少女の覚悟
「一体、何が起こってるの…」
かごめの作戦に従って、鶴姫は祖母の家のそばにある社を目指していた。
普段は何の注意も払っていなかった道祖神が、この一件に深く関わっていると聞かされたときは、まさかと思った。
しかし、よくよく観察してみれば、確かに『彼女ら』は道祖神の石像の姿と、あまりに似た格好をしていた。
草木の陰から、社の様子を窺う。
そこには呪詛の言葉のように、ひたすら『かごめ唄』を口ずさんでいる目無し女(かごめ曰く)の姿があった。驚くべきことに一人ではなく、三人もいた。
ぐるぐると、社の周囲を旋回している。まるで、本当にかごめ唄で遊んでいるようだった。
壊れた機械みたいに、延々と同じ動きを繰り返している彼女らだったが、その一心不乱さには底知れない不気味さを感じさせられる。
それにしても…、と鶴姫は眉をひそめる。
後ろの正面だぁれ、か…。私、あの唄苦手なんだよねぇ、何か気味が悪くて。
ちらり、ともう一度木の陰から彼女らを覗く。
相変わらず、狂気を感じさせる姿だ。
かごめはこの唄にも意味があったと話をしていたが、説明を受けても何のことか分からなかった。
ただ、ICレコーダーを握りしめていた彼女の瞳が赤かったことだけは、鮮明に覚えている。
かごめは何かを知ったのだろう。これ以上、何を知るというのか、鶴姫には想像出来なかった。
ただ、それがとても苦しいことで、だけど、何か奮起を促すものだということは間違いない。
…それにしても、彼女たち、全く社のそばから離れない。
これでは、かごめに言われた通りのことが出来ない。
少し場所を変えてから様子を窺ったほうがいいかもしれない。
そう判断した鶴姫が、一旦、他の場所に身を移そうと後退した、そのときだった。
ピシッ。
息を飲まされる乾いた音が聞こえたことで、鶴姫は立ち止まり、弾かれたように足元を見やった。
少し長めの木の枝が中央から綺麗に半分に折れている。自分が折ったのだ、と理解する。
慌てて視線を彼女らに戻すが、幸い、その不気味な姿は依然として社の周りを回っていた。
ほっと鶴姫は一息吐いて、再び姿勢を低くした。しかし、すぐに自分の考えの誤りに気付く。
鶴姫は目をしっかり見開いて、目の前の異様な光景を観察した。そして、慌てて立ち上がった。
――一人足りない。
不意に、自分の背後に何者かの気配を感じた。
誰かの生ぬるい吐息が、自分の耳朶に当たっている。
かごめは、白雪を無事助けることが出来たら、こちらに向かうよう伝えると言っていた。
そのため、一瞬だけ彼女かもしれないとも考えた。しかし、そうではないことは、粟立つ感覚が教えてくれていた。
逃げなければという意識と、何も確認せずに慌てて動き出してしまっては、かえって危機を招く可能性がある、という冷静な意識が拮抗する。
やがて、生命としての本能が鶴姫の体にゆっくりと振り返るよう指令を出した。
ブリキの人形みたいに、ぎこちない動きで振り返る。
あんなにうるさかった鼓動が、急に静かになった気がした。
初めからそこにあったみたいな、感情のない顔。
顔色が悪いなんてものじゃない。色を失った表情は、文字通り死人のそれだった。
「いっ…!」
腰を抜かした鶴姫は叫び声が出そうになった。だが、それを寸前で何かが押し留めた。度重なる恐怖とショックで麻痺した精神的痛覚が、偶然、良い方向に作用したのだ。
ここで声を上げれば、いよいよ逃げられなくなる。そうなれば、かごめとの約束なんて、絶対に果たせない。
使命感だけで、口をつぐんだ。
しかし…。
腰を抜かしたまま後退し、目無し女から距離を取ろうとした鶴姫の指先に、何か土や木の葉以外のものが触れた。
尻もちをついた姿勢のまま、弾かれるように顔を上げる。
見下ろす二つの青白い顔に、とうとう何も考えられなくなって鶴姫は叫び声を発した。
「いやああああっ!」
自分の四肢を、胴を、首を、頭を抑えつけるいくつもの腕。
その握力に血の流れが止まり、じんじんとした痺れが全身に走り出す。
彼女らは、一体何のために私を襲うのか。
目を抉る、という行為に何の意味があるのか。
もしかすると、私を人柱にしようというのか。そのために、彼女らと同じものにしようというのではないか。
溢れる涙と嗚咽、途切れ途切れの叫び。
ぼやけた視界の向こうに見える異様な女たち。
これと同じものにされるなんて、考えただけで恐ろしい。
「いや!離してよ、離して!」
やがて体力が尽きて、せめてもの抵抗が鈍っていく。鶴姫の体から余力が失われたところで、一人の目無し女が鶴姫の右目目掛けて指を構えた。
鶴姫は、じっと、それが自分に迫ってくるのを、震える瞳で見つめていた。
「や、めて…」
