赤と胃液と怪物と 1
一章が終わり、二章のスタートとなります。
ようやく多少はホラーらしくなるかと思いますので、
B級ホラーや百合がお好きな方はお付き合いくださると光栄です!
息苦しさとかび臭さに刺激された脳髄が、夢と現の狭間をさまようようにして覚醒した。
目を開けても真っ暗だったので、自分が本当に目を覚ましているのか分からなかったものの、体を起き上がらせようとして後頭部を打ったことで、きちんと意識を取り戻していることを確信した。
ここはどこだろう。あぁ、そうだ。私、見知らぬ男の背中を追って、丘の上の廃屋に入ったんだ。何て馬鹿で不用意な真似をしたんだろう。
それ以降の記憶を呼び覚まそうとするも、曖昧でおぼろげだ。何者かの声を聞いた気がするが、今考えれば暗闇の恐怖と、消えかけの蝋燭が作り出した幻聴だったような気もする。
ゆっくりと、息を吐く。
そうすることで、多少は冷静になれることを知っているからだ。
しないよりマシ、という程度ではある。
人は、魔法使いではないのだ。
体を起き上がらせようと両腕に力を入れる。すると、背中と後頭部が天井にぶつかった。
続けて、四肢を左右に動かして、この空間の広さを図った。
すぐに壁にぶつかる。
この狭さ…。なるほど、さっき小屋で見かけたクローゼットが自分に倒れかかってきて、蓋をされる形になってしまったのか。潰されなくて良かった。
覚えている感じ、そんなに大きなクローゼットではなかったはずだ。その気になれば両足で持ち上げてどかすことも可能かもしれない。
体を小さく丸め、両足の裏側がクローゼットの腹にぴったりと付くように位置を調整し、そのまま一気に力を込める。
「ぐうっ…!」
お、思ったよりも重い。だが、やはり持ち上がらないことはない。
実際、クローゼットはゆっくりとではあるが、浮き上がった。ギシギシという鈍い音と共に、空気が入れ替わる。
そのまま足を斜めに倒し、何とかクローゼットをどかすことに成功する。部屋の隅、ほとんど自分の真横で側面を床につけたクローゼットが、再び倒れてこないうちに素早く立ち上がる。
小部屋は埃が舞っていて、かごめはそれで軽く咳き込んだ。気管支が収縮して妙な咳が出る音が、我ながら気持ち悪い。
ふと気付けば、窓の外からは夕日が差し込んでいた。
一体、どれだけ眠っていたのだろうか。
そういえば、さっきの衝撃は地震か?
覚醒したばかりで狭苦しい場所に閉じ込められていたため、地震のことを忘れていたが、かなり規模の大きい地震だったのではないか。
少なくとも、クローゼットが倒れるほどの衝撃だ。いくら古くて立て付けが悪いといえど、そうそう簡単には動くまい。
小屋から出ると、外はかなり明るくなっていた。とはいっても、朝方ではない。
森は鮮やかな赤い光に彩られている。樹木の間から覗く夕焼けのためだ。
真っ赤で大きな太陽は、今、山の向こうに沈みそうという時分だった。山の中であることを考えても、時刻はもう夕方の六時前後だろう。
――…すごく綺麗な夕焼け空だ。こんなの、テレビや本の中でしか見たことがない。
不吉な感じがしないわけでもないが、どこかノスタルジックで美しい。
…ただ、何か違和感があった。こんなにも鮮やかな夕暮れを知らないためかもしれない。
かごめはしばらくその光に魅せられ、目を細めていたが、地震のことを思い出して、早く白雪や母、それから鶴姫たち親戚の安否を確認しなければと早足で斜面を下りる。
転げ落ちでもしたら、下手をすれば大怪我する。なぜなら、下には折れて鋭く尖った樹木や、丈夫そうな切り株があったからだ。
五分弱ほどかけて、ちゃんと道のある場所まで戻ってきた。慎重な足取りで動いていたため、距離に対して時間がかなりかかった。
50メートルほど先に祖母の家が見える。出入り口は開けっ放しになっていて、誰かがすでに白雪(と、いるはずの私)の様子をチェックしに来ていることが分かった。
畑の外周に設置された柵もあるので、ぐるりと遠回りするような形で家に向かう。遠くからでは分からなかったが、地震の衝撃か、窓ガラスが何箇所も割れていた。
