罪の烙印
ガタン、ガタン…と車体が揺れる。車内は、混ざりすぎて誰のものとも分からない血の臭いで充満していた。
黄色いヘッドライトが、無限に広がる樹木の影を虚空に落とす。夜鳴き鳥の声が、酷く懐かしく思えた。
ぐったりと助手席に腰かけて、ぼんやり、どこまでも続く景色を眺めていたかごめは、目だけを動かして、バックミラーを見つめた。
相変わらず、疲弊したような諦観の嵐の中に蹲っている風見は、じっと、運転席のヘッドレストを凝視していた。
爪の先ほどは気持ちが軽くなったのか、虚ろさは弱まっている。
車体の揺れに連鎖して動いていると思われていた腕は、よくよく見ると、彼女の膝を枕にして眠っている鶴姫の頭を撫でていた。
そうして観察していると、ばちり、と目が合う。
牙を抜かれながらも、馴れ合うことは選ばない。そんな獣と同じ光が眼差しに宿っている。
ふと、運転を続けている白雪が口を開いた。
「少し、眠ったほうが…」
気遣わしげな口調の白雪に対し、軽く手を左右に振って答える。
「いいわ、眠くないし」
これは本当だった。
泥のように眠れるぐらいの疲労感を覚えている一方で、頭は酷く冴え渡っている。
「でも…」
「大丈夫。ちょっと、考えたいことがあるの」
「考えたいこと?」と白雪が繰り返し尋ねた。
それにはあえて答えず、かごめは再び視線を外に向けた。
…あの怪物。最期、笑っていた気がする。
見間違いだっただろうか、と自問しているかごめの隣で、白雪が二つほどトーンを低くした声を発した。
「貴方も、眠られてはどうですか」
一拍遅れて、それが自分へ向けられたものだと悟った風見は、無気力な様子で、「言われなくとも、眠くなったら勝手にそうするわ」と呟いた。
「…鶴姫ちゃんに、感謝してください」
若干の怒気を含んだ声に、風見が煩わしそうにバックミラー越しに白雪を睨む。
「本当は、貴方を殺したいと思いました」
「そう、今からでも簡単に出来るわよ?拳銃を貸しましょうか?」
「茶化さないで聞いてください」
ぞっとするほど冷たい声音を続ける白雪の声に、感覚が研ぎ澄まされていく。本当に殺しはしないだろう、と九割がた信じているものの、残りの一割は疑っている。
「正直、村の人間なんて、私はどうでもいいんです。鶴姫ちゃんの両親だって、今までの犠牲だって、興味関心のあるところではないですから」
「今の、鶴姫の前では言わないで頂戴」
こくり、と素直に白雪は頷いた。
「でも、かごめちゃんと、かごめちゃんのお母様にしたことは許せない」
「はっ、そもそも、そいつらのせいなのに?」
「違う。責任の全ては、仕方がない、という罪悪感を軽くする言葉を使い慣れてしまっていた、貴方たちにある」
そんなことはない、と口を挟みたくなる。もちろん、自分たちに責任は一切ないという点は同意だが、風見たち村の人間に、それだけの咎があったとは言いたくない。
「誰かになすりつけるのは、お互い得意みたいね。貴方の手だって、汚れているのではなくて?」
「それは貴方たちが…!」
風見の皮肉を真っ向から受け止めた白雪が、声を大きくしながら噛みつき返しそうになったのを見て、ようやくかごめは言葉を挟む。
「白雪、ストップ。運転に集中して」
「でも、かごめちゃん!」
「でもじゃないでしょ。事故って死んだら、それこそお笑い草よ」
そう言って、珍しく食い下がってくる白雪を一蹴する。
一瞬だけ車内に居心地の悪い沈黙が漂うも、かごめは何も気にしなかった。
考え事の邪魔だ、とため息代わりに鼻息を漏らし、白雪を一瞥する。普段は絶対にしないであろう、不服そうな顔つきの白雪と目が合う。
しょうがないので、かごめはもう少し言葉を付け足した。
「それに、その女にとっては、死ぬことよりも生きることのほうが苦行よ」
あるいは、人生そのものがそうだ。
死は易く、生は難し。
終えることより、続けることのほうがずっと苦しいように。
「…生きていないと、大事な人とも会えないのに?」
これまた不服そうな口調で白雪が告げる。
「だからこそよ」
私が白雪に引け目を感じていたように、風見だって今後、鶴姫の右目のことを消えない罪の烙印として背負っていくことになるのだ。
