第二十三章 天使=暴虐=魔女
ジャンヌは笑った。
「ジャンヌ・ダルクが、処刑されたってか? 傭兵王」
問い掛けられた自分は、頷きをもって返す。
「ああ。十年前、百年戦争の最終盤、イングランドの一部将校による裏切りで、ジャンヌはアイルランド側に囚われた」
そして、彼には処刑命令が下された。それは、まだ発足したばかりの傭兵団の脆弱な情報網でもわかるほどのニュースだった。
「刑は執行され、立ち会った者の話では、確かに処刑の剣はジャンヌ・ダルクの首に刺さったと聞く」
だが、目の前の(数百メートル先の)男は、生きている。
――処刑を硬化で防いだのかと思ったんだけど……
処刑時には専用の拘束具で防御の魔法が使えない。何かしらで、体を硬化させたとしても、傷は受けたことになる。
「それに、ジャンヌに纏わる噂の数々はどうなる!? まだアイルランド相手に戦っているというなら、なぜお前がここにいる!? 新大陸に行ったんじゃないのか!? 聖人に昇華したはずだろう!?」
もっと言えば、裏切られた時に負傷しているはずだし、何よりただの田舎から出てきた青臭い子供が、戦争で戦うということ事態がナンセンスだ。
「――ああ、その通りだぜ。ヴァレンシュタイン」
あの狂喜的な笑顔と一緒に来たのは肯定。なお意味がわからない。
「ジャンヌ・ダルクは処刑され、神に祝福されて天に上った。そして俺は、イングランドでアイルランドを叩きのめし、暇を見つけて帰ってきた。新大陸にも遊びにいったなぁ」
ジャンヌ――相手の返答を聞いて、自分の中で固まりかけていた答えが見つかる。
「なら――」
見たのは、空高く舞う光輪。
「――お前は誰なんだ?」
ジャンヌ・ダルクは処刑され、聖人になった。
この男は新大陸とブリテンで戦い、戻ってきた。
つまり、両者はイコールで結ばれない。
「――ああそうだな、てめぇにはまだ名乗りを上げてすらなかったな」
失態だぜ、とジャンヌは頭をかき、掻いた手を腰に回す。
「改めて名乗ろう、傭兵王。俺の名は――」
狂った笑顔が、一瞬常識的なものになる。
「千年堕天使、ジャンヌ・『ウリエル』・ダルクだ!」
ウリエルとは、かつて最も聖なる天使の一人として数えられた名だ。
その役目は、最後の審判(臨終)において地獄に落とされた生物に、死よりも恐ろしい罰を与えること。終末の日(世界の終り)には、終わりを告げるラッパを吹き鳴らし、天使の軍勢を率いて地上を焼き払うこと。
戦天使と、人は呼んだ。
その大天使が、一千年前、地上に降り立った。当時、魔王の手から世界を救おうとする救世主を助けろと、神に命令されて。
その力は絶対的であり、最強と言える程だった。故に、『名を呼ぶのも畏れ多き方』として救世主の仲間の一人にカウントされている。
だが、彼は堕天した。
理由は、二つ。一つは、その頃はまだ黎明期だった魔法の知識を人間に与え、より乱暴なモノにしてしまったこと。
もう一つは、あまりにも生き物を殺しすぎたこと。
魔物や怪物とはいえ、彼は己の戦闘本能を満たすために殺しすぎた。死刑執行人が職務以外で人を殺したようなものだ。
彼は羽根と天輪を奪われ、体と魂を引き離され、永遠にさ迷う幻影となってしまった。
そして、魂のみの姿のまま千年が過ぎた。だが、彼は聞いたのだ、声を。
『僕達を救って欲しい』
ジャンヌ――ウリエルは十年前を思い出していた。
「ああ、俺はおまえの声を聞いたんだぜ? あの時」
魂が、呼ばれるままに召喚されれば、修道院の中で震えながらロゼリオを握りしめた少年に出会った。
恐らく、神教の礼拝系魔法を使って神に祈ったのだろう。普通なら祈るだけか、他の天使が出てくるだけだっただろうが、たまたま居合わせた自分を呼び出してしまった。
場所はフランス北部の農村。その修道院は、侵攻してきたアイルランド軍に攻撃され、少年一人が修道院に逃げ込んでいた。
『力が欲しい』
――敵を倒せる力か?