どうやら、思っていたよりも被害は甚大らしい。村の中心のほうに戻れば、もっと悲惨な光景が広がっているだろう。
「みんな、大丈夫かな…」
ぼそりと独り言が漏れる。あまりに静かだったので、自分で声を発して、静寂に潜む不安を追い払う必要があった。
そうだ、とかごめは家の正面に立ったときに、先ほどまで感じていた違和感の正体に気付いた。
静かすぎるのだ。人間はおろか、鳥やカエル、虫の声すら聞こえない。
これだけの災害の後なのに、人々の慌ただしい声もしないというのは、さすがに妙ではないか。もしかすると、自分をおいて先に避難したのかもしれない。
深夜一時頃に地震に遭って気絶し、今がおそらく夕方六時頃。半日ほど行方知れずになっている計算だ。
白雪は驚いたことだろう。地震で飛び起きた後に、隣で眠っていた私の姿がないのだ。自分を起こしもせずに、瞬く間に避難した私について、悪態の一つくらいは吐いたかもしれない。
誤解だと説明する必要があるな、とかごめは苦笑いした。しかし、そのわずかな疲労のために緩んだ頬は、念のため家の中を確認しておこうと足を踏み入れた直後に、硬直してしまった。
瞳孔が一瞬で限界まで広がり、言葉にならない声がぼそりとこぼれる。
かごめは微動だに出来ないまま、廊下の床、壁、天井、そしてここから見えるリビングと階段まで飛び散った赤いペンキを見つめていた。
異様な鉄臭さが、鼻孔を上ってくる。
血に見えるが、血ではない。
そんなはずがない。
だって、この量の出血は、確実に致死量だ。
ふらり、と体が前進する。自分の意思で動いたのではない。半ば倒れかけた体を、無意識的に足が支えたために動いたのだ。
体が倒れてしまわないように、全開になっているリビングのドア枠に手をかけたのだが、掌にぬるりとした感触があって、かごめは弾かれるように体を離した。
「うっ…」
手に付着した粘度の高い液体をパジャマで乱暴に拭う。細かいことを気にしない、かごめらしい拭き方だ。
何だ、これ。
眉間に皺を寄せ、口を小さく開けたまま指先のドロリとした赤い液体を観察していると、その手の向こうに広がるリビングに視線が吸い寄せられた。
目の焦点が指先から、その背景であったリビングに変わったとき、かごめは腰が抜けそうになった。
同時に、手足が痺れるような感覚と、バウンドするような心臓の鼓動が全身に広がる。
久しく炎を失った暖炉、色あせた二人がけのソファ。
それらが、鮮やかな彩りを取り戻していた。
無造作に散らばった、組み立て式になった玩具の人形の手足。
人形の細かい破片が、血みどろになって部屋の壁のあちこちに飛び散っている。
ごろりと転がった、人形の頭がこちらを見ていた。
――違う。
認めろ、もう。
現実を、現実として受け入れることを拒否し続けてきた脳が、とうとう白旗を振った。
その瞬間、突然逆流を始めた胃液が喉を突いて自分を急かすので、慌てて彼女はゴミ箱に駆け寄った。
決壊寸前だった口を開き、吐瀉物を思い切り吐き出そうとした刹那、かごめは嘔吐しながらも、また目を見開いた。
自分が嘔吐しているゴミ箱の中から、見知った顔がこちらを見返していたのだ。
とっさに胃の内容物をゴミ箱に吐き出すのをやめ、古い木の床に撒き散らす。十秒ほどそうしてから、窓枠に手をかけて体を起こし、部屋の中を見渡した。
「げほ、ごほっ、ごほっ!」
口元の端で糸を引いた胃液も意に介さず、かごめはあちこちに散らばった手足を見つめ、そして最後に、足元近くに置いてあるゴミ箱の中を覗いた。
そして、また、凄まじい吐き気に襲われて床を吐瀉物塗れにした。
「…ぅ、ぁぁ…」その場に蹲る。
どうして。
――どうしてなの、母さん。
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!
ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、
応援よろしくお願いします!




