番外編 一年生三月:後輩
「櫻コーチ、お久しぶりです」
ヨスガと陽太が頭を下げる。
「櫻先生、こんにちは」
遅れてゆえもペコリとお辞儀をする。
「おぉ!ヨスガ、陽太、それにゆえも来たか。久しぶり」
ヨスガと陽太、二人の中学時代の恩師である櫻コーチは笑顔で三人を出迎えた。
春休みが始まって偶然ヨスガと陽太の休みの日が重なったので、櫻コーチの下に顔を出しに行く事になった。
ゆえも櫻コーチを先生と呼ぶくらいには慕っているので二人に着いてきた。
「一年ぶりか。初蹴りの時は三人とも来なかったもんな」
サッカーコートの横で櫻コーチが再会を喜ぶ。初蹴りは年始に行われるOBも含めてボールを蹴る行事だ。
今年はヨスガも陽太もタイミングが合わなかった。
「ゆえは相変わらずおてんばしてるか?」
「むう、私も大人になりました」
櫻コーチの温かな眼差しをふくれっ面になったゆえが見つめ返す。
「ゆえもずいぶん我慢を覚えましたよ」
その光景を笑顔で眺めながらヨスガがゆえの援護射撃をする。
「ヨスガが言うなら本当なんだろうな。立派になったな」
笑顔を絶やさず櫻コーチが称賛する。
「ヨスガは最近どうなんだ?陽太はちょくちょく話が流れてくるから知ってるけど」
話題の中心がヨスガに変わる。
「色々なタイミングが重なって、今はAチームの練習に参加してます」
ヨスガの返答に櫻コーチは素直に驚いた。
「頑張ったんだな」
「運が良かっただけです」
ヨスガの正直な感想だった。
「でも、ようやくレギュラーの距離が見えた気がします」
これもヨスガの本心だった。今スタメンを張っているゴールキーパーは、怪我をしたゴールキーパーの控えで、自分との差も大きくないと感じていた。
「見違えたな。自信を持ってやれてるんだな」
櫻コーチは改めて驚く。過去のヨスガはとにかく必死だったし余裕が無かった。
「球技大会からだもんな」
訳知り顔で陽太がつつく。
「その話は良いんだよ」
ゆかりの、というか女の子のために頑張ったのがきっかけだと恩師にバレるのは恥ずかしかった。
なんとか誤魔化そうとするヨスガに助け船が来る。
「ヨスガーーーーー!!!」
サッカーコートからヨスガを呼ぶ声が響く。
ヨスガ達三人が振り返ると、そこには一学年下の後輩達が集まっていた。
声の主はその中にいる大柄な男子、岡田信司だった。
「一年会わなくてもヨスガ大好きかよ」
陽太が苦笑しながら後輩を眺める。
「変わらねぇなぁ」
ヨスガも苦笑いで手を振って返事をする。球技祭の話をしなくて済んだ安堵もある。
ヨスガの返事を皮切りに、ヨスガの後輩達が中学生、小学生問わず駆け寄ってくる。
中学生は男子だけだが小学生は男女ともにスクール生として所属しており、少女達はゆえの下へと駆けてきた。
「おうちびども」
「言葉遣い」
自分が見下ろす事ができる少女達に気が大きくなったゆえをヨスガが注意する。
「ゆえちゃんひさしぶり!」「ゆえちゃんかわいい!!」「おっきい……」「いっしょにサッカーしよ!」
十人十色のゆえへの言葉はどれもゆえの気分を良くする。
「仕方無いなぁ。ついてきな」
格好をつけてゆえが走り出す。小学生女子がそれに着いていく。さらに遠巻きに見ていた未就学児のスクール生も興味を持って追いかけ始めた。
「アイドルしてるなぁ」
それを陽太が面白そうに眺めていた。
「ヨスガ!久しぶり!!」
小さなスクール生が離れていったのを見計らって、ヨスガと陽太が目当てで駆け寄ってきた二人の後輩達が口を開く。
「近くでも叫ぶなよ」
耳を塞ぐジェスチャーをしながらヨスガが文句を垂れる。
「俺は無視かよ信司」
陽太がケラケラ笑いながら信司と呼ばれた後輩に声をかける。
「陽太は気持ち良くシュートを撃たせてくれないから」
「それが仕事だからな。気持ち良く撃てるように練習しな」
信司の文句を陽太が軽く流す。中学時代からのやり取りだ。
「わかってるよ。ヨスガ、シュート受けてよ」
信司が気を取り直してヨスガに向き合う。
「お前その前に俺達に言う事あるだろ」
ヨスガが熱心な信司の視線を放って詰め寄る。
「あ、俺も柏陽台受かった」
信司が思い出したように報告をする。実際は言おうと思いつつ先延ばしにした結果、ヨスガ達がやって来る今日言おうと思っていた。
