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かごめの詩  作者: an-coromochi
五章 再燃する魂
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逃避、あるいは、再起

 白雪は、目の前に現れた怪物を見上げても、情けなく悲鳴を上げることはなかった。もちろん、逃げ出すことも。


 彼女はただ、全てを受け入れるかのように目を閉じ、両手を胸の前で重ねた。


 祈りの姿だ。


 一体、何を願うのか。

 それが、己の身の保身でないことだけは確かだ。


 さっさと逃げ出せばいいのに、その場にいる全員が白雪の行く末を見守っていた。何かの立会人になろうというかのように、敬虔な静寂を守っている。


 怪物が両手を広げて白雪をかき抱こうとした。死の抱擁だ。


 ぼんやりとそれを見つめながら、無意識のうちにかごめは呟きを漏らしていた。


「やめて…」


 すると、ぴたり、と怪物の動きが止まった。怪物の中の時の流れだけが止められたみたいだった。


 一体、どうしたというのだろう、と白亜の巨人の動向を凝視していると、怪物がおもむろにその歪な形の面を上げた。


 ひゅっ、とかごめは息を飲んだ。


 あらゆる生命を拒絶する、冷たい眼差しが自分に向けられていたからだ。


 仕留め損なった獲物が、悠長に息をしていることに気が付いたのかもしれない。それか、預けていた命を返してもらいに来たのか。


 自分でも分からない間に、命の借用書に署名をしていたのだろうか。


 周囲が一瞬でざわめきに満ちる。


 それもそのはずだ、怪物がかごめのほうを向いたということは、彼女を拘束していた村人連中のことも視界に捉えたと同義なのだから。


 穢れを知らぬシスターのように、じっと祈りの姿のまま立ち尽くしていた白雪の横を、怪物が避けるように通り抜けて行く。


 細身ながらも、筋骨隆々とした体躯が真隣を過ぎているというのに、白雪は微動だにしない。ただ、気付いてはいるのだろう、彼女の体はカタカタと震えていた。


 怪物がじわりじわりと近づくにつれて、村人たちは風見の指示を無視して、恐れ慄き、かごめから離れていく。


「ま、待ちなさい。その女を――」


 ぎょろり、と怪物が風見のほうを向いた。それによって、彼女も大きく後ずさる。


 ――…やはり、私を見ている。


 この怪物は、一体なんなのだろう。


 異界とも呼べる、夕暮れに染まった世界を支配する、白亜の巨人。

 人を喰らい、殺め、八つ裂きにする。


 暴力の化身のような振る舞いをするのに、こうして時折、知性のようなものを小さな黒目に浮かべる、こいつは…。


 逃げ出すことも頭になく、ただ怪物の分析に耽っていたかごめの腕を、ぐっ、と何者かが引いた。


「こ、来い!」先ほどまで自分の腕を掴んでいた男だった。「さ、わんな!」


 反射的にかごめが叫んだとき、その叫びを打ち消すほどの雄叫びを上げて、突然怪物が彼女らのほうへと猛進し始めた。


「ひっ」


 どちらの悲鳴だったのか、男とかごめは身を離した。というよりも、かごめは男に突き飛ばされたといったほうが、適切だった。


 膝を着いて倒れたかごめの眼前を、怪物が通り過ぎていく。


「うわぁぁっ」


 直後に、男の悲鳴が聞こえた。視線をやると、彼が頭を鷲掴みにされているところだった。


 この後、何が起きてしまうのか想定出来ていたかごめは、急いで目を背けようとした。だが不幸にも、彼の頭がパンのように潰され、中身のジャムを四散させるところを目撃してしまった。


 とんでもない握力だ。人間の頭蓋骨を、ああも軽々と…。


 逃げ惑う人々を片っ端から葬り始めた怪物を横目に、逃げるなら今しかない、とかごめは立ち上がる。


 その際、視界の隅に風見が鶴姫を連れて奥へと逃げていくのが見えた。

 本当なら、鶴姫も連れ出したかったのだが、そうも言っていられない。


 未だにじっと佇んでいる白雪の背中を、信じられないような目つきで確認したかごめは、素早く彼女に近づき、その手を取って外に走り出す。


「白雪!」

「え?きゃっ!」


 白雪が転びそうになりながらも、なんとか駆け出したのを確かめてから、かごめは走る速度を上げた。


「かごめちゃん、どうして、いや、なんで、私…」

「いいから走って!」


 どうやら本気でここで死ぬ気だったらしい白雪は、未だに自分が生きていること、その手をかごめに引かれていることに驚きを感じているようであった。


 ただ、意識せずとも、走り出した体は自然と前に進むことを選び、屠殺場からぐんぐんと離れて行っている。


 そうだ、一度走り出してしまえば…。どこまでだって行ける。


 名も知らない草の上を、二人の足が淀みなく回る。

 油を差した歯車のように。


 あるいは、走ることを思い出したかのように。

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


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