白亜の殺戮者 1
怪物は満足そうに咆哮をやめると、駆け下りていく人々を見やった。
それから、かごめには…その怪物が笑ったように見えた。口が裂けるほどに大きいからだろう。そう信じたい。
長い手足を使って、器用に斜面を下り始めた怪物。
その速度は人間の比ではないというのに、まるで転がり落ちる様子もない。
雷のような速度で、最後尾の男の背中に迫る。
男は、真後ろから聞こえてくる怪物の死の吐息にこらえきれなくなったのか、大きくジャンプした。
もちろん、まだ平坦な地面は遠い。そんなことをすれば…。
「あああああああッ!」
男は運悪く、折れた樹木に飛び込んでしまい、尖った先端が太腿を貫通する事態に陥ってしまった。
いや、彼の本当の不幸は、そこではない。
樹木が貫いたのが、心臓や首、脳…とにかく、即死を免れない箇所だったら、まだ良かった。
絶叫を上げながら樹木に磔になった彼は、速度を落とし、いやにゆったりとした動きで自分に迫ってくる、真っ白い怪物とまともに対峙することとなってしまったのだ。
「…ぁぁ、い、痛え…」
怪物は、獲物が身動きの取れなくなったことを確信すると、片手で男の体を抑えつけた。
もう残り僅かな生を振り絞ったかのような悲鳴。だがそれも、空いた片方の手で頭を引っこ抜かれたことで、一瞬のうちの静けさに還った。
ボンッ、と聞いたこともないような音と共に、鮮血が舞い散る。
思わず顔を逸らし目を閉じたかごめの耳に、斜面を無事下り終えた残りの二人が呼吸を死ぬほど荒げている息遣いが聞こえてきた。
そうだ、まだ生きている人間がいる。
放ってはおけない…!
玄関口から身を乗り出し、大声を上げる。
「走って!こっち、早く!」
声に気付いた二人は顔を上げ、ふらつきながらも再び走り出した。
距離はどのくらいあるだろうか、と化け物のほうを確認したかごめは、思わず息を飲むことになった。
「…っ!」
口の周りを真っ赤にして、怪物は小汚い咀嚼音を鳴らしていた。人間が出すそれとは違う。バキバキという、骨の砕ける音…。
「人間を、く、食ってる」
食べづらかったのか、樹木から引き抜き、両肩を両手で掴んだ物の怪は、男の体を軽々と持ち上げて首のほうから胴体を貪っていた。
刹那、かごめは察した。
頭のない遺体。
消えた胴体。
これがミステリー小説なら、私はもう本を閉じている。
化け物が犯人だなんて、反則だ。
だが、ということは、あの怪物は当たり前のように建物の中に入ってくるということだ。
リビングに広がる惨状を思い出し、かごめは戦慄に震えると同時に大声を上げた。
「もっと速く走って!」
もう彼女らは全力疾走だ。脚力に自信のある自分よりも速い気がする。
ぜいぜいと息を荒げた中年女性が、倒れ込むようにして中に滑り込む。彼女の肩をさすりながら、もう一人の女性を待つ。
今にも転びそうで覚束ない足取りだったが、何とか家まで辿り着いた。
「大丈夫?」女性は首を激しく振った。返事は出来そうにない。
化け物の位置を探る。
白壁じみた身の丈をした怪物は、男の胴体をあらかた貪り終えたのか、次なる獲物を求めて三人のほうを見据えていた。
途端に、咆哮。
急に怒り出したように見えた化け物は、ぼろぼろになって原型を留めていない男の肉塊を天高く放り捨てた。
それから、地面を二本の長い足で叩きつけるかの如く、こちら目掛けて疾駆を始めた。
――くそっ、何だこれは…!
あんな化け物、対抗のしようがない。
とにかく、今は見つからないように身を隠すしかないのだ。ホラーゲームでいうところの逃亡イベント。
座り込み、肩で息をしている二人を無理やり立たせ二階に上がる。
近付いてくる低くけたたましい叫びに、実際目にせずとも、現状が飲み込めたらしい二人は、我先にと駆け上がっていく。
かごめも彼女らにならい、二階に上がり避難しようとした。しかし、自分が使っていた寝室に隠れようとしたところ、二人はかごめが入るのを待たず留め金を下ろしてしまった。
「な、ちょっと!開けて!」
扉を二度三度、激しく叩く。だが、中からは念仏じみた呟きが聞こえてくるだけで、一向に扉が開く気配はない。
ドン、ともう一度最後に扉を蹴りつける。開くとは思っていない。彼女らの自分本位さへの怒りをぶつけた形になる。
こんなことをしても、何の解決にもならない。
命が惜しいなら、逃げ場所を探すべきだ。
階下から、扉が軋む音が聞こえてきた。驚いたことに、あの化け物は器用に扉を開けて中へと侵入してくるようだ。
随分とマナーの良い客だ。少なくとも、後続がいるのに扉を閉め切る奴らよりかはマシそうだ。
踵を返し、母が使っていた寝室に入る。隠れられそうな場所を一瞬で見極める。
ベッドの下、出窓のカーテンの裏、クローゼット…。
こんなところしかない。一番見つからない場所を考えろ。
――…駄目だ、情報が少なすぎる。山勘に命を賭けるしかないのか?
きちんと考えていない選択に命をベットするのは気が進まないが、扉の外から聞こえてくる、狭い階段を体をこすりながら上がってくる音のことを鑑みれば、一刻の猶予もない。
入って右手の壁にあるクローゼットを静かに、だが迅速に開けて、中に身を滑り込ませる。カビの臭いも気にならないぐらい、恐怖で脳髄がピリピリしている。
息を殺し、静寂に耳を澄まして、あの怪物の気配を探る。すると、ガチャガチャと、ドアノブを乱暴に扱う音が聞こえてきた。
自分が隠れている部屋は、とっさに入ったため鍵など掛けていない。というか、あの腕力を見る限り、鍵は無意味だと思ったのだ。
隣の部屋に行ったんだ。いや、扉が開かなければこちらに来るのか…?
向こうに行けと願う自分がいる一方、それが意味することを想像し、身震いするかごめだったが、彼女の葛藤を嘲笑うように扉が無理やり開かれる音が響いた。
元々古い家だ。多少の力で引っ張られれば、鍵を壊さずとも扉は開かれるだろう。
侵入された。彼女らは、ちゃんと隠れているだろうか。
刹那、訪れる静寂。
良かった、きちんと隠れているようだ。
――だが。
「きゃあああ!」
突如、隣の部屋から鳴り響く、くぐもった悲鳴。
壁のすぐ向こう側から聞こえてくる声は、言葉になっていない獣の断末魔のような…もっと言うと、カエルが潰されでもしたかのような調子で、途切れ途切れに鳴り続けていた。
何かが壁に叩きつけられる音が繰り返され、その度に聞こえてくる声は小さくなる。
しかし、それもほんの十秒ほどのことで、また静けさが戻ってきた。
静謐とはほど遠い。死の沈黙。
そう、死んだ。死んだのだろう。
母や叔母たちと同様に、体を引きちぎられて…。
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!
ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、
応援よろしくお願いします!




