追憶の中の私
白雪に案内されるような形で、休憩室の扉を開ける。
中はいくつかのテーブルと椅子があった。さらに、一段高くなった一角に、畳の敷いてある座敷が見える。
風見の言っていたとおり、部屋の隅に布団が畳んで置いてある。ただ、黄ばんでいる外見からして、まともに使うことは出来そうにない。
先に入っていた白雪が、すっと音もなく椅子を引いて、かごめに座るよう促した。
その他人行儀な親切さが気に入らなくて、かごめはそれを無視したまま、座敷になっている場所の縁に腰掛ける。
謝罪を繰り返されることが、今は無性に腹が立った。
これでは、謝らなければならない何かが、白雪とあの女の間にあったみたいではないか。
(そんなこと…、今は関係ないのに)
そもそも長篠と白雪が、自分がいない間にどういうふうな結びつきを築いていたとしても、私には一切関係のないことだ。
そう頭に言い聞かせても苛立ちは消えず、いつまで経っても、寄せては返す波のように思考に上がってくる。
「かごめちゃん、ごめんね」
三度目になる謝罪を口にしながら、白雪が椅子ではなく、かごめの隣に腰を下ろした。
肩が触れるような距離が落ち着かず、かごめは無意識に、顔を白雪がいるほうとは反対の方向へと向ける。
「大体、何なのよ、アイツ」
この言葉には、白雪だけではなく、かごめ自身も驚いた。
本来ならば、意地悪するつもりで『謝る理由があるの?』と問うつもりだったのに、口を突いて出た言葉はそれとは全く関係のない言葉だった。
「アイツ…?」
「長篠とかいう女のことよ、それくらい言わなくても分かるでしょ」
白雪の惚けたような返答に語気が荒くなる。かごめは勝手に、誤魔化されたような気分になっていたのだ。
長篠の名前を出された白雪は、返答に困るような表情を浮かべた。それから、言葉を探すように視線を一瞬だけ虚空に放り、その後、素早くかごめのほうに戻す。
「あの、それはさっき、説明したと思うんだけど…」
「あんなの、説明になってないでしょ」
「そう言われても…」
「あれで納得出来ると思ったの?何よ、お世話になってるって。意味分からない」
「それはね、私はここでの勝手が分からないから、誰に何を相談したらいい、とか、みんなの名前とか、とにかく、ちょっとしたことを教えてもらっていたの」
「それがくっつかなきゃいけない理由になるわけ!?」
急に声を大きくしたかごめを、白雪が目を丸くしながら見つめた。相手の気迫に、さすがに言葉を失っているようだった。
かごめは、そんな白雪の様子も頭に入らず、遮二無二なって言葉を重ねる。
「手なんかつないじゃってさ、私がどれだけアンタのことを考えてたか分かってんの?」
「…ごめん」
「村の入り口とは反対のほうにある、この建物まで来たのも、アンタがいるかもって、そう思ってわざわざ山道登って来たのよ?」
「うん」
「必死だったの、死ぬかもしれなかったの、分かる?そのリスクを冒してここまで来たの、ねぇ、本当に分かってる?」
「う、うん」
「それなのに、どこのどいつとも知らない女と、何を仲睦まじくやってんのよ、馬鹿!」
「…うん」
ふと、先ほどからお得意の『ごめん』が聞こえなくなったことで、かごめは口を閉ざした。
言い過ぎただろうか、と白雪の顔を覗く。すると、あろうことか彼女は口元を片手で隠して笑っていた。ニヤけていた、という表現のほうが的確だったろうか。
あまりにも意外なことだったので、かごめは初め数秒は面食らって言葉を失っていたが、次第に怒りが込み上げてきて、まなじりを吊り上げた。
「アンタ、何笑ってるわけ?馬鹿にしてるの?」
心のどこかで、自分を馬鹿にしていたのか。
かごめは、相手の正気を疑うような目つきで白雪を見つめた。その視線に気が付いた白雪は慌てた様子で、顔の前で手を何度も交差させる。
「そうじゃない、違うの。ごめんね?」
「違わないでしょ」と今度は自分が思っていた以上に、小さな、落ち込んだような声がこぼれていた。「馬鹿にして…」
形容しがたい、息苦しさ。
例えるなら、分厚い布団を何枚も重ねた空間で、懸命に呼吸をしているみたいな感じ。
かごめは自分が今、傷ついているということに気付けていなかった。
自分自身、どうしてこんなにも苦しんでいるのか不思議でたまらなかったし、理解出来ていないとも思っていなかったのだ。
そんな、どうしていいかも分からない苦悶で歪んだ表情を見た白雪が、言うか言うまいか迷うふうに口を何度か開閉し、それから、いよいよ決心したかのように、かごめへと体を真っ直ぐ向けて言った。