ヨスガ達は事前に櫻コーチに聞いていた。
「あ、じゃねぇんだよ。数日後には入学前に練習参加するのに今日まで音沙汰無いのはどういう事だよ」
信司の首に腕を回して頭を撫で回す。
「ごめんごめんごめん!なんか準備大変で言いそびれてた」
信司の弁明に周りにいる後輩達も笑っている。助け船を出す者はいない。
「まったく。合格おめでとう。もうすぐだけど来年度からよろしく」
信司を解放し、ヨスガが改めて合格を祝福する。
「ちなみに他に柏陽台行くのを言い出さなかったヤツはいるか?」
ニヤニヤと笑いながら陽太が周りを見渡す。結局柏陽台に進学するのは信司だけだった。
一通り後輩達と言葉を交わしたヨスガは小中学生のゴールキーパーと共に練習を行う。
陽太はフィールドプレイヤーのミニゲーム大会に興じた。
その様子をゆえはコートの外から眺めている。
女子スクール生と一緒に汗の始末をして着替えて帰ってきたところだ。
「お疲れ、皆楽しそうだったよ」
櫻コーチがゆえにスポーツドリンクを手渡しながら横に座る。
「それは良かった、です」
「頑張って敬語にしなくてもいいよ」
櫻コーチは笑いながらゆえに言う。
「櫻先生は尊敬しているので」
「そっか、ありがたいよ」
櫻コーチもヨスガと陽太の方を向く。
「聞いたよ。ヨスガ、女子サッカー部のゴールキーパーも見てたんだって?」
櫻コーチがゆえにヨスガのことを訊ねる。
「今はAチームに上がっちゃってるから教えてないけど、ヨスガのお陰ですごく伸びてる子が友達にいます」
ゆえは松井の事を思い浮かべながら櫻コーチに答える。
「それはすごいな」
櫻コーチが感心している様子を、ゆえはヨスガの代わりに誇らしく思っていた。
「ヨスガは教えた子の手柄にしたがってるから、櫻先生からも褒めて欲しいです」
「ヨスガらしいな」
ゆえの要求を聞いて櫻コーチが吹き出す。
中学時代からトレーニングを教えて後輩の実力が伸びたなら後輩の手柄としていた。
その結果が一年ぶりに顔を出しても真剣に話を聞いているゴールキーパーの後輩達だった。
「謙遜し過ぎなところは良くないけれど、今だって後輩によく慕われているよ」
ヨスガ達に目を向けると、膝立ちでヨスガがレクチャーをしていた。ヨスガや中学生達よりもまだ背が小さな小学生のために目線を合わせているのだ。
「ああいう目線合わせを自然に行えるところも良いんだよなぁ。小学生未満の大会の審判をやってた時とかも出来る限り目線を合わせてたし」
定期的にスクール内で行われる大会の時の事を櫻コーチは思い出す。
頻繁に顔を出していたゆえにも馴染みのある大会だった。ヨスガの腰の高さよりも小さな子供達と目線を合わせて挨拶をしているヨスガの姿がゆえは好きだった。本人に話した事は無い。
「コーチじゃないにしても、先生とか向いてるかもね」
ポツリと櫻コーチが呟く。
ゆえも子供に囲まれるヨスガを想像して顔を綻ばせた。
「駅まで送るよ」
練習を終え、着替えた三人に櫻コーチが声をかける。
それを三人が三者三様に感謝する。
「じゃあな信司。ちゃんと準備して来るんだぞ」
信司に声をかけてヨスガは櫻コーチの車に乗り込んだ。
「三人とも楽しかったか?」
「はい」
ヨスガと陽太が声を揃える。
「二人共Aチームに上がったんだよな。良い一年だった?」
「俺は必死にやってようやくチャンスが巡ってきただけで、何も成してないですよ。絶対モノにします」
陽太が我先にと答える。
「一年目は苦労するってわかってたもんな。その中で過程はどうあれ争える立場に居るのは立派だよ」
櫻コーチが陽太の決心に応える。
「ヨスガはどうだった?」
「俺は運が良かったなって思います。正直、最初は部活って形に全然馴染めなくてモチベーションも全然沸かなかったんです」
ヨスガは初夏までの自分を振り返る。
「けれど、そんな自分がサッカーを続ける理由を思い出す出来事があったり、人に教える事で新たな発見があったり、なんというか人に恵まれた一年でした。本当に運が良かったです」
ゆかりと池袋に行った事と、真面目な松井の事がヨスガの頭に浮かんでいる。
どちらも今のヨスガに大きな影響を与えていた。
「ヨスガの口からそんな事が聞けるとは思わなかったよ。学校生活に影響がある部活って枠組みを不安視してたからさ」