『大切なものを救う力が』
――取引だ。
『何と何を?』
――俺はお前に力をやろう。お前は俺と一緒に世界を見させろ。
取引は成立した。
少年は、大切なものを守った。堕天使は少年の体に宿った。
まだ、あの頃は、「彼」の体に自分が存在するというだけで、共に言葉を交わし合え、彼はそこに存在した。
やがて、少年の大切なものは、家族から皆へと変わり、村、街、国と大きくなった。
――お前はこれで後悔していないのか?
『あの時、君がいなければ、僕は死ぬはずだったんだ。何かのために生きているだけで満足だよ』
そして、「彼」は裏切られた。
「彼」は抗わなかった。昔延ばした予定がやって来ただけのことだ、と。
『取引だ』
処刑台の上、「彼」は呟いた。
――何と何を?
『君は僕に救いをあげる。僕は君に自由をあげる』
断頭の大剣が振りかぶられた。
――それがどういう意味だかわかっているのか?
『ああ。世界が見たかったんだろう? 存分に暴れてきなよ』
そして、「彼」は処刑された。
――だが俺は死ななかった!
ウリエルは声を押し殺して笑う。
「ジャンヌの首は落とされることなく、俺となって復活した!」
ジャンヌの体という自由を得た堕天使は、何かを目指すようにブリテンに渡り、アイルランド軍と戦い続けた。
彼は、強さの新しい求め方を見つけた――成長を楽しむという方法を。
「ああ、だからてめぇにはトドメを指さねぇぜ傭兵王」
ヴァレンシュタインは、竜の腹の上、血を流す肩を押さえながらウリエルを見つめる。
「てめぇをここで殺しちゃ、将来の楽しみがなくなっちまう。せいぜい、成長して俺を楽しませてくれよ」
今は、それよりも、
「――こっちは、さっきから城の方で飛んでる魔女が気になってしょうがないんだからよ」
魔女が放った、「救国」の独自魔法、それはここからも見えていた。そして、その前の戦闘で表れた『金色』の魔法光も。
「懐かしいぜ。あの、魔王を倒したバカ共のガキに会うなんてな」
はあ、と嬉しい溜め息をついた。
「――最高に楽しい殺し合いがしたい気分だぜ」
ハイルディは、上空から城の中庭を見渡した。
自分の放った「救国」は、様々ものを消し飛ばした。
それは、壊れかけた窓や扉であったり、忘れ去られた書物であったり、無気力に時を過ごし、その結果として国から逃げるのも遅れた宗教大臣であったりした。
そして、その中庭には、
「生きてる、ね」
気絶したクィルドリフがの姿があった。
「あの魔法、対象には塵も残さないほどバカみたいな効果発揮するけど、それ以外にはなんの意味もないはずなんだから、なんで気絶してるんだろ」
心の一部でも持っていかれたのだろうか。自分でもあの魔法がどこまで作用するか計りかねるから困る。
見れば、クィルドリフの右頬にあったはずの、国章の刺青が消え、痣のようになっている。
――もう、要らなくなったんだね。
彼の中から何かがなくなったのだろう。そして、その「何か」が消えたせいで、刺青も要らなくなった。
「ま、何が消えたのかは知らないけどさ」
それより、とパリの南側を見た。
「さっきからビンビン楽しい雰囲気が伝わってくるんだよね、しかも同族臭いの」
よいしょ、と箒に座り直し、上昇を始める。
「最高に楽しい殺し合いがしたい気分!」




