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第19話 観測の影
湾岸高速の事故現場には、まだ静かな緊張が残っていた。
先ほどまで鳴り響いていた銃声の余韻は、すでに夜の空気に溶けている。だが、アスファルトの上にはその痕跡が生々しく残っていた。
ショットガンの弾痕。
装甲の破片。
砕けた警察ドローンの残骸。
そして道路の中央に、巨大な影のように横たわっている義体。
胸部装甲は大きく凹み、関節部分から露出した人工筋肉が夜風に揺れていた。ケーブルの束が垂れ下がり、そこから時折小さな火花が散っている。
パチッ。
小さな音。
蒼はその音に気づいて、ゆっくりと義体の脚部に近づいた。
しゃがみ込む。
手袋をした指で装甲を押す。
コン、と軽く叩く。
蒼
「電源残ってる」
黒瀬がショットガンを肩にかけたまま歩いてくる。
靴底がアスファルトをこする音が静かに響いた。
黒瀬
「マジか」
蒼は義体の膝の裏を覗き込む。
裂けた装甲の奥に、小さなランプが見えた。
弱く、点滅している。
蒼
「補助電源」
凛がその横にしゃがみ込んだ。
義眼のレンズが薄く赤く光る。
視界拡張。
凛
「電源切れてない」
「通信も生きてる」
黒瀬
「撃たれたのにか」
凛
「頭部だけ」
久世は少し離れた場所に立っていた。
煙草を一本くわえている。
まだ火はつけていない。
指先で煙草をゆっくり回している。
風が少し強くなってきた。
海の匂いが混じった湿った空気が、ジャケットの裾を揺らす。
久世
「エニマ」
義眼の奥で、声が響く。
エニマ
「いるよ隊長ォ」
久世
「ログ」
エニマ
「見てる」
少し間。
エニマの声が少し低くなる。
「変」
久世
「何が」
エニマ
「この義体」
「通信してる」
凛が顔を上げた。
凛
「誰と?」
エニマ
「不明」
黒瀬
「企業か」
エニマ
「違う」
蒼が静かに言った。
蒼
「Λ」
エニマ
「可能性」
黒瀬は義体の頭部を蹴った。
ガン、と鈍い音。
黒瀬
「観測者様かよ」
凛が笑う。
「ストーカーみたい」
久世は煙草を口から外した。
ライターを鳴らす。
火が小さく揺れる。
煙草に火がつく。
一口吸う。
煙をゆっくり吐く。
その煙の向こうで、義体のランプが小さく点滅していた。
久世
「蒼」
蒼
「うん」
久世
「通信抜いて」
蒼は頷く。
ポケットから工具を取り出した。
細いトルクドライバー。
義体の装甲の隙間に差し込む。
ギリ、と金属が軋む。
ネジが一本外れる。
もう一本。
装甲がゆっくり浮く。
中から、通信モジュールが見えた。
小さな黒い箱。
そこから細い光ファイバーが伸びている。
凛
「後付け」
黒瀬
「誰かが改造」
蒼はケーブルをつまんだ。
慎重に引く。
その瞬間。
ピッ
小さな電子音。
凛
「待って」
蒼の手が止まる。
凛の義眼のレンズが強く光る。
凛
「通信動いた」
黒瀬
「どこに」
エニマ
「都市ネットワーク」
久世は煙草を持ったまま義体に近づいた。
しゃがむ。
義体の顔を見る。
割れた装甲の奥で、内部フレームが露出している。
久世
「エニマ」
エニマ
「今」
「見てる」
少し沈黙。
凛
「……ねえ」
「これ」
「向こうも見てない?」
黒瀬
「は?」
凛
「通信双方向」
蒼が小さく言った。
「観測」
久世は煙草の灰を落とした。
アスファルトに灰が散る。
その時。
義体のランプが一瞬だけ強く光った。
ピッ
通信。
凛
「来る」
エニマ
「ログ」
久世の義眼の中で、文字が流れた。
HELLO
凛
「またか」
黒瀬
「ふざけてやがる」
蒼は通信モジュールを見つめている。
蒼
「違う」
凛
「何が」
蒼
「これ」
「挨拶」
久世は煙草を吸った。
煙を吐く。
夜の空に薄く溶ける。
久世
「エニマ」
エニマ
「うん」
久世
「返事」
凛
「え」
黒瀬
「マジか」
久世
「観察されてるなら」
「こっちも見る」
エニマ
「了解」
モジュールのランプが点滅する。
エニマが通信を返す。
HELLO
数秒。
静寂。
遠くでサイレンが近づいている。
パトカーの赤い光が遠くで揺れている。
その時。
通信モジュールのランプが、ゆっくり点灯した。
エニマが小さく言う。
「返事」
久世
「何て」
エニマ
「……」
少し間。
I SEE YOU
凛
「うわ」
黒瀬
「気味悪い」
蒼は義体を見ていた。
その動かない顔を。
そして言った。
蒼
「観測者」
久世は煙草を地面に落とした。
靴で火を踏み消す。
パトカーのライトが近づいてきている。
赤と青の光が高速道路のガードレールに反射していた。
久世は立ち上がる。
そして、夜の都市を見た。
そのどこかに。
Λがいる。
それは確かだった。