「そうですね。最初の頃は予想通りキツかったです」
ヨスガが苦笑しながら答える。
それと同時に、恩師であったとしてもゆかりに背を押して貰った事は気恥ずかしくて言えなかった。
「ヨスガは高校までのつもり?」
櫻コーチの話題変換にヨスガはゆかりの事を話さずに済んでホッとする。
「そのつもりです。大学で生物系の勉強をしたいって思っています」
「そっか。やりきれると良いな」
櫻コーチがヨスガを激励する。
ヨスガが返事をしようとするのをゆえが遮る。
「櫻先生は先生とかコーチが向いてるかも、ってヨスガの事を褒めてたよ。自信持って」
「え?」と困惑するヨスガをよそに陽太が吹き出す。
「確かになぁ。大学も部活続ければ良いのに」
「他人事だからって適当だな。そんな要領よくやれないよ」
陽太の肯定の言葉をヨスガが否定する。
「ゆえ、話すタイミングってのがあるんだよ」
櫻コーチが一歩遅れて反応する。
「櫻先生はどう思いますか」
ゆえはその言葉を放り出して訊ねる。ヨスガが「こら」と叱る。
「中学の時から向いてるとは思ってたよ。高校でも初心者を戦力になるまで親身に向き合っていたし、今日も人に合わせてレクチャーしていたしね」
ヨスガが反論しにくいように、櫻コーチは『ヨスガが戦力になるまで育てた』ではなく『戦力になるまで親身に向き合った』と表現した。
「けどまぁ、ヨスガは生真面目だからさ。俺が向いてるって言ったらそれだけで将来を傾けるかもしれないからね。今はやめといた」
図星だった。
短い人生の中で一番の恩師の言葉にヨスガは少しだけ揺れていた。
「愚直だからな、ヨスガは」
陽太が櫻コーチに同意する。
「信司のシュート練習にどちらかが音を上げるまで付き合ってたこともあったな。さすがにバカだなと思ったけど、それで一個下には慕われるようになったっけか」
「そういう昔話はいいんだよ」
ヨスガが顔を顰めて言い返す。
「櫻コーチが意図まで教えてくれたから、大丈夫です。それに、漠然とはしてますけど大学で学んだ事を仕事に出来たらな、って思ってます」
ヨスガが櫻コーチに返事をする。強がりではある。
「それなら何よりだよ。何かあったらいつでも顔出しておいで」
櫻コーチの言葉にヨスガは素直に「はい」と応えた。
駅のホーム、三人は電車を待っていた。
「信司、食費大丈夫かなぁ」
話題になったのは来年の後輩だ。
「多分食堂じゃ大盛りでも足りないな。自炊なら大丈夫そうだけど」
ヨスガが寮の食堂を知らない陽太に補足をする。
大柄な信司はヨスガ以上によく食べる。一年前の時点でヨスガよりも食べており、高校生になってさらに食が太くなっていると思われる。
「あいつ合格したならちゃんと言ってくれればいくらでもアドバイス出来たのになぁ。料理できるのかなぁ」
ヨスガがここにいない信司へ悪態をつく。
「入寮したら一ヶ月くらいはヨスガが着いてやれば?さすがに他の一年生を付き合わせるのは可哀想だし」
「他人事だからってお前は……。まぁ実際そうするのが良いとは思うけど……」
ヨスガは渋い顔をして考える。
食事の面倒を見ると言う事は、ゆえとゆかりと食事を摂らない事でもある。新年度早々に自身を気にかけて配慮してくれている二人を無碍にしたくは無かった。
「私は別にいいよ。ゆかりも図書館でたくさん構ってくれれば多分気にしない」
ヨスガの心を読んだゆえがフォローする。
「そう言ってくれるとありがたいけど、帰ったらとりあえず聞いてみるよ」
申し訳ない気持ちを抱えつつ、ヨスガは少しだけ心が軽くなった。
「本当にすっかりお前らの身内なんだなぁ」
二人のやり取りを見て陽太が感心する。
「お前には関係ない」
ゆえが辛辣に返す。
「ただの感想にまで食ってかかるなよ。信司の話し相手くらいにはなってやるから、たまには俺に押しつけてもいいからな」
「お前は俺よりずっと大事な時期だろうが。厚意だけ受け取っておくよ」
陽太の提案をヨスガは遠慮する。陽太は「言うと思ったよ」と返事をしながらやれやれと肩をすくめた。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。
古淵ゆえ:スクール生の女の子にアイドル視されている。
照島陽太:Aチームに昇格した。
岡田信司:ヨスガ達の後輩。柏陽台に入学する。




