ナイフと弾丸 1
かごめは、ICレコーダーに吹き込まれていた懐かしい声を思い出しながら、左手に握った銀の短剣を握り直した。
自分は、こうなるべくしてこうなったのだろう。
目の前の災厄に、母も、パパも奪われた。
もう、何も奪わせない。
自らの腕に突き刺さった錆びた刀身を引き抜いた怪物は、数歩後退してから、大きく肩を上下させ、怒りを露わにしている。
だが、怒りの熱量なら、私だってひけを取らない自信がある。
右腕はまともに動かないが、一縷の希望が見えた今、さらなる奮起によって再び体に活力が戻っていた。
足はまだ動く。左腕も、まだいける。
飛びかかってきた相手の首元に、風穴を空けてやる。
そしたら、一撃でケリがつく。
じりじりと、怪物が距離を詰めてきた。
月光を反射して、いっそうその白さを増した肌が、酷く不気味に思えもしたが、同時に、貧弱にも見えた。
錆びたナイフですら刃が通ったのだ。この新品同然のナイフなら、容易く切り裂けるに違いない。
かかってこい。お前が私をへし折るよりも、かぶりつくよりも先に、殺してやる。
ぴたり、とまた怪物の動きが止まった。知性の輝きが感じられる瞳が、キョロキョロと、辺りを窺っていた。
一体、どうしたというんだろうか。
怖気づいた、とはさすがに考えにくい。
一歩、怪物が後退した。
まさか、逃げるつもりか…?
そうはいかない。ここで逃しでもすれば、あっという間に危険なUMAの出来上がりだ。
「待ちなさい!」
怪物は、かごめの言葉を理解しているかのように、動きを止めた。
しかし、やがて怪物はまた大きな唸り声を上げ、両手を広げて天を仰ぐ。
情緒不安定なのか、と少し呆れたような気持ちになるも、自分自身、アドレナリンの出過ぎで、感情が麻痺しているようだった。
白い巨人が、咆哮と共にこちら目掛けて突進を開始する。
蹴り上げる砂煙が、月明かりを受けて霧のように漂う。
瞬く間に距離を縮めてくる怪物との距離を、目測で測り、こちらからも接近する。
脳内でドーパミンやら、アドレナリンやらがガンガン分泌されているのが、はっきりと分かった。
周囲の時の流れが、ほんの少しだけ緩やかに感じた。時間を切り取って貼り付けたかのように、気が付けば怪物の大きな体が目の前に迫っていた。
鞭のような腕が、自分の頭を弾き飛ばそうと振りかぶられる。それに合わせて、躊躇なく、駆けている勢いのまま、相手の足の間に体を滑り込ませる。
相手の後ろに回り込んだところで、体の向きを反転しながらリズミカルに姿勢を戻す。そしてそのまま、相手の無防備な背中を逆袈裟に切り上げた。
鮮血が舞う。
瞬間的に吹雪くように、夜を赤く染めた。
怪物が悲鳴を上げる。まだ、雄叫びと聞き違えるほどの活力が残っている。
もう一太刀、とかごめがナイフのグリップを握りしめたとき、怪物の顔がぐるりとこちらを向き直った。
反射的に頭を下げる。先ほどまで自分の頭があった空間を、風を切る音と共に腕が通り過ぎる。
怪物のほうを向いたまま、素早く後退。
躍起になって、その場で空振りを繰り返す姿は、まるで独楽のようだ。
こちらは無傷のまま相手に一撃浴びせたわけだが、動きが鈍る様子を見るに、傷が浅すぎるらしかった。
もっと深く踏み込む?
いや、私は刃物の扱いなんて素人なのだ。リスクに見合った致命傷を与えられる自信もない。
しかも、片腕しか使えない状況だ。女の私の力では、やはり急所を突かなければ、ジリ貧になる。消耗戦になれば、先に力尽きるのはこちらに決まっている。
猟銃を取りに戻ることも考えたが、今、怪物に背を向けて無事で済むとは到底思えない。
「やっぱりコレで、心臓か、喉元でもえぐらないと…!」
元々満身創痍の体だ。体の誤魔化しが効かなくなれば、もう後が続かない。
ビビっている場合ではないのだ。
――殺られる前に、殺る。
怪物に向かって駆ける。明らかに、さっきに比べると初速が落ちていた。
体と思考が正気を取り戻せば、こんな真似は出来なくなる。それが分かっていたからこそ、かごめは焦りに身を任せたままで、真っ直ぐ相手に突っ込む。
怪物だって、やはり黙ってはいない。両腕を広げ、今度こそかごめをひねり潰そうと向かってくる。
距離は、あっという間に縮まった。
さながら、すれ違う二匹の燕のように。
「くたばれぇ!」
自ら、その腕の中に飛び込む。
勢いのままに跳躍したかごめの体は、勢いよく怪物の胸にぶつかった。
衝突の衝撃で苦悶の表情を浮かべた彼女の左手には、しっかりと柄の部分まで差し込まれたナイフが握られていた。
すぐに、怪物が絶叫を放ち、身をよじる。
それに振り回される形で、かごめの体が地面から離れた状態で、右に左に振られる。
絶対に、離すものか。
血のしたたり始めたナイフの柄を、これでもかと言うほど強く握る。
このままでは耐えられないと無意識的に判断した彼女は、両足をぐっと空中で持ち上げて、相手の細いのに異様なほど筋肉質な体に組み付く。
かつて鍛え上げた脚力が、今、彼女に生きる力を与えていた。
振り回すのをやめた怪物が、両手で握りしめようとかごめの体に指をかけた。
肋骨が軋む嫌な声を体全体で感じつつも、残った全ての力を注ぎ込んで、ナイフを引き抜く。
そして、何度も、何度もその銀の鋭牙を怪物の胸に突き立てた。
どちらが獣なのか、本気で分からなくなるぐらいに、荒々しい息遣いと唸りを上げて、繰り返し突き刺す。
肉を穿ち、返り血に頬が濡れる感触。
命を断つ、プリミリティブな興奮。
復讐を成す、得も言われぬ快感。
気が付けば、怪物の体は背中から地面に倒れ込んでいた。
その下には、大きな血溜まりが出来ていて、かごめがナイフを突き刺す度に、飛沫が散り、赤い湖面に波が立つ。
まだわずかな抵抗をみせる、憎い怪物。
全ての元凶。
遥か悠久の時の彼方から、今に至るまで、この村と、それに縁のある人間を直接、あるいは間接的に殺し続けていたおぞましき怪物。
この手で葬ることが出来るのを、酷く光栄にすら思った。
かごめは最後に、大きく両手でナイフを振りかぶった。右腕がとても痛むが、これで最期だと分かっていたので、無理を聞かせる。
刃を掲げた拍子に、引き抜かれて舞う鮮血が赤い三日月を描いた。
「とどめよ…このっ――」渾身の力を込めて、両腕を振り下ろす。「化け物ぉっ!」
その先端が、怪物の中心線ど真ん中に突き立てられる刹那。
怪物の瞳に、もう一度、奇妙な知性が宿った。
それが何かを確認する間もなく、怪物を永遠の暗闇に押しやる一撃が、その胸元に突き立った。
右肩から腕まで走る凄まじい痛みに、かごめは悲鳴を上げながら、横に倒れ込み、血溜まりに浸かった。
月光を浴び、とうとう動かなくなった怪物の口元には、穏やかな曲線が描かれているのだった。
だらだらと続いておりますが、
今年中には終わる予定です。
お読み頂いている数少ない読者様は、どうか最後までお付き合いください。