それが、彼女の右側が見つめる最後の光景になった。
目蓋の内側におぞましい異物感を覚えた刹那、雷撃に打たれたような痛みと吐き気が走り、それらが叫びとなって喉を貫いた。
「ああああああああっ!」
電気ショックでも流されたかのように、抑えつけられた体が跳ね上がる。それでもがっちりと固定された体は自由にならない。
目の内側が、無理やりこじ開けられる感覚。
痛みというものを超越した、脳天まで届く白い閃光に、叫喚の声が止まらない。
意識が失われないのが、不思議に思えた。同時に、それを呪った。
眼球がしっかりと掴まれる感覚。
視神経が張り詰めた糸のようにピンと伸びて、わずかな抵抗を見せるも、やがて、筆舌に尽くしがたい痛みを伴って、それが千切れる、断絶の感覚。
ずるりと引きずり出される瞳を、残った左目がほとんど無意識に見ていた。
目のない三人の女たちは、それを光の灯らない双眸でじっと眺めた。
半分が暗闇に飲まれた。
彼女らと同じ暗闇が、私の半分を侵している。
痛みから逃れるために、無意識で鶴姫の脳は違うことを考え始めた。
――そうか、彼女たちは人柱にされた女たちなのか。
つまり、私やかごめの未来。
瞳を奪い、光を閉ざすことに何の意味があるかは分からないが、これが人柱を作るための儀式の行程として必要なのだ。
幸か不幸か、痛覚が次第に麻痺してきた。
痛みを遮断するために、脳が現実からの逃避を始めたのだ。
そこには、冷え切った思考の海があった。
その中で、鶴姫は色んなことを考えた。
初めに泡沫のように浮かび上がってきたのは、家族のこと。
かごめは嘘が下手だから、きっともう、お父さんもお母さんも、本当はこの世にはいないことも分かっていた。
悲しいけれど、この目でそれらを見ずに済んだのは幸福だ。
私が現実を直視せず、かごめが下手な嘘を貫き通す限り、生きている『かもしれない』という夢に逃げられる。
次に浮かんだのは、かごめと白雪のこと。
かごめの呆れたような、こちらを子ども扱いする顔。
白雪の、大人びていながらも誰かに似た狂気を孕んだ顔。
最後に、風見のこと。
優しくて、穏やかで、厳しくて…。そして、とても綺麗なあの人。
彼女の被った仮面の隙間からこぼれる哀愁が、私は大好きだった。
でも、その裏側に潜んでいた負の部分を、私は見ていなかった。いや、違う。見えていながら、見えないフリをしていた。
何かに押し潰されそうになっていて、いつも崖の縁を歩いているような人だった。
本当は、私こそが彼女の話を聞いて、手を取らなければならなかったのに。
ふと気付けば、自分の体が誰かに抱き起こされていた。
現実から逃げ出していた思考が、様子を見ながら帰ってくる。裏切ってしまった体に対して、とても申し訳無さそうな感じがした。
何かを引き裂くような音で、ようやく完全に意識が戻ってくる。同時に、今後一生続くのではないかと思える、失われた右目の痛みも。
ただ、視界は依然として暗かった。
ぐるりと、右目のあたりから包帯が巻かれる。ぼんやりとした左側に、見知った顔が映る。
「しっかりして、鶴姫ちゃん!」
はっきりとした声音と、意志の強い顔つき。恐怖に負けない鋼の意思を感じさせる彼女は、元々そうなのだろうが、青白い顔をしていた。
「…白雪、さん」
「少し痛むわ、我慢して」
そう言うと、もう一度、白雪は右目を覆うように布を巻いた。包帯と思っていたそれは、彼女が身にまとっていた白いワンピースを引き裂いて出来た切れ端だった。
彼女が片手に握っていたカッターの刃先に、真新しい血が付いていたが、それについて、深く考えるのはやめておいた。
ぎゅっ、と布が二重に巻かれ固定されたときは、確かに酷く痛んだ。だが、それ以上に、見知った顔が近くにあった安堵のほうが大きかった。
「あいつらは…?」気になってそう問いかけた鶴姫を、白雪が怪訝な表情で見返した。
「あいつら?その人たちが、貴方にこんなことをしたの…?」
消えたのか。言われてみれば、もうかごめ唄も聞こえない。
何となくだが、もしかすると目なし女たちは、私やかごめの前にしか現れないのかもしれない、と思った。
彼女らも、被害者なのだ。
長い時の中、この村の忌まわしき牢獄に囚われている。
逃れる術は、時の流れが人柱としての刑期を終わらせてくれるということだけ。
目をえぐり出されながら、鶴姫はすでに彼女らを恨んでなどいなかった。それどころか、強い憐憫の情を感じていた。
「いいの」気が付いたら、そう口にしていた。「もう、いいの」
「でも…!」
「そんなことより…」
そうだ、そんなことより、やらなければならないことがある。
鶴姫は、残された左目で、百葉箱に似た社を見つめて歯を食いしばった。




