厄災の記録
――…籠目村には、遥か昔、日本人が刀と鎧を武器に野を駆け回っていた時分より語り継がれる伝承がある。伝承といえば聞こえはいいが、その実、それらは正に厄災の記録であった。
長年、籠目村の四人の司祭役である、『月野瀬家』、『山ノ瀬家』、『長篠家』、『風見家』がしきたりを守り、多くの家畜の血を捧げ、人柱を立ててきたことで、とある厄災がこの村に封じ込められていた。
平安の時代から、京を騒がせていた鬼だとも、神の使いだとも、海を越えてきた魑魅魍魎だとも言われている厄災。
それは厳重な規則によって封じられ、長いこと人の目に映らなかったことで、いつしか記録だけのものとなり、しきたりも、ただの形だけのものとなっていった。
再びそれらが影響力を取り戻すこととなる出来事は、戦時中、人々が貧しさと厭戦感情で、しきたりを蔑ろにしたことがきっかけで起こった。
19☓☓年、各家の人柱が欠けてしまう期間が生まれた。男たちは戦争に駆り出され、残った女性たちも貧困に打ち勝つために必死だったため、ワケの分からない迷信に人員を割くことなど考えもしなかったのだ。
その結果、西の空から夕日が昇り、村の境界を越えることが出来ない異空間が村を覆ったということらしい。
あくまで数字の面ではあるが、次の年の記録では、村の人口が前年の四分の三以下となっている。
当時の記録には、白い怪物が出た、としか残されていない。
一説では、村の中心にある白い大岩が怪物の姿となったとも言われている。(そのため、大岩は鬼の岩と呼ばれる)
錯乱した四家の少女からは、別の怪物が見えていたとの証言があったものの、他の生き残った村人から証言が得られなかったので、幻覚を見ていたとされる。
子どもたちを寝かしつけるための作り話程度にまで、その格を落とされていた災いは、百年単位の時を経て猛威を奮い、村を壊滅寸前にまで追いやったのだろうか。
原因は明確ではないが、おそらくは、人柱に何らかの期限があって、それを超過してもなお、次の人柱を用意しなかったことが原因だと思われる。
その説の信憑性を高めたのが、災厄は新たな人柱を捧げたことで収まった、という事実だ。
生き残った者たちは、今度こそ、二度とそうしたことが起こらないよう、伝承が風化しないよう、事実を事実として書き留めることを決定づけた。
さらに、四つの家から交代で『葬儀役』を出すこととした。仮に人柱の期限が迫っているとしたとき、儀式を滞りなく行うための役職だ。
期限が迫っているサインは、村の各所から聞こえ始める『かごめ唄』にあるのではないか、とされているが、それも確証はない。
過去の記録を基に直近の儀式において、身内から人柱を出した家がその役を担う。
…身内から人柱を捧げるのである。抵抗したり、逃げ出したりということも考えられる。そうならないよう、前もって何も知らさず、子どもの頃から、人柱役と決めて育てるのが通例となっている。
大抵の場合、その子どもたちは村の外に送り出される。
そのまま自分の番が来なければ、何も知らずに家庭を築くか、死ぬかする。そして、家庭を築き、子どもが出来れば、次の人柱役はその子どもが担う…といった具合だ。
子どもが出来なかったり、本人が雲隠れしたり、死去したりすれば、同じ家の者が代替えとして人柱となるのだ。
そうしたシステム化の甲斐もあって、19☓☓年の悲劇以降、村は穏やかにしきたりを守り、不必要な犠牲の出ないまま日々を過ごすことが出来ているのだ。
今後も、私たちはそれらを守っていかなければならない。
人柱、ということに忌避感を示す人間もいるが、一人の命で、村の大勢の命が救われるのだ。
その程度の犠牲は、取るに足らない些末なものに過ぎない。
――…古い文字が刻まれた最後のページの余白に、誰かが手書きで数行書き足している…。
――…20☓☓年、村の儀式を探る者が現れた。
今までもこうしたことはあったものの、余所者など適当にあしらい、口を閉ざすことで村の秘事を外に漏らさずに済んでいた。
しかし、今回は相手が相手だ。頭を悩まされている。
どうせろくな情報も得られまいとたかを括っていたのだが、驚くべきことに、次から次へと儀式に関する断片的な情報を拾い集めているではないか。
どうするべきか、風見葬儀役と話をつけなければならない。
まあ、最悪の場合は消してしまえばいい。こんな僻地で命を落としたが最期、永久にその死は日の目を見ることはない。
殺したときは、鬼の岩の下にでも埋めてやろう。
村の記録の中で怪物と共に生き長らえることを許せば、彼も本望だろうさ。




