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かごめの詩  作者: an-coromochi
二章 夕日の昇る村
22/62

間一髪 1

 叔母の家を出て、すぐ横の脇道に逸れて村の中心を目指して進んだ。脇道に逸れたのは、万が一、怪物に出くわしても素早く物陰に隠れやすいからだ。


 だが、その心配も無用だったかのように、辺りは不気味な静寂に包まれていた。

 誰かの悲鳴も聞こえないし、怪物の唸り声も聞こえない。


「誰もいないみたい」と鶴姫が口を開く。


 神経を研ぎ澄まして周囲を警戒していたかごめは、その声に驚いて、飛び上がりそうになった。


「黙ってて。化け物に見つかったら、逃げられないわ」


 苛立ちから、少し棘のある口調になる。


 それを聞いて不服そうに眉をしかめた鶴姫は、ふん、と鼻を鳴らして小声で続けた。


「なによ、かごめのくせに。かごめが逃げられたんだから、私だって…」


 一体、どこからその自信が来るのか。

 目無し女に襲われ、慌てて袋小路に逃げ込んだ小娘の台詞とは思えない。


 共に過ごす時間を重ねれば重ねるほど、輪をかけて生意気になっていく従妹。親しみと同時に、その鼻をつまみ上げたい気持ちに駆られるが、なんとか我慢する。


 低い姿勢のまま木の塀に沿って歩いていく。時折、音を立てる砂利に神経がざわめくのを感じる。


 二分ほど黙って歩いていたわけだが、辺りを警戒するあまり慎重になりすぎて、歩調が極端に遅かった。そのせいで、まだ村の中心には遠い。


 気が遠くなるような距離に感じるのは、脳裏にこびりついた血まみれの記憶のせいか。


 苦々しく唇を噛み締めていると、不意に、ぐっ、と体を後ろに引かれた。


 体が密着しても女性らしい柔らかさを感じないことが、どこか残念だ。


「なに?」迷惑そうにかごめが聞く。


 返事がないので振り返ると、鶴姫が青ざめた表情で右に伸びた道のほうを見ていた。


 多分、あちらは避けて通った大通りのはずだ、と思いつつ鶴姫の視線の先を追う。


 刹那、息を飲んだ。

 喉が鳴らないよう、呼吸を止め、素早く数歩後ろに下がり、物陰に隠れる。


 血を吸い込んだ、赤黒い土の上に、すっくと立つ白亜の巨人。

 顔の半分の面積を占めそうな大きい双眸がぎょろりと、地面を見つめている。


 口周りや首元には、先ほど女性たちを喰ったときの血がべっとりとついていて、食事のマナーがなっていないことがありありと分かった。


 前掛けでも着ければいいのに、と面白くもない冗談が浮かぶ。


 ギュッと、痛みを感じるほどの力で鶴姫がかごめの腕を掴んだ。

 怪物が目の前にいるうちは、木に絡みつく蔦のような両腕をどかそうという気にもなれない。


 長身を折り曲げて、怪物が地面の匂いを嗅いだ。鉄臭いか、土臭いだけだろうに、怪物は満足そうに鼻息を漏らす。


 それから、緩慢な動作で周囲を見回し始めた。こちらに振り向く直前に、さっと体を引いて隠れる。


 のしのし、と土を踏み固めながら巨躯が近付いてくるのが分かる。


 まずい、このままでは…。

 逃げるか、だが、下手に動いて正面から出くわしたら…?


 迷いに囚われ、思考がショートしかけていたかごめの腕を、ぐいっと鶴姫が引っ張る。振り向くと、口だけで、『こっち』と伝えてきた。


 大人しく彼女に従い、その後ろをついていく。後方が気になって仕方がなくて、何度も確認するが、今のところ化け物は来ていない。


 細道で止まっているのか、それとも、そもそも大通りから動いていないのか。


 夕焼けに染まる脇道を、野ネズミのようにコソコソと駆ける。


 来た道を引き返し、先ほどは曲がらなかった道を左へと曲がると、民家の庭先に出た。

 叔母や祖母の家とは違う、小さく古い家だ。ここで人が生活しているとは、にわかに信じがたい。


 ちょうど、かごめたちが覗き込んでいた道に対し、塀を隔てた位置関係につく。これなら塀沿いに進んで大通りに出られるかもしれない。


 しかも、好都合なことに、塀の切れ目から向こうの様子が確認できる。白い体はかなり目立つので、怪物がつい十秒ほど前まで自分たちがいた場所に向かっているのが分かった。


 鶴姫が思い切りよく行動してくれていなかったら、今頃は鉢合わせていたかもしれない。


 声が出せないため、心の中で彼女に感謝を伝えながら、塀に沿って進み続ける。


 このまま行けば、ローリスクで化け物を回避できそうだ、とかごめが無意識的に油断してしまった、その瞬間だった。


 かごめの足が、塀に立て掛けてあった木の板にぶつかり、後方で物音を立てて倒れる。


「…ぁ」何とかこらえたが、小さく声が漏れた。


 心臓がぎゅっ、と収縮する中、塀の隙間から見えていた怪物の動きが停止した。


 ――…やばい、これは本当にやばい。


 私のせいだ、とかごめが泣き出しそうになったとき、再び鶴姫が思い切りかごめを引っ張った。

 今度は、腕ではなく、体全体だ。


 鶴姫は古い民家の床下に滑り込んでおり、彼女に引きずられる形でかごめもその狭苦しい場所に寝そべりながら入った。


 息を殺して、待つ。


 隣から漂ってくる、鶴姫の幼さを感じさせる甘い芳香をもってしても、この今すぐに楽になりたいと思わせる恐怖と緊張感を拭うことは出来なかった。


 ぎゅっ、と鶴姫がかごめの背中に手を回した。怯えた子どもにするような仕草に、自分が気を遣われるほど酷く動揺していたことに気がつく。


 大丈夫、もう大丈夫だ。

 これ以上、醜態は晒さない。

 死ぬにしても、せめて、格好良く死にたい。


 彼女たちの視線の先には、夕日に照らされて出来た塀の影があった。その上にちょこんと何かが乗るようにして、四角とも丸とも言い難い影が現れる。


 覗き込んでいる、と直感する。


 怪物の持つ命を凍らせる死の吐息が、ここまで漂ってくるのではないか、と恐ろしくなったが、数秒もすれば怪物は頭を引っ込めたようだった。

 そのまま、自分たちが来た道へと、移動していく。


 床下を右手に抜けて大通りに出れば、怪物と入れ違いになるようにして進むことが出来そうだ。


「ドジ踏まないでよ、かごめ」と、囁くような声で、鶴姫がいたずらっぽく言った。


「ごめん、ありが――」


 左側にいる鶴姫のほうを振り向く。


 そうして、かごめは死の淵を覗き込んでしまった。


 大きな白目の中にある、点のような黒目が、自分たちをじっと見つめていたのだ。

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


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