異常と正常 1
入り口に立っていたのは、風見千代一人だけではなかった。
殺気立った眼差しをこちらに向けてくる、長篠萌。それから散弾銃の銃口を、両手を上げた白雪の背中に添えている、鶴姫。
風見と鶴姫は屠殺場で別れたままの姿から、なんら変わってはいないが、長篠は顔の半分に赤く滲んだ包帯を巻いており、決して軽くはない怪我をしているようであった。
「この、出来損ない…!」長篠が、憎悪に満ちた目つきと口調で言う。
その小物臭さが、煮え立つかごめの胸の内側を冷静なままでいさせた。
「元気そうじゃない、死に損ない」
「お前ぇ!」
「お洒落なアクセ、似合ってるわよ。田舎者にぴったり」
追い詰められている、というこちらの思考を悟らせないよう、あえて安い挑発をぶつける。
今にも飛びかかりそうな長篠を風見が軽く手で制した。面倒そうな表情は、長篠への興味のなさを表しているようだ。
「ごめん、かごめちゃん…」
悔しそうに顔をしかめる白雪に、さっと視線をやる。
「いいのよ。どうせ、こいつらに聞いておきたいこともあったし」
精一杯の強がりだったが、嘘ではない。
かごめは埃でも払うかのように、『籠目村祭儀禄』を手の甲で叩いてみせて、風見たちの反応を窺った。案の定、鶴姫以外の二人が素早く反応した。
「鶴姫、銃を長篠に渡して、部屋から出ていなさい」早口で、風見が命じる。
「え、でも…」
未だに迷いの目をした鶴姫は、風見を一瞥した後、かごめのほうをじっと見やった。その視線からは、確かに相手を案ずるようなものが感じ取られ、内心、かごめはホッとしていた。
やはり、彼女は本心から私たちの敵となったわけではない。今までそうしてきたように、風見に従っているだけだ。
だが、気が強く、義理堅い性根をした鶴姫が、いつまでも風見の思うがままにコントロール出来るはずがない。それが分かっているから、風見は今この場から彼女を遠ざけようというのだ。
真実を知れば、鶴姫の迷いが強くなるのは分かっているから。
「いいから、行きなさい」
風見の言葉に、素早く被せる。
「いや、駄目よ、鶴姫。アンタも私も当事者なんだから、この場にいなきゃいけない」
「口を出さないでもらえるかしら、月野瀬の出来損ない」
「ふん、私が出来損ないなら、鶴姫はスペア?」
ぴくり、と風見の眉が跳ねた。
不審がるように、かごめと風見の間で視線を往復させていた鶴姫が、「す、スペア?」と短く繰り返す。
「何をしているの?早く行きなさい」
再度、風見が命じるも、鶴姫の目には確かな疑心が宿っていた。
やがて、少女が呟く。
「わ、私だけ、何も知らされていないんですか…?」
「貴方には、まだ早いの」
風見は、急になだめるような口調に変わった。おおかた、鶴姫に誤魔化しの魔法をかける算段なのだろうが、そうは問屋が卸さない。
鶴姫も味方につけるなら、今しかない。いや、味方になんて出来なくてもいい。とにかく、あの銃口を白雪から逸らさなくては。
「聞いて、鶴姫。私が駄目だったら、次は貴方の命が狙われる」
「命…?」呆ける鶴姫の隣で、風見が大きく舌を打つ。「だ、誰に?誰になの、かごめ」
「聞いては駄目よ」と制止を繰り返す風見の声の何倍もの声量で、かごめは先ほど自分が知った、この村の悪しき風習、真実を一気にまくし立てた。
途中、風見が話に割り込み、かごめを黙らせようとした。しかし、そうやって誤魔化そうとすればするほど、皮肉なことに、鶴姫はかごめの話を聞こうと躍起になった。
そして、かごめの知り得る限りを語り終えたとき、鶴姫と、銃のことなど忘れて話に聞き入っていた白雪は、顔面蒼白になって口を開けていた。
「嘘…」そう呟いたのは、彼女たちのどちらだったろうか。
「そう、嘘なのよ。こんな話。月野瀬の出来損ないがでっち上げた、くだらない与太話なの。耳を貸しては駄目」
「しつこい奴…!」
「貴方こそ」
互いに睨み合ったかごめと風見のそばで、鶴姫が震える息を吐いた。当然のことだが、明らかに気が動転している。
五人も入るには狭すぎるこの部屋に、女性特有の香りが充満していた。もしも、山ノ瀬に意識があったのであれば、その芳しくも毒々しい香りに目を回していたかもしれない。
次第に旗色が悪くなっていることに気付いたのか、風見はいっそう優しい声で、落ち着きなく独り言を呟いている鶴姫に告げた。
「鶴姫、貴方は今、動揺しているわ。その隙をあの魔女に突かれているの。とにかく、銃を渡して下がっていなさい?」
風見は、鶴姫の返事も待たずに散弾銃に手を伸ばした。
その瞬間、弾かれるようにして鶴姫が体の向きを変えた。足元に、おぞましい虫でもいたのかというような、激しい動きだった。
体の向きが反転したことで、白雪に向けていた銃口は自然と、かごめと白雪以外に向けられる形となる。
「…鶴姫。何のつもり」
まだ、親しみを感じさせようとする声音だったが、剥がれつつあるベールの向こうには、風見千代という人間の残忍さ、冷血さが見え隠れしていた。
「あ、あ、の…ちが、くて」
自分でも、自らが取った行動が信じられないのだろう。鶴姫は言葉に詰まりながら、それでもゆっくりと着実に後退して、かごめのそばに移動する。
ぽん、とようやく触れられる距離にまで近寄って来た彼女の頭に手を乗せる。
「違ってなんかいないわ。正常よ。正常な人間のすること」
一瞬だけ、鶴姫を安心させるような微笑みを浮かべた後、ギロリと、かごめは風見と長篠を睨みつけた。
「こんなワケの分からないもののために、何も知らない人間を、家畜か何かみたいにストックする連中より、遥かにまともよ、鶴姫」
「かごめ…」
鶴姫がこちらを見る眼差しには、何か縋るような、それでいて、自分自身も何か強いきらめきを取り戻しつつあるような色があった。
形勢逆転だ。しかしながら、楽観できるような状況ではないことも、重々承知している。
「飼い犬に手を噛まれた気分はどう?ペテン師野郎」
相手を刺激するような言葉を放ったまま、風見の顔を凝視する。ほんのわずかな変化でも見逃したくはなかった。
彼女からしてみれば、白雪を手元に置いていること以外、絶体絶命の状況のはずだ。
風見の頭の中は今頃、いかに白雪を盾にして交渉するか、あるいは、もう一度鶴姫を自分サイドに引き込むためにはどうしたらいいかでいっぱいになっているに違いない。
しかし、かごめは風見の顔から余裕の色や、あくまで狩る側の残忍さが消えていないことに気付いて、考えを改めた。
(まだ、切っていない手札があるんだ)




