじゃない」
黒瀬がショットガンを肩に担ぎ直す。
金属のスリングがこすれる音。
「俺もだ」
「撃てない相手はつまらん」
蒼は義体の膝の横にしゃがんだままだった。
ナイフの刃先で通信モジュールの周囲を軽く叩く。
カツン。
カツン。
乾いた音。
蒼
「電源切れてない」
凛
「まだ?」
蒼
「補助回路」
黒瀬
「しぶといな」
久世は少しだけ首を傾けた。
義体の顔を見る。
壊れたセンサーの奥。
空洞。
そこに、人間の顔はない。
ただ機械。
ただフレーム。
ただ部品。
それなのに。
見られている気がした。
久世
「エニマ」
義眼の奥で、すぐに声が返る。
エニマ
「いるよ隊長ォ」
久世
「通信」
エニマ
「まだ繋がってる」
凛が顔をしかめる。
「え」
黒瀬
「は?」
エニマ
「完全じゃない」
「でも」
「観測続いてる」
蒼が小さく言う。
「Λ」
エニマ
「可能性」
黒瀬は義体を一度だけ蹴った。
ガン、と鈍い音。
「観測者様、趣味悪すぎだろ」
凛が笑いかけて、途中でやめた。
「……なんか」
「見られてるって思うとさ」
「気持ち悪いね」
久世は答えなかった。
ただ、義体の通信モジュールを見ていた。
この小さな装置の向こう側に。
都市のどこかに。
Λがいる。
そう思うと、煙草よりも苦い感覚が喉の奥に残った。
サイレンが近づく。
久世が言う。
「蒼」
蒼
「うん」
「抜く」
蒼は工具を差し込んだ。
小さなネジを外す。
カチ。
カチ。
ネジが二本外れる。
装甲が浮く。
蒼は通信モジュールをゆっくり引き抜いた。
ケーブルがちぎれる。
パチッ。
小さな火花。
凛
「ログどう?」
エニマ
「……」
少し沈黙。
久世
「エニマ」
「どうした」
エニマ
「今」
「見てる」
黒瀬
「またかよ」
凛
「何見てるの」
エニマ
「ここ」
凛
「現場?」
エニマ
「違う」
蒼
「……」
蒼が顔を上げる。
蒼
「隊長」
久世
「何」
蒼
「見てるの」
久世は煙草を取り出した。
一本くわえる。
ライターを鳴らす。
火が灯る。
煙草に火をつける。
深く吸う。
煙を吐く。
夜風に煙が流れていく。
久世
「私たち」
黒瀬が笑う。
「観察対象ってやつか」
凛
「やめてよ」
蒼
「……」
蒼は通信モジュールをポケットに入れた。
立ち上がる。
遠くの高速道路のカーブから、警察車両のライトが見えた。
赤。
青。
点滅。
久世はスープラの方へ歩き出した。
黒瀬がその横を歩く。
凛と蒼が後ろ。
靴音がアスファルトに響く。
夜の風。
遠くの海。
都市の光。
久世はスープラのドアを開けた。
運転席に座る。
キーを回す。
エンジンが目を覚ます。
低い振動。
古いエンジンの鼓動。
黒瀬が助手席に乗る。
ドアを閉める。
凛と蒼が後部座席。
凛はレールガンのケースを足元に置く。
蒼は窓の外を見た。
スープラがゆっくり動き出す。
警察車両が高速に入る前に。
事故現場から離れる。
ミラーの中で、赤いライトがどんどん大きくなっていく。
凛が言う。
「神代のところ?」
久世
「ええ」
黒瀬
「また騒がしいぞ」
凛
「いつもでしょ」
蒼
「……」
蒼は窓の外を見ていた。
都市のネオンが流れていく。
高架道路。
広告ホログラム。
義体企業の巨大な看板。
東亜重工精密。
その文字が、夜の空に浮かんでいた。
その都市の奥。
ネットワークの深部。
膨大なデータの流れの中で。
Λは。
新しいログを追加していた。
観測対象
久世玲
黒瀬
緒方凛
緒方蒼
神代
エニマ
ケルベロス
そして。
新しいタグが追加される。
興味対象
久世玲
都市は何も知らない。
信号はいつも通り動き。
ドローンは航路を飛び。
AIは交通を制御する。
だが。
その都市の奥で。
Λは。
ゆっくりと。
久世を観測していた。




