異変 2
それから、二人は逃げるようにして祖母の家を出て、少し早いが叔母たちの家に移った。
母は基本的に叔母の家に入り浸っており、これまで埋められなかった記憶の隙間を埋めるかのように話に花を咲かせ続けているようだった。
その晩も豪勢な食事だった。今までで一番贅沢だといっても過言ではない。
叔母の家で、さすがにもうげっそりしてしまう食事を囲んでいると、途中で風見が顔を出した。彼女は一言二言挨拶をすると、視線をかごめに向けて、含みのある表情で微笑んだのだが、どこか不服そうな感情を隠せてはいなかった。
風見は叔母たちと同様に食卓についた。ただ、ほとんど食べ物には手をつけていない。
かごめはステーキの切れ端を皿の隅に寄せて、小さくため息を吐いた。
昼間の一件もあって、とてもではないがまともな食欲など湧かない。ただでさえ、この脂身の多い肉料理には飽きが来ているのだ。
かごめの辟易したような姿を見て、風見がわざとらしく、「あら?」と声を上げた。
何が言いたい、と視線を合わせる。もちろん、敵意を露わにしたりはしない。
「食欲がないようね。どうしたの?」
「いえ、別に…」と適当にかわしたつもりだったが、風見がしつこかったため、仕方がなく本当のことを口にした。
「昼間、妙なことがあって食欲がないだけです」
「妙なこと?」と即座に切り返される。
かごめは、白雪のほうを一瞥しながら相槌を打つと、テレビが勝手に動き出したことを伝えようとした。
しかし、それよりも先に、鶴姫の母――つまり、叔母がフライングするみたいに言葉を発した。
「それって、もしかして、変な男がいたんじゃない?」
「え、男ですか?」
おいおい、まさかそんなものまで出るのか。
困惑した顔のかごめに、風見が、「何でもないんだ」と告げた。それから彼女は、叔母のほうを見やると、無言で微笑んでみせる。
その端正な表情が、『余計なことを言うな』と言っているように感じられて、かごめは、ますます彼女のことを懐疑的な視線で捉えるようになった。
話の続きを促され、元々しようとしていた話を説明する。
そこにいた者たちは、母や自分、白雪を除き、得も言われぬ表情で口をつぐんでいた。
この反応を見るに、初めてのことではないらしい。
事故物件みたいな家を客人に貸し出したことで、バツの悪さを覚えているのかとも思ったが、あっさり風見がそれを否定する。
「たまにね、あるの。籠目村では」
「…不気味じゃありませんか?」
さらりと受け流しそうな風見に問いかけ、それから叔母と叔父のほうをぐるりと見渡す。
「昔からここに住んでいると、そんなことは気にもならなくなるよ」
そう言って無理やり笑い飛ばそうとする村人たちを、怪訝な顔つきで見つめ返していると、母が何も考えていない様子で、電波が悪いからだと笑った。
電源コードを抜いていて、家電が点くということの意味が分かっていないのか、この人は。
我が母親ながら呆れていると、そろそろ宴もたけなわだ、と叔母が口にした。
どうでもいいが、この村では時折、女性優位な風潮が見える。男尊女卑の強いこの国で、しかも、かなり古い様式を保つ村としてはかなり珍しい部類に入るのではないか。
一通り形式張った挨拶を終えると、このまま晩酌でもどうか、と提案された。
だが、アルコールが好きなほうではなかったし、意味の分からない風習のある村において、夜遅くまで酒の席にいるとろくでもないことになりそうだと思い、丁重に断る。
母はまだ喋り明かすつもりらしかったので、自分と白雪だけで叔母の家から出た。すると、後を追って、鶴姫が出てくる。
今日はパーカーを羽織っておらず、タンクトップ一枚だった。凹凸の少ない体つきでも、やはり露出する肌面積が広ければ、それだけ色っぽくは見える。何より、肌が瑞々しい。
夜鳴き虫の声に耳を澄ませるかのように、鶴姫は片側だけ髪を耳にかけた。その仕草が、成長途上の少女をありありと象徴していると感じた。
「今日は、行かないから」
相変わらず、ツンとした口調で言う。
「ああ、そうなの?」
そんなに興味もなかったため、適当な返しになる。
実際、彼女は夜中にベッドに入ってきても、本当にすぐ寝るだけで、ろくな会話一つしなかったのだ。
「残念です」と、ちっとも残念そうな表情をしていない白雪が呟く。
