老人 1
かごめは渋面を作りながら大広間に戻った。床に座り込んでいた鶴姫の姿がなく、一瞬だけ慌てたが、すぐに窓際に彼女の小柄な姿を見つけることが出来た。
じっ、と外を眺めている背中に近づく。こちらから声をかけるより先に、鶴姫が窓の向こうから視線を逸らさぬままで言った。
「見て、かごめ」
「なにを?」
念のため警戒しながら、彼女の視線の先を確認する。
背の高い木の壁の向こうに、赤々とした空が広がっているが、特段変わったところはない。
「…別に、何もないじゃない」
「よく見てよ、おかしいじゃん」
もう一度、外を見る。
おかしいと言われても…。そもそも、木の壁以外、空しか見えないのだ。
オレンジの光条を撒き散らす夕焼け。
薄い雲に反射して、幻想的な光景だった。
緊張感に凝り固まった体が、その風景でほんの少しだけ軽くなる。
――いや、待てよ?
ようやく鶴姫の言いたいことが理解できて、かごめは再び体を硬直させた。
「夕日が、沈んでない…」
「それどころじゃないよ、かごめ」と鶴姫が窓の外を指差す。「沈むどころか、昇ってるよ。あの太陽」
確かに、鶴姫が言うとおりだった。夕日は山際ではなく、西の空のやや上の位置にある。
「一体、どうして…」
かごめは、ぼそりと呟いた。
「どうなってるの、かごめ」
「分からない。でも…、やっぱり、何かが根本的におかしい。化け物がいること、妙な歌が流れたこと、夕日が昇っていること…。もう、この村、一体どうなってるのよ」
「う、歌…?」
そうか、繋がらない電話からかごめ唄が流れたことは、自分しか知らないのか。
かごめは、一通りのことを説明した。
「気味が悪い…。誰かのいたずらなんじゃないの?」
「私も、そう思えたら良かったけどね」
皮肉のつもりはなかったのだが、鶴姫はムッとした顔つきになった。ただ、こちらに噛み付いてくることはなく、何か考え込むように黙って、床板を見つめていた。
彼女が何か口にするのを待つべきかとも思ったが、あまりに長い沈黙だったので、かごめは、ふと気になったことを尋ねた。
「ねぇ、この村って、何で『籠目村』なの?由来は?」
鶴姫はそのとき初めて、かごめ歌と村の名前の繋がりに気付いたらしく、青ざめた表情を浮かべた。
それから少し経って、小さく頭を振り、「知らないよ」と答える。
先ほどのメモの件もあったので、本当かどうか一瞬だけ疑ってしまう。
鶴姫は、パーカーの袖の上から二の腕をさすっている。とてもではないが、嘘を吐いているようには見えない。
彼女が何も知らないのは、些か残念ではあったが、何かを隠しているわけではなさそうだと分かっただけで、安心することはできる。
――…もしも、メモの書き手が暗に恐れていたことが、真実ならば…。
今後、生存者を見つけても、気をつけなければならない。
事実、自分は二度、化け物の餌にされかけている。
頭の中を軽く整理し終えた(解明できたことはないが)かごめは、ふう、と息を吐いた。それから自分の太ももを叩き、気合を入れる。その音で鶴姫がビクッ、と驚いていたのが滑稽だった。
「とにかく、他に生きている人がいないか、探しましょう。まだ、一階を探してないから…」
言葉を区切りながら、こちらを恨めしそうに見ている鶴姫を一瞥する。
「えっと…、どうする?鶴姫も来る?」
「行くに決まってるじゃん。かごめ一人にしてたら、またドジ踏みそうだしね」
「はいはい。どうして素直に、心配って言えないのかしら」
「はぁ?ち、違うし!」
素直になれない、青々しい鶴姫のことは適当に受け流し、一階の中央の扉へと進む。その後ろから、ついてくる鶴姫が、ぼそりと言った。
「ま、まぁ、風見さんを見つけるついでに、白雪さんもね…」
かごめは、ドアノブに手をかけながら、ぴたりと足を止めて首を傾げた。そのまま振り返ると顔をほんのりと赤く染めた彼女がいた。
「…鶴姫って、もしかして…」
「な、なに?」
頭に浮かんだ疑問を口にしようとして、すんでのところで思いとどまる。
いや、何と言って尋ねるのだ?
――鶴姫って、風見さんのこと好きなの?
ダメダメ、直接的すぎる。もっと遠回しな…。
――鶴姫って、女の人が好きなの?
論外だ。というか、私はこの極限状態で、一体何に脳細胞を費やしているんだ。
かごめは大きく息を吐き出し、「いや、やっぱりなんでもない」と口にしてドアノブを回した。背中で鶴姫がぶつぶつ小言を言っているようだったが、気にせず扉を開ける。
扉の向こうには長い廊下が伸びていた。両側の壁にはよく分からない装飾品や、絵画がかけられている。扉も左側に一つ、突き当りに一つ、右側に二つ、という具合だ。
左の扉を開ける。中はキッチンとリビングのようだ。二十畳以上ある広さだったが、薄暗く、人の気配はない。念のため奥まで見て回ったが、誰もいないし、手がかりもなさそうであった。
部屋から出ようとしたところで、鶴姫がどこにもいないことに気が付いた。慌てて足早に廊下に戻ると、ちょうど右側の扉から出てくるところだった。
「黙っていなくならないで、心配するでしょ?」
「え?あぁ、ごめん」
思いのほか素直に謝罪されて、きょとんとしてしまう。こうして素直であれば、容姿も相まってとても可愛らしく思えた。
「こっちは誰もいなかった」
「そう…。こっちもよ」
先ほどよりも、単純に人手が二倍あるので、探索はサクサク進みそうだ。
なんとなく昔やったホラーゲームを思い出すが、今考えると、あんなにもアイテムが落ちているのは不自然だよな、とついつい口元が綻ぶ。
残った扉は突き当りの扉だ。ここにも誰もいなければ、使えそうなものを回収して、また化け物のいる外へと戻らなければならない。
鶴姫だけはここに残してもいい、とかごめは内心考えていた。もちろん、彼女がそれを承諾しないことも、何となく分かっている。
前後に並んだ状態で、ドアノブに手をかける。
物音一つもしないので、中には誰もいないだろうと踏んでいた。だからこそ、扉の真正面のデスクに人が座っていたことで、心臓が縮み上がるほどに驚いた。
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