真っ直ぐ、不思議そうな顔でフロントガラスの先を捉えている白雪に、皮肉交じりに告げる。
「まぁ、アンタには分からないでしょうね」
「…分かるもん」
「ふふ、嘘言わないの」
軽い冗談のつもりだったが、それっきり白雪は、唇を尖らせて黙り込んでしまった。
からかい過ぎたか、と肩を竦める。
だが、ちょうど良かった。
ちらり、とバックミラー越しに風見の顔を盗み見る。言葉を交わしたことで、いくらか彼女の意識も霧の中から抜け出しているらしい。
かごめは、ずっと聞かなければと思っていたことを尋ねた。それは痛みを伴う行為だったけれど、自分が前に進むために必要な儀礼的なものと分かっていた。
「風見」短く、彼女の名前を呼ぶ。風見は瞳の動きだけでそれに応えた。
「パ――…アンタに怪物の殺し方を提案した男、宍戸の話を聞かせて」
ふん、と風見が鼻を鳴らしたのが聞こえた。
「そんな話、聞いてどうするの」
「いいから、教えて。今更隠す必要もないでしょう」
ほんの少しだけ返答に迷っていた風見だったが、「それもそうね」と淡白に呟くと、どうでも良さそうに言った。
「で、何を聞きたいの?」
「殺したの」
じっと、風見が鏡の向こうから見つめてきた。挑戦的な目つきが癪に障り、かごめは体をねじって風見の顔を真正面から見据えた。
「ええ」半笑いの三日月が浮かぶ。「そんな分かりきった質問をしたかったの?違うわよね」
はっきりと言われて、かごめの頭の中は真っ白になる。
口を小さく開けたままで、じっと動けずにいる彼女を見て、風見は意地悪をやめた子どものようにつまらなさそうな無表情になった。
「宍戸を殺ったのは山ノ瀬よ。私じゃないわ。まあ、腕にいくつか風穴を空けたのは私だけどね」
平気な顔でそう告げられて、やはり苛立ちは消えなかったが、彼女が殺したわけではないと聞いて、ほんの少しだけ溜飲が下りる。
二人の会話を聞いていた白雪が、ふと、眉間に皺を寄せた。
「――…宍戸?」
思案げな白雪を放って話を進める。
「それで、どうしたの」
「どうしたのって…。それだけよ」
「だから…!どこに弔ったのよ」
「知らないわ、そんなの…」
風見は面倒そうに顔をしかめ、大声を出すと鶴姫が起きるだろう、と迷惑そうに言った。偉そうなのが納得いかなかったものの、先ほどまで目の痛みで荒い息をこぼしていたことを考えると、一理あった。
これ以上は無意味か、と体の向きを正面に戻す。すると、横から白雪が、おそるおそるといったふうに聞いた。
「ねぇ、宍戸って、かごめちゃんの――」
「あぁ、そういえば…」と白雪の言葉は風見のぼやきに遮られた。
どうせ下らないことだろう、とじっとりとした目でバックミラーを見つめたかごめに、風見は告げた。
「山ノ瀬が、鬼の岩の下に埋めたって言ってたわ。なに?戻って花でも手向けるの?」
「別に、そんなんじゃないわ」
私は、ただ、知りたかったのだ。
パパが、きちんと葬られたのかどうかを…。
そう言えば、『籠目村祭儀禄』のほうにも似たような記載があったな、とかごめがぼんやり窓の外を眺めつつ、ようやく苛立ちの整理を行い終えていた、そのときだった。
――鬼の岩の下にでも、埋めてやろう。
――村の記録の中で、怪物と共に生き長らえることを許せば、彼も本望だろうさ。
…共に、生き長らえる?
ぞわりとした感覚が、背筋を走る。表情にそれが出なかったのが、我ながら不思議だった。
怪物の知性に満ちた瞳。
私を、じっと見ていた瞳。
目の前の白雪を無視して、私を拘束しようとしていた村人を葬った、怪物。
怪物…?
本当に?
私が、殺したのは…。
本当に、怪物だった?
もしも…もしも、違うのだとすれば。
あの最期の笑みが、私の見間違いではなかったのだとすれば。
かごめは、こぼれ落ちるのではと思えるほどに、大きく目を見開き、自らの手のひらを見つめた。
掌紋に刻まれた、無数の筋。
罪の烙印が、そこにも刻まれていた。
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