それを見て、あからさまに鶴姫は物言いげな様子で眉をひそめたが、すぐに顔を背けると、途端に押し黙った。
何だ、文句の一つでも言うのではないのか。
初め会ったときよりも、数センチは素直になった鶴姫をからかうつもりで、かごめは口を開く。
「せっかくなら、一回ぐらいは味見すれば良かったかな?」
「ばっ、馬鹿じゃないの!」
「ちょ、そんなに怒んないでよ。冗談だよ、冗談」
「最低…!」
本気で怒ったらしく、顔を紅潮させた彼女は鼻息も荒くかごめを睨みつける。やっぱり、まだあどけなさが残っている印象だ。
向こう見ずで、挑戦的な態度は、どこか昔の自分を見ているようだった。
ここまで誰かれ構わず噛みつくことはなかったが、それはきっと、外界から隔離されたこの村の環境の影響だろう。
芝居がかったふうに肩を竦め、まだ子どもね、という意図を込めて白雪のほうへと視線を向ける。すると、彼女も鶴姫同様に顔をしかめ、こちらをじっと責めるような眼差しで凝視していた。
「え、なに」
「…別に」
別に、という顔ではない。
すっと、かごめから視線を逸らした白雪は、そのまま自然と鶴姫を見やる形になってしまい、複雑そうな顔でほんのわずかに口元を緩める。
それに対し、鶴姫は鼻を小さく鳴らしたのだが、特段悪意はなさそうに星を見上げている。
「じゃあ、私たちはもう行くから」
すると、彼女は一瞬どうでもよさそうに、「あっそ」と返事をした。だが、すぐにこちらへと近寄って来ると、ポケットから白い包み紙を取り出し、かごめへと無理やり手渡した。
「なに、これ」
包みを開かずに聞いてみると、鶴姫は早く帰りたいと言わんばかりに早口で、「胃薬。今日の晩御飯って、食べ合わせが悪いらしいの」
「そんなものをわざわざ食卓に並べたの?なんで?」
「知らないよ、この村の人は慣れてるからいいらしいけど、よそ者はお腹壊すかもだって」
馬鹿じゃないのか…。これだけ手厚く歓迎してくれているのに、最後の最後で台無しだ。
この空気の澄んだ山間の村、最後の思い出が便所と一緒なのは絶対にごめんだ。
話を聞いていた白雪が、おずおずとそばに寄って来て、「あの」と控えめな口調で声をかける。
こういうときは、昔ながらの雰囲気そっくりだったので、少し安心する。
鶴姫は、ちらりと白雪のほうを盗み見るようにしてから顔を背け、そのままの状態で相手へと手を伸ばした。
「…これ、白雪さんのぶん」
「どうも、ありがとうございます」
「…いえ」
礼儀正しく軽い会釈までした白雪に対し、鶴姫は終始、顔を明後日のほうに向けたままだった。
かごめは、全くこの子は、と呆れかけたものの、自分が彼女ぐらいの年頃にどんな人間だったかを考え直し、たいして変わらなかったか、と心の中で笑った。
鶴姫と別れる前に、彼女は一言、二言だけ言葉を残した。
小うるさいカエルの鳴き声のせいで、少し離れた距離で会話するのが、若干億劫ではあった。
しかし、車がエンジンを吹かせる音や、馬鹿みたいな笑い声、街頭のモニターから流れるアナウンサーの声が聞こえないこの場所なら、声を張り上げずとも会話が出来たのは幸いだ。
「ちゃんと飲みなさいよ。飲まなかったら、結構キツイらしいからね」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
「だから、飲めば大丈夫だって、言ってるでしょ」
そういう問題か…。
不服そうな顔のかごめに背を向け、立ち去ろうとした鶴姫へと白雪が声をかける。
「おやすみなさい、鶴姫さん」
どうやら、多少なりとも彼女の中の鶴姫へのヘイトも減少したようだ。まあ、それが社会できちんと生きる大人の姿なのだろう。
…フリーターの私にはないものだけど。
ぴくっ、と鶴姫の肩が弾んだ。彼女もまさか白雪に声をかけられると思わなかったようだ。
くるり、と彼女が振り向く。夜気を飲み込む漆黒の瞳が、戸惑うように揺れるのが、ここからでも分かる。
ややあって、彼女は答えた。
「…お、おやすみなさい、白雪さん」
気のせいか、頬が赤い気もする。
というか、なぜ白雪だけに言うのだ。
ちょっとだけ可愛くないな、とかごめは思った。
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