「かごめちゃん、あのね?私、嬉しかったの」
依然として、片手で顔の下半分を覆っていたものの、その声はきちんとかごめの耳に届いた。
「嬉しい…?何が?」
「だって…」と、一旦白雪はそこで言葉を区切って、夏の日差しよりも熱い視線をかごめへと向けた。
何かを期待するような、あるいは、いっそ、相手の心を焼き尽くさんと望むような、そんな眼差しだ。
「かごめちゃん、萌さんに嫉妬してるみたいだったから…」
「し、嫉妬?」
聞き慣れぬ単語をオウム返しすると、白雪は頬に紅葉を散らしながら頷いた。
「そんな、私が何に嫉妬するのよ」
「私と、長篠さんが、仲良くしてたから」
ちらりと、上目遣いを白雪に向けられて、ますます頭の中が混沌とする。
「ば、馬鹿、そんなんじゃないわよ!私はただ、こっちが命がけだったのに、白雪たちが能天気な様子だったから…」
「じゃあ、今度からは私たちも危険な役を担うから、長篠さんと仲良くしていい?」
「…何で私に聞くのよ。勝手にすればいいじゃない」
「手をつないでも?」
「それは駄目!」
二人の仲睦まじい様子、一つの鎖のようにつながった手…。
それらが脳裏をよぎった刹那、ほぼ反射的にかごめはそう返事をしていた。
かごめの返答を聞いた白雪は、また一段と嬉しそうに微笑むと、しっかりと頷いた。
どうして、こんなことを言ってしまったのか、とかごめが相変わらず混乱していると、そっと白雪がかごめの右手に自らの左手を重ねていた。
「あ…」と言葉にならない言葉が漏れると同時に、体が跳ねた。
驚くほどにひんやりとしているが、心地よい感触。
ずっと昔から、私だけが知っている白雪の手。
いや、違う。
私以外の、誰にも知られたくはない、白雪の肌の温度だ。
あぁ、何を考えているんだ…。
私は、こんなにも独占欲が強かっただろうか。
友人を独り占めにしたい、などと考えたことはなかったはずなのに。
気付けば、白雪の白魚のような指先が、私の指先と絡まっていた。
そうだ、私たちの縁は、こうしてずっとつながっていた。
いつの間にか絡まっている、電気コードみたいに。
「かごめちゃん」
「…なに」
「かごめちゃんは、一言私に言ってくれればいいんだよ…」
何て、とは口に出して尋ねられなかった。
「『私以外に、触らせないで』って」
どくん、と心臓が収縮した。
白雪には読心術の心得があったのか、と本気で疑ったほどだが、それだけ私の行動は分かりやすいものだったということだろう。
かごめが言いたいことは、確かに、白雪が今口にした言葉、そのものであった。誰かの口を通してそれを聞くことで、なおのこと、かごめは納得することが出来ていた。
――…だが。
絡めた指先に力を込める。
それで、白雪の顔が歪んだのを確認してから、かごめは腹の底から絞り出したような声で告げた。
「…馬鹿、そんなこと、言えるわけないじゃない」
「…どうして?」
表情に失意の影を落とした白雪は、すがるようにかごめに問いかけたが、彼女は何一つとして答えはしなかった。それどころか、話を打ち切るように背を向けてしまう。
そうだ、口に出来るわけがない。そんな傲慢な願い。
白雪が好きなのは、私であって、私ではない。
ふと、過去の私が自分を見ているような錯覚に襲われた。あるいは、逆だったのかもしれない。
現在の私が、追憶の中の自分を見つめている。
そのときになってようやく、かごめは現在の自分に自信がないのだということを理解した。当然、その自覚が何かの役に立つことはない。ただ、惨憺たる暗闇に心を引きずり込むだけだ。
誰よりも速く走れていた頃に、想いを馳せるのも。
父の死を自分のせいにして、不幸ぶるのも。
白雪が伸ばす手を払ったのに、そばにいてほしいと心のどこかで甘えるのも。
全部、足りない自分のせいだ。
やっかいなのは、自分に何が不足しているか、というのを明確化出来ていないことだ。
つまり、自分と向き合えていない、ということ。
怯えている、何もかも半端な自分と。
ぎゅっと、自分の二の腕を握る。何かにしがみついていなければ、わめき出してしまいそうだった。
半ば無理やり、白雪の手をほどく。
彼女とつながる資格など、今の自分にはない。
過去の自分を殺してしまいたい、とかごめは本気で考えるのだった。
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